陽だまりに差す影
少女は一人、森を裸足で歩いていた。体を左右に不規則に揺らし、俯きながら足を動かすその様は、何も知らない者には幽霊か何かに見える不気味さを持っていた。
彼女の歩く周囲はひどく静かだった。風に押された木の葉同士が擦れる音や、鳥達の鳴く声、森に響いているはずの音は何かに恐れをなして逃げたかのように消え去っている。音は、少女の柔い足が土を踏む僅かな音のみだ。周囲には何者もいない。陽の光を受け、富んだ森が緑に輝いているのが少女とは正反対に映る。
そんな時だ。少女の行く先も知れぬ歩の先に、何者かが現れる。少女はまず、下を向いていた視界でその者の足を捉えた。彼女は異常をその目に捉えると、すぐに顔を上げて行く手を阻んだ相手の全容を見る。
少女の前方に立つのは、リュウだ。彼は十数メートルの間を開けて少女の前に立ち、自然に、身構えたりはせず普通に立っていた。ただ、その目には哀れみが溢れている。眉を少し寄せ、目尻を歪ませて彼が見ているのは、森を一人で歩いていた少女だ。
(十歳を過ぎて少しくらいの歳ごろか……)
リュウは少女の体を下から上まで観察する。長く裸足で歩き続けたのだろう汚れた足と、肉の薄い手足。不要を省き切った人として生活し得る最低限のような白い服。うつろな瞳。それらを目にしたリュウは、息を一つ吐き出して足を開き、身構える。
(不快だ)
リュウが態勢を整えると同時に、少女はおもむろに右の手の平を眼前の障害へ向ける。するとすぐに、彼女の意志を形にしたかのような火炎が放たれた。リュウはそれを、地面を蹴って大きく横に飛び退くことで避けた。火炎は緑の草木を黒に染め上げるが、向けられた相手を掠ることもなかった。
(こんな子供に、どんなことをしたらこうなる)
大きく余裕をもって一撃目を躱したリュウは、次に備えて少女から目を離さぬように腰を落とす。そうしながらも、彼は少女の状態や、こうなるまでに至った彼女の背景を憂いていた。
(服の様子を見るに、普通に人が暮らすような環境で暮らすこともできてなかったんだろう。命の権利を侵し、そしてこの子を獣にも似たこんな状態に……許せない所業だ)
リュウは額に深いしわをつくり、歯を食いしばる。少女はそんな彼の表情の変化には全く気付かず、見ることもなく、ただ彼を排除しようと再び右手を持ち上げる。同時に、火炎が巻き上がってリュウへ向かう。彼は一撃目と同じように大きく脇へと飛び退いてそれを躱す。そして充分な時間を持って次に備えた。
反面、二度の攻撃を避けられた少女は一瞬だけ間を開けた後、両手をリュウに向けてかざす。先ほどまでとの変化に、リュウは警戒を持って少女に向かう。
おもむろに、少女は右手から炎熱を発生させた。二発目までと同じように直線的な動きでそれはリュウに向かってきた。離れた位置に立つリュウは、それが自分の体に触れることを許さず左へ大きく避けた。
「っ……」
避けた先で、リュウは少女の方を見て驚く。彼女は、まるでリュウが左に避けることが分かっていたかのように自身の左手をリュウが移動した方へと向けていた。そして、リュウが態勢を立て直すよりも前に左手から右手と同じように火炎を放つ。触れたものを溶かすほどの熱が、彼の目前に迫った。
「ふっ」
だが、リュウは少女の思惑の通りにはならない。彼は体を真っ直ぐ立て直すことはせず、地面を蹴った勢いをそのままに体を地面に投げ出したのだ。炎熱は対象を捉えずにその先の木を焼く。リュウはそのまま体を一気に回転させ、熱を避けた直後に立ち上がり、次に備えた。
「……流石に、このくらいはするか」
リュウは未だ余裕を持て余しているかのように、息を吐いて再び神経を張る。
一連の様子を少女から見て背後の木の陰で見ていたジンは、危険が近くにあるという緊張に身を強張らせながらも、リュウの動きを観察し、首尾を探っていた。
(自信があると言うだけはある。素早い身のこなしに、危険を恐れず冷静さを保つ心の強さ。このままいけば、大きい危険はないままで済むか)
彼はリュウの腕に不足はないと判断し、作戦が始まる前の不安を薄めていた。咄嗟のことに対して冷静に判断し、余力を持って回避を行うことができるのなら、確かにリュウは全く問題なくこのまま事を終えられるだろう。
ただ、そんな彼らの視界の中で、ふと、異様なことが起こる。
(……なに、もうか?)
ジンはその異常にすぐ気付く。少女の肩が、大きく上下しているのだ。彼女の息が上がっている。その息の荒々しさは、安全のために距離を取っているジンの方にもその息遣いが聞こえそうなほどだ。
同時に、同じことをリュウは正面から目に入れていた。
(おかしい……この消耗の仕方、流石に早すぎる)
少女は苦悶の表情を浮かべ、額や首に汗を浮かべながら息を荒げていた。まるでマラソンを走り終えた走者のような状態で彼女はその場に立っている。リュウはそれを危険であるがゆえに近くで観察することはできなかったが、それでも疑問の目で見ずにはいられなかった。
(安全に済むなら、それが一番だけど……)
楽観的に考えるリュウの目前で、再び少女が火炎を放つために右手を彼に向けた、その時だ。少女の小さな鼻から、血が一滴流れ出る。白い肌に赤い血液は強く目立ち、遠くに立つリュウからでもハッキリ見えた。
(鼻血……?)
突如として起きた出来事に、リュウは何が起こったのか理解しようと思考を割く。だが、明確な答えを得るよりも前に、彼の頭には形のおぼろげな不安の影が差した。
(……嫌な予感がする)
胸の奥に少しつかえるように薄く、根元の知れない不安だったが、リュウはそれを確かに感じた。
(このまま、彼女に力を使わせていいのか? ……いや、まずい)
数瞬の思案を経て、彼は判断を終えた。原因の知れない不安だったが、無視はできないと判断したのだ。彼は思考を終えると、視界に入らないジンやレプト達に対して大声を張り上げた。
「予定変更だ! ジン、僕が隙を見てこの子を押さえる。その時に安定剤を使ってくれ!」




