鉄心
同刻、シャルペス外壁の監視室内にて……
「デュアル。それも同系統能力の遺伝……ですか」
シャルペスで得られた研究の成果について、エボルブの首魁である立場からその内容を確認していたフューザーは隣のレドーに問う。対するレドーはというと、研究内容について話す時にはある程度緊張が緩和されるのか、淡々と自分達が積み上げてきた情報について報告する。
「そうだ。通常、シンギュラー同士の交配ではどちらか一方、あるいはどちらの能力も遺伝しない二パターンが主流とされていた。しかし、稀に発生するとされる両親どちらの能力も引き継ぐ現象、デュアル。シャルペスでのデータ分析によれば、発生頻度は十分の一を下回りはするが、やはり一定確立で起こるものだと分かった」
「なるほど。ふわ……ぁ。それで、同系統能力を二重に遺伝する、というのは?」
「その言葉通りの意味だ。同じような能力を持った個体同士が次の世代を残した時、より強力な一つの能力を持った素体が発生する。一例逃しはしたが、これまでに何件か確認されている」
「……これまで発見されていなかった新たなシンギュラーの遺伝、ですか」
シャルペスでの実験内容がインプットされた端末の電源を落とし、フューザーは再び欠伸をする。彼は今自分が知ることとなった情報が自身を友と慕う人間の運命を決定づけることになるとは、知る由も無かった。
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「ッ!!?」
(止められたッ? いや……)
ロンの刀は、リュウの命の簒奪という目的を達することなく制止した。振り下ろした刀を止める者がいるなどとは思っていなかったロンの思考は、驚愕と疑問とで埋め尽くされる。
刀を受け止めたのは、カスミ、彼女の両腕だった。先ほどの攻撃を受けた状態の体を持ち上げてリュウとロンの間に割って入り、肌を剥き出しにしたその両腕で、仲間を襲う凶刃をそのまま受け止めた。交差されたカスミの白い腕に、ロンの刀が食い込んでいる。腕と刀には赤い鮮血が伝っていた。しかし、断たれてはいない。刃は両腕を十分とした時の二分ほどまで滑り込んでいた。そんな中、出血する両腕を支えていたカスミは、その全身を震わせ、自分に命を奪う刃が迫ってくる恐怖と、それが体に侵入する痛みに耐えていた。刀が止まったという手応えから得られた情報を受け、顔を上げて状況を再確認したロンは、今の異様な状況を目の当たりにして改めて目を見開く。
「あ、あなた……ッ!?」
「く、ぅ……かぁァッ!!!」
「ッ!?」
瞬間、カスミの小さな体から、彼女の体躯では閉じ込められないほどの力が発露した。少なくとも、敵対する位置に立つロンがそう感じられるほどの気迫を彼女は放つ。カスミは痛みからの悲鳴とはかけ離れた本能剥き出しの声を上げると、両腕に力を込め、刀を振り払う。自分の身に食い込んだ刃物を振り払う際の痛みなど、度外視していた。その圧倒的な膂力を前に、ロンは刀を前に推し進めることが出来ず、刀を引き抜いて一歩下がった。
その刹那、両腕の激しい痛みに襲われているはずのカスミが、後ろに引いたロンを追いかける。彼女が蹴った床には、その体に秘められた力を表すように深いひびが入った。常人では反応すらできない速度での接近、しかし、最強と呼ばれるロンは既に回避や受け流しをするための態勢を整え、備えていた。だが、彼は次の瞬間、この圧縮された時間の中では答えを出し切れないほどの疑問に襲われる。
(どこから……)
カスミの攻撃姿勢は、腕、足、これまでに見せてきたどの予備動作とも似つかないものだった。腕を引き、足は敵に接近することのみ考えている。であれば拳が最も考えられる可能性だとも思われたが、これまで躱してきたものとは姿勢が違いすぎる。何より、幾度もの対人戦闘を経験してきたロンの知識の中に、今目の前に迫ってきているカスミの態勢からの攻撃のデータはなかった。
咄嗟の状況、そして幾つもの不可解に襲われたロンの反応が鈍る。その瞬間、彼は最強と呼ばれる人間ではなかった。
「いッ……!?」
ロンの左前腕に激しい痛みが走った。同時に、彼は生態的な本能と、ここは一度退くべきだという理性の両方に指示されて敵から距離を大きく取った。対するカスミは、それを追うほどの手段、余裕を兼ね備えてはいなかった。ただでさえ足に傷を負っていたのに加え、腕まで負傷した。彼女はその場に膝をつき、荒い息を携え、脂汗を額に浮かばせながらも敵をジッと見据える。
