表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヘキサゴントラベラーの変態  作者: 井田薫
シャルペス動乱編
382/391

破砕

 闇の(とばり)が覆いつつあるカーダの街の一角に、巨大な爆発音が響く。同時に、瓦礫が石畳に散らばる耳障りな音が周囲を埋め尽くした。既に戦闘行為の頻発していたこの街の住人達は避難をし、この音が聞こえた方向に向かうようなことはなかった。だが、衝撃の余波で煙が辺りを覆うその場所に、二人の人物が現れる。

 その二人とは、カスミ、そしてソーン。遠巻きからは爆発音としか思えなかったそれは、カスミが倉庫の壁を叩き破った音だ。厳密には、彼女の攻撃を受けたソーンがその威力のままに壁に激突し、その体が倉庫の壁を突き破ったのだ。自動車が倉庫の薄い壁を突き破ったかのような大穴が、倉庫の外部と内部を繋いでいる。

 カスミの尋常ではない腕力から繰り出される攻撃を受けたソーン、だが彼女の体に大きな傷はない。彼女は倉庫の壁を突き破って外に放り出された後、何事も無かったのようにその場に着地し、現状を確認するように殴られた鳩尾(みぞおち)を押さえていた。


(この膂力(パワー)……シンギュラーか)


 ロンでさえ打ち破ってみせた攻撃を受けてなお、ソーンの体には大きな異常がない。衝撃の余波によって纏う外套が薄汚れている程度だ。彼女は事も無げに肩の埃を払うと、直前まで常に浮かべていた笑みを消し、真顔になって顔を上げる。

 ソーンが視線を向けた先には、カスミが立っていた。倉庫に開けた風穴の前に立つ彼女は、その全身から漏れ出る怒りを抑えることなどしていない。彼女は、まるで周囲の空気が電気を帯びているのかと思わせられるほど、近寄りがたい雰囲気を纏っていた。通常時には普通の少女と何ら変わらない細腕には血管が強く浮かび上がり、隆起した筋肉は震えている。拳は大気をも打ち抜かんばかりに固く握られ、彼女の一歩一歩はその小さな体躯からは考えられない巨人の足取りのように感ぜられた。


「叩き潰す。絶対にアンタを許さない……!! 何があっても、私はアンタをぶっ飛ばすッ!!!」


 カスミは倉庫から出てくると、一発食らわせたソーンを指差し、宣言する。最早事情すら問わない。理解も求めない。ただ、排除するべき敵として向かい合う、と。シャルペスの住人達、仲間、家族を助けるという重責を背負ったロンとの立ち合いの場面ですら彼に会話を求めたカスミの姿は、そこにはなかった。そこにあったのは、ただただ己の身を焼く憤怒に身を任せ、否定するべき相手に向かい合うカスミの姿だった。

 他とは比肩(ひけん)することのないほどの強い敵意を向けられたソーンは、不快そうに眉を(ひそ)め、舌打ちをする。彼女は相対するカスミから目を離さないようにしつつ、先ほど外したグローブを左手にだけはめ、右手にナイフを持った。


「抵抗せずにいたからといって楽に殺すつもりはなかったが、小娘が。無駄なことを……」


 地面を揺るがすような怒りを携えるカスミに対し、ソーンは一切の緊張がなかった。カスミの、人体にぶつかればたちまち命を奪うような腕力を目の当たりにしても、その態度に揺らぎはない。自信のためか、感性が埒外のものなのか。あるいはその両方。


「カスミ……逃げろ……!」


 倉庫の中で潰れた右目の痛みに耐えるフレイが、娘を制止する。妻を殺され、自分や娘も命を奪われかねない。そんな状況に立たされた父親が選択したのは、娘に自分の安全だけは守ってもらう事だった。彼は脳を震わせるような眼球の潰れた痛みに歯をくいしばって耐えながら、カスミにそう告げる。

 だが、彼女は父の言葉に応えなかった。後ろで蹲る父親を振り返る事すらせず、カスミはその一歩を踏み出す。彼女の歩が向かう先は、逃走経路ではなく、打倒すると誓った敵の方向。家族へ安堵を促す言葉すら、今のカスミは思い出せなかった。


「潰すッ!!!」


 カスミは怒りのままに声を上げると、地面を蹴った。向かう先はソーン、ではなく彼女に接近する途中にあった街灯だ。カスミはその根本を右手で掴むと、まるで小枝を折るかのようにへし折り、自らの武器と化した。自分の身長の倍以上もある街灯を走行する速度すら緩めずその手に掴むと、そのままソーンへと猪突猛進していく。


