突然の来訪者
朝日が昇り、白い陽光が緑の森に輝きを与える心地の良い朝がやってくる。太陽の光は深緑の森林に全く似つかわしくない研究所にも注いでいる。レプト達が休息場所に選んだ研究所だ。背の高いその建物は木々の背をゆうに超えるほどの高さで、異質なことも含めて非常に目立っている。
建物の一階の一部屋で、カスミは睡眠から起きる直前の浮遊感を感じながら眠り続けていた。彼女は寝返りを打ちながら、寝る前に考えていたことを一時的に忘れてその快感に酔っている。
だが、睡眠欲を充分に満たそうとする彼女をひどく悩ませる音が部屋には響いていた。
「おーい、おーい」
それは声だ。部屋に声が響いている。何度も何度も、まるで返事をしない誰かにしつこく呼びかけているようだ。
(チッ……色々あったんだから少しは寝かせなさいよ)
どうせレプトかジンだろう、そんなことを思いながら、彼女は舌打ちをして黙れと声の主に心の中で思う。そんな中、彼女は閉じた視界が明るくなってき始めているのを知覚する。眠気が覚め始めてきたのだ。同時に心地よさも薄れていく。彼女はそれに歯ぎしりをしながらも、黙って耳の辺りを枕に押し付けて外の音が聞こえないようにし、無理矢理寝続けようとした。
「早く起きてくれないかなぁ。あんまり僕にも時間があるってわけじゃないんだけど……」
声の主は独り言のように言う。圧を感じさせない声色と言葉だ。
だが、カスミはその声を聞いて少し経つと、目を閉じたまま眉を寄せる。
(……僕?)
彼女の頭の中で、声の主が言った言葉の一部分が引っ掛かっていた。それは、声の主が自身のことを僕と呼んだことだ。
(考えてみれば、男だけど、口調とか声色とか全然違うし……え、誰、え?)
微睡みは消え失せ、冷えた緊張感がカスミの心に忍び込んでくる。それは温度の低い気体が床を這っていくような、気味悪さを持っていた。
声の主は若い男のようだった。彼は話を続ける。
「君に事情を聞きたいんだ。この場所が何なのか、いつから君はここにいるのか。それと、この森で妙なことが起こっているみたいだから、その原因を知っているか……」
カスミの不安など知ることもなく、彼女と同じ部屋にいる声は問う。ただ、その問い方や声のかけ方が先ほどまでとは違う。
(……起きてるって、気付いてる?)
カスミは声の主の言葉の調子が変わったのを察し、心だけではなく体も固まっていくのを感じる。
彼女に問いかけた声の主は黙って返事を待っているようだった。先ほどの問い以降、声がしない。静寂の中で、カスミは思考に焦りという鞭を打って駆け足にする。
(どうする、どうするっ? 一旦逃げてレプト達に助けを……)
レプトとジンに助けを求めるという考えが第一に出てくる。だが、次の瞬間に脳内をよぎったのは、昨日のジンとのやり取りだ。
(……私でなんとかしよう。敵意は感じられないし、きっと大丈夫)
カスミは静かに心の内で一番安全な策を却下し、行動を取る決断をした。ゆっくりと目を開け、体を起こす。
「ああ、やっと起きた。おはよう」
わざとらしい声が聞こえた方向へ、カスミは体を強張らせたまま目を向ける。
「……?」
視線の先に立つ声の主を見て、カスミは眉間にしわを寄せた。それは、その人物が彼女にとって見慣れない装いで、それに加えて見たことのない特徴を持つ青年だったからだ。
カスミの部屋にいつの間にか入っていた人物は、レプトより少し大きいくらいの線の細い青年だった。彼はカスミ達が昨日の朝までいた街の人間達とは大きく異なる服装をしている。深緑が基調の、質素な和装を着ていたのだ。加えて、彼は腰に巻く黒い帯に刀を提げている。
そして何よりもカスミが驚いたのは、少年の耳だ。目の前に立つ少年の両耳は、人間のものとは違い、上に向かう先端がとがっていた。人のもののように丸みを帯びてはいない。それを見たカスミは、すぐに目の前に立つ少年が普通の人でないことを悟る。
「その耳……エルフ」
初めて見るものに、思わず彼女は呟いて自分が見たものを再認識する。
「ああ、僕達を見るのは初めてなのかな?」
自分を目にしたカスミの反応を見て、少年は彼女にとって自分が新鮮なものであると感じ取ったのだろう。彼は自分を指し示して言う。
「見ての通り、僕はエルフさ。見るのが初めてなのも無理はない。自分で言うのもなんだけど、僕達はものすごい閉鎖的で根暗な種族だからね。ともかく、おはよう。早めに起きてくれて助かったよ」
少し笑いながら彼は自分と自分達のことを皮肉気味に紹介した。カスミがとった反応を意外と思った様子はない。
柔らかい態度で起床を迎えられたカスミは、一瞬自分の置かれている状況を忘れ、ただ頷く。
「あ、ああ……どうも。って、そうじゃない! アンタ一体何者なのよ!? 人が寝てる所に急に入ってきて……」
カスミは言葉の途中、深く見知っていない人物と平然と対話しているという奇怪な状況であるということを思い出し、ベッドから飛び出る。そして部屋の中からは出ず、少年から距離を取って身構えた。
強硬な態度を取られた少年は、それでも全く気後れする様子なく柔らかい態度を取り続けた。
「それについては悪かったよ。人の居ない廃墟だと思ってたんだ」
少年はカスミの問いに謝罪で返す。その緊張感のない答えを受けて、カスミは全身に込めた力を緩める。そして、少年が本当に危険のない人物であるかを確認するように問いを投げかけた。
「……じゃあ、一体何のためにここに来たの? アンタは一体何者?」
「正直、こっちから先に聞きたいところだけど……」
カスミの問いに、少年は少しだけ面倒そうに頭を掻き、答えた。
「僕はリュウ。この近くにあるエルフの里の長、の息子。ここまで来たのは、最近この森で起きている妙なことを調べるためさ」