「はッ……はぁ……一体何を……?」
戦いが始まって以降、初めての負傷にロンは冷や汗を浮かべる。経歴上痛みには慣れていたが、そもそも怪我を負うような相手と思っていなかったという意外さと痛みの激しさから、彼は攻撃を受けた腕を目で確認した。彼の左腕は、まるで小さな円を描くような形で肉が削げ落ちていた。骨にまでは至っていないが、筋肉、皮膚もろとも千切り取られている。まるで、獣に噛み付かれたよう……
「……噛まれた?」
人との戦いだけではなく、人外とも戦ったことのあるロンは傷の正体に気付き、先ほどのカスミの攻撃が何であるかを理解した。顔を上げて見てみれば、カスミの口の周りは真っ赤な血で染まっていた。彼女はロンの問いに答えるように、よろよろと立ち上がった後で口に含んでいたものを床に吐き出す。湿気を含んだ柔らかいものが弾む嫌な音を立てながら、赤と白の混じったものが飛び散った。
(……なんて判断。獣人しかしないわよこんなこと。あの状況で、反撃の一手にこんなものを選んだなんて……。いえ、それよりも)
左腕が訴える痛みを無視しながら、ロンはたった今カスミがしてみせたことについて思考を回す。彼女は仲間であるリュウを守るように彼の前で仁王立ちをしながら、ロンと真正面から向き合っていた。
(体を起こすなんて出来ないはず。立つことすらままならないはずなのに、ああして飛び上がってみせた。というか、一発目の時点でもそうよ。あの時から既に彼女達の硬さを鑑みても、立つことは出来ても足を引きずるくらいの攻撃になってたはず。なのにどうして立って……)
ロンは自分の腕前を信じているからこそ、カスミに与えた攻撃、その際の手応えを信じていた。だが、ここまで状況が裏切ってくるのであれば、自分が与えた傷を疑わざるを得ない。ロンは半信半疑という表情で、改めてカスミの状態を見極めようと目を凝らした。その瞬間、彼はすぐに敵の体に起こっていた異様に気が付く。
(……出血してない、血が止まってる?)
カスミの体は既に全身が血だらけになってこそいたが、両腕、左足、傷を与えたはずの箇所からの出血が止まっていた。確かにロンが刀による攻撃を当てたはずのそれらの場所には、攻撃が当たった瞬間の出血の跡こそ残っているが、既にその流れは止まっていたのだ。本来なら有り得ない事態だ。攻撃を受けてから、古いもので一分そこら。人間の体は小規模な傷でもそんな速度で血が止まるようには出来ていない。
(カスミの能力、筋力の向上だけじゃなかったわけね。彼女の力は、あらゆる面での能力向上。再生力、筋力、瞬発力……。恐らく最も顕著なものが腕力だっただけ、刀を生身で受け止める筋力も、その後すぐに攻撃に転じる反応速度も……戦い始めた時はここまでじゃなかった。……人は戦いの中でしか成長できない。戦いの中でこそ、より大きな進歩を得られる。だけど、ここまでなんて……)
始めは実力を低く見積もっていたカスミという少女。だがその内情が、自分という実力者にすら一矢報いるほどの強さを持つ傑物であったことを知ると、ロンは改めて彼女と向かい合う。そして、リュウに見せたもの以上の好奇心を向けた。
(いいわぁ……! きっとこの先もっと強くなる。まだ、まだ立っててよね……)
笑顔を浮かべ、ロンは刀を構えなおす。その気迫たるや、衰える所は一切なく、寧ろ当初の頃より激しくなっているほどだ。そこに戦い以外への感情は露ほどもない。彼のその全身が、これからの強者との戦いを前にして狂喜で打ち震えていた。
「勝手なこと言ってんじゃないわよ」
「……ん?」
戦いへの高揚を抑えられないといった表情のロンを前に、カスミが口を開く。濃密な戦いの時を前に急に一体何事か、とロンは構えを解き、彼女の表情をうかがった。
カスミの表情には、相対するロンとは違い、興奮や高なりのようなものは見受けられない。その代わり、彼女が纏っていたのは赤黒い憤怒の空気。自らの血を幾つもの箇所から流し、口も真っ赤な鮮血に覆われた彼女は正に修羅そのものだった。今や気味が悪いほどの敵意を放つ最強と呼ばれる武人を前にして、カスミは恐れよりも怒りを覚え、鼓膜を突き破らんばかりの咆哮を放った。
「私の仲間に好き勝手言ってんじゃないわよ、このクソ野郎がぁッ!!!」




