岐路を立ち塞ぐ者ーカスミー
「……ん、よく見たら見覚えのある顔がいるわね?」
ロンは扉のない部屋の入り口に立ち、退路を断ったままカスミ、リュウ、フレイの三人の顔を見る。彼はすぐにその中に以前顔を合わせたことのある人物がいることに気付くと、リュウに興味の目を向けた。反して、リュウは鋭い警戒を顔に浮かべている。
「その節はどうも。もしかして、この場所を襲ったっていうのはあなた達? 今から逃げようとしてるとこかしら」
「…………見逃してもらえませんか」
「ん?」
再会も短く済ませ、リュウ達が敵であるかどうかということについてロンは問う。敵である可能性の高い相手を三人目の前にしているのに、彼には一切の緊張が見えない。平常、いつも通り、そんな言葉が似合う彼の空気に糸口を見出したのか、リュウはゆっくりと構えを解き、提案を口にした。
「前にあの場所で、僕はあなたを助けました。あなた一人でどうとでもなる状況だったことは理解しています。ですがここはどうか……」
「駄目よ」
初めから下手に出る選択肢は問答無用で突っぱねられる。その表情に敵意も憎しみも含んでいないロンだったが、今の行動に意志は通っているらしい。彼は腰の帯に提げた刀を左手に持ちながら、どうにか戦わずにこの場を切り抜けようと手段を探すリュウに言葉を返す。
「私はここに友達の頼みで来ているの。そしてその友達にはあなたに押し売りされたのとは比べ物にならないほどの借りがある。もちろん、あの時のあなたに感謝してないわけじゃない。でも、到底釣り合わないわ。あなた達と立ち会って倒し、捕えるというのを変えるつもりはないの」
「……そうですか。なら……」
飄々(ひょうひょう)とした顔つきでいながらも、その行動には一本の指針が通っている。この前につくった小さい借りだけではとてもこの場を切り抜けることが出来ない、そう判断したリュウは次に差し出す提案を可能な限り思考を早めて探した。
ただ、彼が試せそうな提案を見つけ出すよりも前に、すぐ隣でカスミが動き出す。彼女はリュウとフレイのいる場所から一歩進み出ると、離れた位置に立つロンに真っ直ぐ視線を向け、背筋を張って口を開いた。
「この街の住人はふざけた実験に付き合わされてたの」
「……ん?」
カスミの選択は、ただ誠実に話すこと。彼女は直前まで纏っていた戦い前の空気を取り払い、自分がこれまでその目で確かめてきたこの街の実情について、ロンに語る。
「街の皆は全員シンギュラーで、訳も分からないまま殺されて、詰められて……。何をしたいかも分からない実験に付き合わされて、もう既にいっぱいの人達が死んでるの。この部屋を出て、少し進んだところにはもうそういう人達が静かに眠ってる。私も、友達もそうなりかけた。私達はそれを止めたいの。何も知らずに、抵抗するなんて思いつきもしないまま死んでいくここの人達を助けたい」
街の構造、与えられる知識、習慣。その全てが街に暮らす人々の思考を偏らせていた。目と耳を直接塞ぐのではなく、感覚は閉じられていないと装いながら偽りだけを見せ続ける。この街は悪意が形成した出口のない迷路だ。カスミ達とて、イルがおらずに睡眠剤を打たれていたらどうなっていたか。この街で死ぬ人間は、自分が次に目を覚ますことなんて当たり前だと思いながら死んでいく。そうした景色を目の当たりにしてきたカスミは、その両の拳を怒りで震わせながら声を上げる。
「アンタはここのこと知ってた? もし知らなくて、今の私の言葉で初めて知ったのなら……確かめるのを手伝う」
「どういうこと?」
「さっき言った死体がある場所。それを見て、ちゃんと、アンタ自身にこの場所を守ることが正しいのかどうかを判断してほしいの。必要なら、私も一緒に行くから。それでもし、私達を止めるのを諦めてくれるのなら……下や外にいる職員の人達を逃がすのを手伝ってほしい。あの人達も被害者だから」
無茶な提案。言葉を紡ぐ自分自身ですらよく分かっていた。しかし、カスミはその胸に秘めた思いを折ることはなかった。
(真正面から向き合えば、きっと……)
相手がどんな人間であろうと、自分達がしようとしているのは悪意の塊のような街の解放。話して、その内情を知ってもらえさえすれば、考えが変わるはずだ。カスミは心の底からそう信じ、包み隠さず自分の意志を吐露した。
カスミの真っ直ぐすぎる言葉の数々。それを受けたロンは、興味深そうにまじまじと目の前の少女を見つめる。
「あなた、名前は?」
「……カスミ」
「ふぅん、カスミ。あなた面白い子ね」
これまで特段表情と思しきものを浮かべてこなかったロンの口元が緩む。それは、対面する三人からして見れば、純粋な、心底からの感情の発露に見えた。