(恐ろしいほどの腕力。だが……)


 ソーンは最初の立ち位置から一歩も動かない。その目はカスミの一挙手一投足を捉えこそしていたが、警戒など一切していないように思える。それをする必要すらないとでも言っているようだ。


「ぐるぅああぁぁッ!!!」


 ソーンがその場に立ったままであるのに対し、カスミは一方的に攻撃を加えるという回答で応じる。ただ、彼女自身が近付いて拳や蹴りで攻撃するのではなく、手に持った街灯を横薙ぎに振るい、遠距離からの攻撃にとどめた。直前に説明された、触れた相手を消し飛ばすというソーンの能力。それが彼女の説明通りである保証はないが、少なくともジアはその通りになってしまった。その能力を受けないために、カスミは反射的に街灯での攻撃を選択した。

 カスミとソーンの間は、距離にして三メートル。既に回路を断たれて光を失った街灯の先端が、ソーンの横腹を捉えた。瞬間、ガラスと鉄が打ち砕かれる音が通りに響く。カスミの武器である街灯は、確かに何かを打った。そして、彼女の手にもその感覚が返ってきた。だが、


「……なっ……!!?」


 ソーンは微動だにしていない。本来ならば人体を千切り飛ばして余りあるその攻撃は、確かにインパクトをカスミの腕に返し、ソーンに届いていたというのに、彼女に一切の影響を及ぼしていなかった。ソーンは始めのナイフを持った姿勢から一歩も動いていないままだ。それなのに、街灯の先端だけが無残に通りに散らばっていた。


(あっ、有り得ない。そんな……絶対に届いた。絶対に当たってた。なのにどうして……!?)


 街灯を持っていたカスミの右手から力が抜ける。人一人では到底持ちえない重量の街灯は支えを失うと、通りにガシャリという音を立てて落下した。


(それなら……ッ!)


 本能と憤怒に任せていたカスミの思考に、冷静さが戻ってくる。彼女は武器での攻撃が何かしらの能力で無効化されたのを受け、次の策を講じた。大きく飛び退いてソーンとの距離を離すと、屈んで地面に転がっている石を拾う。そして、それをあらん限りの力で投擲した。


「ふんッ!!」


 カスミの腕からカタパルトのように射出された石は、通常の銃弾とは比べ物にならない威力を持つ。人体に当たったのなら、場所によっては四肢を奪い、貫通は避けられない。そんな凶器が、ソーンの体に風を切る音を立てて迫る。

 直後、耳に爪を立てるような、固いものがひび割れる音が通りに響いた。


「……ど、どうして」


 カスミが放った石は、ソーンの胸に命中していた。だが、それが彼女の体に傷を与えることはなかった。どころか、石はソーンの身に纏う衣服にすら跡をつけていなかった。だというのに、まるでそこで壁に当たったかのように小石は粉々に砕け散り、地面に散っていった。自分が頼みの綱にしていた投擲が何の成果もなく霧散していくのを前に、カスミは冷静さを通り越し、恐怖を思い出した。


(ぜ、絶対に、おかしいッ……なっ、何か、何かあるはず……でも、何……?)


 カスミは必死に頭の中でソーンが何をしているのかの答えを探そうとする。触れた相手を消し飛ばす能力、そして、自分に向けられた衝撃をゼロにする能力でも持っているのか。あるいはその両方の能力が一つに集約されているのか。しかし、石や街灯は消されているわけではない。確かにソーンに当たっているのに、彼女が傷を負うことはなかったのだ。ならばもっと別の能力を持っているのか。しかし、カスミの頭の中に複数の能力を持つ人間という例はない。答えが出ない。それが分からなければソーンを打倒できないというのに、カスミの思考は壁を眼前にした。最早、進むことが出来ない。

 知らず知らずの内に、カスミは一歩後ろに下がっていた。それは、戦術的な意味を全く為さないような距離の退避。逃亡を選択しているにしてはあまりに短く、距離を保つというにはそぐわない。すなわち、怯えだ。相対する敵であるカスミの一挙手一投足を観察していたソーンは、カスミのそれを目にすると、再び笑顔になった。


