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ヘキサゴントラベラーの変態  作者: 井田薫
シャルペス動乱編
380/391

運命

「運命とは命を運び行くもの。辿る道の決まったそれには、何者も抗うことは出来ない」


 突如としてカスミ達家族の前に現れたソーン。彼女は倉庫の扉を閉ざすと、一つ離れた位置に固まる三人に暗い影を含む藍色の瞳を向けた。まるで夜天の下に広がる黒い海を覗き込んでいるかのような錯覚を覚えるその瞳に、カスミは本能的な恐怖を僅かながらに感じる。だが、心の底から湧いて出てきたその微小な恐れに、彼女がわざわざ行動することはなかった。それは、直前のロンとの交戦で疲弊したのがあってのことだ。そもそも、その怖気自体は目の前に迫る死の危険を退けてきた彼女にとって、そこまで問題になるようなものでもなかった。


「あなたは一体……? さっきの、アルマって人の仲間?」


 負傷したカスミとフレイの前に立つジアが、二人に代わって問う。状況的には、既に危険地域であるシャルペスを脱した後。フレイとジアの表情にも、大きな動揺はない。

 問いを投げられたソーンはジアの言葉に気がかりなことでもあったのか、首を小さく傾げる。彼女は目を見開いて三人をその瞳に収めたまま、まるで人形の首が決められた角度に関節を曲げるかのような動きで首を傾けた。白い陶器のような肌に暗い瞳を携えた顔が奇妙に斜めになる様は、見る者にハッキリとした恐怖ではなく、一種の奇妙さのようなものを感じさせる。


「アルマ……そうか。ピースが来ていたのだったな。まあ、いい」


 彼女は事も無げにそう呟くと、ゆっくりと歩き出す。倉庫の端から端、数十メートルは離れたカスミ達家族に対し、少しづつ歩み寄り始める。カツ、カツ、という靴底がコンクリートを叩く乾いた音が、静寂の中に断続的に響く。その音に混じり、ソーンは(かす)れるような声を上げてジアに問う。


「お前達は家族か?」

「そうよ。というより、あなたは? カスミの仲間ってわけでも無さそうだし……」

「私が何者かなど、お前達にとってはどうでもよくなる。それよりも……」


 距離にして十メートル弱。ソーンはそこまでカスミ達家族との距離を詰めると、足を止めた。そして、自らの手を覆っていた黒いグローブを摘まみ、外していく。まるで絵に描かれたような白い手が露わになると、ソーンはその指でカスミ達を示し、問いを重ねる。


「お前達は、愛し合っているのか?」

「……は? アンタ、一体何者……」


 唐突且つ、意図が一切掴めないソーンからの問い。推測しようと思考を走らせてみても、その目的に到達することは出来なかった。だからこそ、三人は目の前に立つソーンに対し、警戒するという事を思い出す。目の前のソーンという人物は、その行動、言葉からして分からないことが多すぎる。初めから本能的に感じ取っていた恐怖や違和感が、ひっそりと首をもたげ始めたのを感じたのだ。体を休めていたカスミとフレイは膝をついていつでも立ち上がれるように備え、ジアは改めて二人を守るように姿勢を直す。

 そのカスミ達家族の在り(よう)を見たソーンは、右手を差し出して中断を示し、首を横に振った。


「いや、答えなくていい。……そうか」


 三人の姿勢、立ち位置を見て何かを感じ取ったのか、ソーンは問いを撤回した。彼女はそのまま、おもむろに差し出した右手を口元に持っていき、その指で自分の唇をなぞる。血色の僅かに感じられる唇の膨らみを人差し指と中指で撫でながらも、その視線は三人に釘付けのままだ。しかし、その視線に興味や好奇心、敵意といった感情は見透かせない。あるいはもっと別の感情が含まれているのかもしれないが、少なくとも、現在対面しているカスミ達にとっては知ることの出来ないものだ。


「私が何者か、聞いていたな」


 カスミ達の、鋭いとまではいかないまでも、確かに意識されていると知覚できるほどの警戒を受けたまま、ソーンは口を開く。内容は、彼女が何者であるか。ジアは先ほど無視されたとばかり思っていた質問に答えが返って来れば、今目の前にしている相手にどう対応すればいいか多少の手掛かりは掴めるだろうと思い、一瞬気を緩める。

