カスミの思いとジンの責任
「また、気が滅入る話だな」
ジンの話が一通り終わると、レプトは深くため息をついて自分が手に持っていた缶詰をテーブルに置く。カッ、という軽い金属音が静寂に響いた。
「エボルブ……本当に、そんなことが……」
カスミはジンの話を聞いて、驚愕と薄い恐怖が入り混じった表情を浮かべていた。レプトやジンにとっては自分達に近い事柄であったのかもしれないが、彼女にとっては以前まで全く遠かった出来事だ。何か感じるところがあるのだろう。
「ともかく、俺達がこれに対してどうするか、だが……」
ジンはそんなカスミとレプトを見比べて問う。
「どうしたい?」
ジンの質問はとても単純なものだった。問われた二人は、顔を見合わせることすらせずに口をそろえて言う。
「助ける」
「助けましょう」
あまりにも簡単なやり取りを、複雑に考えることもなく二人と一人は終える。その後で、ジンは深くため息をついて呟いた。
「やっぱりな……」
「んだよ。前みたいに文句言って止めるのか?」
ジンのため息に反応して、レプトは元からあった顔のしわを更に深める。ジンの今の態度が昨日のことを思い出させたのだろう。
だが、レプトの言葉に対して彼は首を横に振る。
「いや、そういうことじゃない。今回の件は前回と全く違うし、何もせずにいたら寝覚めが悪くなりそうだしな」
「じゃあ何のため息よ」
カスミが目を細くして口にした問いに、ジンはまた息を吐いてぼやくように言う。
「今回は昨日のこととは訳が違う。それに、その助ける相手がどういう状況だか分からない。暴走、周囲の人間に傷を負わせるという行為が記録されていたことから、咎の外れたような攻撃的な状態だろう。だから……」
ジンはカスミを見て、言った。
「危険なことが起こる可能性が高い。痕跡を見るに、ゴロツキの連中とは危険度に大きく差がある。加えて、昼にあったフェイ達との戦闘とも違ったものになるだろう。奴らが俺達の命まで取る気はなかったのに対して、今回はそこの所の予想がつかない。……だからな、カスミ」
ジンは一呼吸置いた後、カスミの名を呼んで彼女の方を向く。だが、その時だ。ジンが再び口を開くより前に、バッとカスミが立ち上がった。
「なんて言うか分かったような気がするわ」
彼女はジンの方もレプトの方も向かず、部屋の出口の方に顔を向ける。そして途中に割って入らせることがないような淀みない口調でジンに問う。
「今回は命が危険になるかもしれないから、他人の私はやめといたほうがいいって?」
「……そうだな」
「……チッ」
自分が必要以上に気を遣われているという事実が気に食わなかったのだろう。カスミは大きく舌打ちをして、出入り口の方へと足早に歩いていく。ジンはそんな彼女の背に制止の声をかける。
「カスミ、おい待て……」
「一階は別の部屋にもベッドがあるのよね。私はそっちで寝るわ」
「ちょっ、まだ話は……!」
ジンが言い切るより前にカスミは部屋を出ていき、扉を思い切り閉めて彼の言葉をシャットアウトした。彼女が扉を閉めた時の音は彼女の心の波をそのまま表したような、ドガンッという大きな音だった。
扉が閉まる音を最後に、部屋には静寂が広がる。残ったのは、一行の一人が最大限に機嫌を損ねたことによる凄まじい気まずさだけだ。
そんな中で、レプトは半笑いで口を開く。
「やっちまったな」
言いながら彼はベッドに仰向けになった。それを一瞥もせずに、ジンは椅子の上で頭を抱えてうなる。
「クソ……どうして子供っていうのはこう……」
「まあそう言ってやるなって」
ジンがカスミについて悪態をつきかけたのを、レプトが声をかけて止める。そして、彼は先ほどのカスミとの会話を思い出しながらジンにも同じようなことを言う。
「カスミも、ジンが自分のことを守ろうとする理由が分かってない訳じゃないさ。逆に、お前だってカスミが積極的に行動を起こそうとする理由は分かるだろ」
「……まあ」
「どっちが悪いって訳でもないんだからよぉ。今回はまあ見過ごして、次こういうことが起こるまでに話合いとかしときゃいいんじゃないか。あいつが来てから次から次へと何かしら起こってるし、そろそろ落ち着いてくるだろうしな」
レプトはカスミにも折り合いをつけるように言い、今回もジンに話し合っておくようにというようなことを言う。
だが、ジンはその後押しに乗り気ではないようだった。深く息を吐き、背もたれに寄りかかりながら彼はぼやく。
「責任があるんだ、俺には。俺達とカスミは他人だ。だからこそ、絶対にあいつは傷つけられない」
「他人、ねえ。友達くらいには思ってやってもいいんじゃね? そしたら少しは気が楽になると思うぜ」
「……そんな簡単なものじゃないさ」
「そうか……」
ジンの深く沈んだ声に、レプトは仰向けになったまま、興味なさげに適当な相槌を打つのだった。
一方その頃、カスミは既に別の部屋に移ってベッドに横たわっていた。彼女は仰向けになって白い天井を見つめながら、額に指を当ててうなる。
「はぁ……」
(少しでも役に立ちたいのに……こんなんじゃ全然だわ)
彼女は負い目や後ろめたさを感じさせるため息を吐く。自分のため息の音がハッキリと耳に入ってくる静寂の中、彼女の思考は今の悩みより、自然と過去に向かっていった。
(お母さん、お父さん……。今、何してるかな)
彼女は、親元から無理矢理に離された年端も行かない子供だ。当然、気を紛らわしてくれる相手がいなければ、自分の傍にいるはずの大切な人間について思考が寄ってしまうのも無理はないだろう。彼女の目には、いつしか涙が浮かんでいた。
(言いつけを守って、待ってたのに。そうすれば、助けに来てくれるって言ったのに……)
誰が聞いているわけでもないのに、彼女は声を抑えて泣いた。まるでそれは、非力で何の力も持たない普通の子供のようだった。武器を持ったゴロツキも恐れない強靱な能力を持っているのに、彼女の心は強いわけではなかった。
いつしか、彼女は眠った。一晩では泣き明かせないような苦難を背負ってはいたが、連日の出来事による疲れが彼女を強く寝かしつけたのだった。部屋に響く痛々しい掠れた声は消え失せ、静寂が建物全体に広がっていった。