「フ、くク……カカ……」


 微動だにしていなかったソーンが踏み出す。カスミに対し、大きな一歩を。その瞬間、カスミは全身が総毛立つのを感じた。


「は……はっ……ハッ……ぁ……ぅゥ……!!」


 倒せない敵。倒せるかもしれない可能性すら見出せない敵。そして、喪失を経験してしまった心の脆さ。全てが噛み合い、カスミの心にひびが入り込む。迫ってくる難敵に立ち向かう気概を、彼女は持てなかった。数刻前にロンと対峙した時とは何もかもが違う。彼はカスミの攻撃を躱していた。攻撃が当たれば勝てるという確信があった。そして、彼の行動理由についても言葉を交わすことで、納得は出来ないながらも理解することは出来た。だからこそ、自分の実力を大きく上回っていると知りながら、己を奮い立たせることが出来た。

 だが、今カスミが向かい合っている敵は違う。何のために母親を殺したのか。以前までどのくらいの人を殺し、どうして殺しているのか。何も分からない。自分の攻撃が意味を為しているかも分からない。今のカスミは、まるで理不尽な災害を前にしたかのように怯え切っていた。息が勝手に上がり、か細い声が喉から漏れる。手足は震え、体を守ろうとしているのか、勝手に赤子のように丸まろうとしていた。後退ることすら出来ない。


「カスミ逃げてくれッ!!!」


 涙で歪む視界の中、目の前に迫るソーンをフレイが阻む。だが、父親の言葉通りに逃げることは出来なかった。最早、カスミの体は彼女の意思通りに動くことはなかった。彼女の目の前で、フレイが既に負傷していた足に更にナイフを突き立てられている。悲鳴と返り血がカスミを襲った。だが、彼女は悲しめなかったし、怒ることが出来なかった。目の前で父親がゴミのように放られているのに、声を上げる事すらかなわない。怒りの炎は既に理不尽な暴力というソーンの掌に覆われ、燃えるための意思すら剥奪されていた。家族が傷つけられているのに、それに対する怒りより、自分が殺されるかもしれないという恐怖の方が勝っていた。


「いい顔だ」

「ひっ……」


 瞬きした直後にカスミの前にあったのは、あの笑顔だ。心臓を直に撫でまわされているかのような感覚を覚えるその笑顔を前に、カスミは声を漏らす。出来たのは、それだけだ。

 瞬間、ソーンがナイフを投げる。狙いはカスミの腹部だ。カスミはそれに反応することは出来なかったが、危険が迫っているという状況に本能が反応する。それはカスミの足を一歩横に(つまず)かせ、彼女を危機から救った。


(たすかっ……)


 意図していないこととはいえ、命が助かった。カスミがそう安堵したその瞬間だ。

 背中に焼け付くような痛みが走る。同時に、体の中に滑り込む冷たい感触。ナイフが、カスミの背中に突き立てられていた。何が起こったのかは分からない。ソーンには仲間がいて、その人物に背後を突かれたのか。あるいはソーンが仕込みをしていたのか。そんなことを考えることもできなかった。背中からの痛みと命の危機を感じ取った体は、反射的にそれから遠ざかろうと前へ進む。だが、その先にいたのはソーンだ。


「あ」


 満面の笑みを携えたソーンの右手には、新たな別のナイフが。彼女はそれを、カスミの脇腹に根元まで深々と突き刺した。


「っ……あがッ……」


 ナイフは易々とカスミの肉に突き立てられた。刀の刃をも素直に通さなかった彼女の体だが、そのナイフの侵入を許したのは既に戦意を削がれ、能力を使用できていなかったためだろう。数秒の時間をかけて、刺された箇所を中心にカスミの纏う服にどす黒い血の染みが広がっていく。重度の出血、それを確認したソーンはカスミの腹からナイフを抜き取った。瞬間、カスミの腹から血が溢れ出る。既にロンとの交戦で負った傷により血塗れになっていた彼女の体を、より暗い色の鮮血が再び染め上げた。同時に、カスミは喉の奥から異物がせりあがってくるのを感じる。抗うことも出来ずに吐き出したそれは、血の塊だった。吐血の際、思わず俯いた折に、カスミは自分の足元に小さな血だまりが出来ていることに気付く。それが全て自分の身体から出た出血であると認識した瞬間、腹部と背中の痛み以外に、彼女は全身が冷えていくのを感じた。手足が痺れていく。立ったままを維持することすら出来なくなっていった。カスミは数瞬前に自分が誰に怒りを向けていたのかすら思い出せないまま、その場に崩れ落ちる。消えてゆく意識の中で彼女が最後に聞いたのは、自分の名前を悲鳴混じりに叫ぶ父親の声だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