 だが、ソーンが返した答えは余りにも抽象的なものだった。


「私は運命だ」


 意味が分からない。カスミ達は反射的にそう感じた。だが、目の前にいるソーンは何もふざけた様子や錯乱している様を見せない。初めからの雰囲気と何も変わらず、自分が運命なのだと、そう告げて見せた。そんな言葉の応酬に、カスミとフレイは直前の自分達の警戒は間違っていなかったのだと確信し、よろめきながらも立ち上がる。

 そんな中で、だ。ジアは訳の分からない言葉を告げたソーンを、改めて観察していた。パチパチと不良を訴える音を上げる薄暗い電灯の下で、ジアは目を細め、眼前にいる女の顔を再度確認する。そうした時、彼女の頭の中で、現在から遠く離れた時点の記憶の回路が偶然にもつながった。


「あなたは……確か」


 きっかけを掴むと、そこから先は早かった。ジアの目はソーンの顔や髪を捉え、頭の中にある記憶と照合していく。それが一定まで、確信といえる段階にまで踏み込むと、ジアは大きくため息を吐き、体に込めていた緊張を解く。


「忘れてた。随分前だったし、髪の色も背の大きさも変わってるけど……」


 自分で自分の考えを確認するように、ジアは言葉に出して再度ソーンの特徴を見直す。そんな母の様子に、カスミとフレイは顔を見合わせ、ソーンが警戒を向けるべき相手ではないのではないかと考え始めた。

 そんな風に、カスミ達家族が考えを変えていた時だ。ソーンは、ジア達の言葉や反応には一切関心を向けず、それでも確かに、三人に目と興味を向けていた。彼女はゆっくりと右手の人差し指を立てると、それをジア、カスミ、フレイの順に向けた。ソーンが何者であるかの答えを得かけていたジアや、その答えがすぐに共有されるだろうとばかりに思っていたカスミとフレイは、ソーンの唐突な行動に思考を止める。


 その時だ。ソーンが笑う。喉から音を上げるでもなく、表情にだけ張り付いたその笑顔は、カスミの瞳、そして彼女の記憶に焼き付けられた。底の無い、恐怖の感情と共に。両親が同じものを見て、同じものを感じていたかは分からない。ただそれを見た瞬間、カスミは(ただ)ちに自分が思ったままに声を上げようとした。逃げよう、と。しかし、出来なかった。舌が固まり、喉が震えていた。呼吸すら忘れてしまうほどの恐怖。それを目の当たりにしただけで身が震え、己が直前まで何をしていたのかも忘れてしまうかのような、純粋な恐怖。カスミはその感情に、時間を奪われた。

 無邪気な笑い。ソーンのそれは、そう表現する他になかった。目の前にしている興味そそられるものを見逃さまいと大きく開かれた黒い両目、白い歯を合わせて剥き出しにする口角の上がった笑み、興奮を抑えることも知らない息を漏らす鼻。その全てが、純粋無垢な幼児にしか浮かべられないようなもの。そして、そこには明確な悪意があった。悪道だと分かっていながら、好奇心や快感のために否定されることを厭わない感覚。そんな面倒なものに取り合うつもりもないと分かるほど、自分の覚えた意欲を実現することに対する躊躇の無さ。人としての経験や記憶が十年も積まれていればもう浮かべることの出来ないような純粋さと悪意の混じり込んだそれを、白髪の長身の女が浮かべている。その有様は、奇怪という言葉でしか言い表せない。


 カスミが時間を忘れても、時計の針は止まらない。彼女が恐怖で意識を失ったのは、ほんの数秒の事だった。だがその数秒が生み出した変化は、あまりにも取り返しがつかないもの。時間を巻き戻すことでしか成し得ない喪失。カスミはそれを知覚することですら、間に合わなかった。


 ジアが、カスミの母親が消えていた。ジアが立っていた場所に残っていたのは、彼女が身につけていた衣服と、満面の笑みを浮かべるソーンだけだった。

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