だが、ロンがその笑みを浮かべたのは一瞬だけだった。
「けど駄目よ」
「っ……どうして!? アンタ達が協力してくれれば、助かるか分からない人達が何人も助かる、なのになんで……せめて本当のことを見ようとしなさいよ!!」
疑問が転じて怒りへ、カスミはロンに向かって声を張る。だが、力のこもった彼女の言葉に対し、返ってきた言葉はあまりに中身の無い言葉だった。
「どうでもいいから」
「どうでも……いい?」
ロンは空いた右手で顎に生えた髭をいじりながら、明らかに動揺するカスミとは反し、何ということも無さそうに話し続ける。
「自分が害を被らないような場所の事なんて、興味ないわよ別に。わざわざ私自身から積極的に首を突っ込もうなんて思わないわ」
「じゃ、じゃあ今アンタがしてることは何なのよ」
「これは友達の頼みだから。言われたことをするだけよ。それに、今あなた達に懐柔されてあげるのも、倒した後からやりようを考えるのも変わらないわ。まあ別に、面倒を買って出てまであなた達やここの人達を助けたいだなんて思わないでしょうけど」
無責任、思考放棄、ロンの放つ言葉は正にそれだった。カスミ達にとっては自分達や他の仲間達の生死すら分かつ大局であるというのに、彼にとって今の状況は友人につかいを頼まれた程度のものなのだろう。欠伸すらこぼしそうなロンの顔を前に、カスミは歯を食いしばって腹の底から湧き出てくる感情を吐き出す。
「ふざけんじゃないわ。アンタ、それでも最強って呼ばれるような人間なの?」
「あら、私の事知ってたの。それで、強かったら何?」
「自分のすることが何にどう影響するかとか、誰がどうなるとか、考えないわけ? 自分の力を、良いことに使おうとしようとは思わないの!? 力を振るうのには……それだけ、責任について考えるべきでしょ!」
「ん…………」
随分前、カスミはレフィに力の使い方を問うた。各々の体に含まれる力をどう使い、誰を助けるか。力は使いようでは他者を傷つける鈍器にも刃物にも、はたまた、誰かを救う盾にもなる。カスミは自分が信じるように力を振るい、レフィもまたそれを理解した。
だが眼前のロンは違う。この世界で有数と称されるまでの力を持っていながら、それが持ち、帯びる意味を考えない。到底、カスミには受け入れられない考え方だ。彼女が今口にした言葉は、ハッキリと敵意と嫌悪を露わにしたものであった。
「勘違いしてるわね」
カスミの否定にロンは表情を変える。彼は自分の意見に真っ向から衝突してきたカスミに対し、冷えた目線を向けながら彼女のそれとは対極的な考え方を語ってみせる。
「全ての力は自分のために使うものよ。少なくとも私はそうしてるわ。さっき友達の頼みであなた達を捕えるってようなこと言ったけど、それも違う。その友達が好きな自分のためよ。私がこれまで蓄え、誇示してきた力は全て自分のため。武力も、権力も、財力も、全て己のために使う。それが当然で、当たり前の事なのよ。あなたはすごく勘違いしてるみたい」
ロンはカスミをふと視界に入れると、彼女を哀れむように、嘲るように小さく笑った。
「この世界は力で全てどうとでもなる。逆に言えば、力がないことによって起こる不幸は全てその人自身の責任よ。それに至るまで、力を付けられなかった人間の責任。今のあなた達で言えばそうね……私に助けたいと思わせるほどの魅力がなかった、ってところかしら。それにここの人達に関しても、騙されてるってことにも気付かない知力に問題があるんじゃない?」
馬鹿にしたような物言いをしてロンは肩を小さく震わせる。刀を持ってない右手を口の前に置いて喉の奥で笑うその様子は、明らかにカスミに対する侮辱を含んでいた。
「クソッたれ」
カスミはロンが意見を変えないという事を理解し、自分を、狡猾な罠に嵌められていた街の人間達を笑われたことに怒る。両の拳を骨と青い血管が浮き出るほどにまで強く握りしめ、彼女は宣言した。
「話す必要はもうないみたい。ぶっ飛ばさせてもらうわ」
「あら勿体ない。私あなたの事気に入ってるのに」
「私はアンタのことぶん殴りたくてしょうがないけど」
「あは……出来るとは思えないけど。じゃ」
決裂を示す言葉を交わすと、カスミ、ロン、両者は構える。それと合わせて、カスミの後ろにいたリュウとフレイも態勢を整えた。
「ひれ伏してもらうわ」
ロンは刀の柄に手を置き、するりと刀を引き抜いた。人を殺し得る白刃、そしてそれを持つのにおよそ最適最強とされる人間を前に、人生の岐路を前に、カスミは全身に力を込めて向かい合った。




