いつかのための賭け
深夜。一行がシャルペスに訪れた初日が終わろうとしている時、カスミは一人、リビングに残って水を飲んでいた。他の者達は各々の場所で休んでいる。ジアとフレイは自室で、レプトやフェイ達も家の中で手ごろな場所を見つけて眠っている。皆が寝静まった中、カスミは過去の自分の部屋には戻らず、灯りを手元に置いて頬杖をつきながら何か考え事をしていた。
「眠れないのか?」
「……メリー」
カスミが一人物思いに耽っていると、リビングにはいつの間にかメリーが入ってきていた。どうやら、カスミは彼女の入室に気付かないほどボーッとしてしまっていたらしい。心ここにあらずな様子のカスミを目にすると、メリーはその隣に静かに歩み寄って座る。
「まあ当然と言えば当然か。今日は色々あったしな」
「うん」
「明日は長くなる。特にお前は朝からな。無理にでも休んでおいたほうが……」
「不安なの」
「……ん」
メリーがつらつらと形式的な言葉を並べている途中で、カスミがポツリと言葉を落とした。何かと思って見てみれば、カスミの小さな手はテーブルの上で柔く握りしめられている。メリーの目に映ったそれは、普段の強健なカスミからはうかがえない弱さの表出のようだった。メリーの目線には気付かないまま、カスミは小さく吐息をつきながら心の内を吐露する。
「街のこと、実験がどうのってこと。実は、そこまでショックじゃなかったの。だけど、私がこれからしようとしていることは、その……いろんな人のことを巻き込む。メリー達も、街の他の人達も。だから、私の拳には別の人の命が乗ることになる」
「重いと感じているのか?」
「そりゃそうでしょ。私なんかにはとか、思ったり……」
「カスミの口から私なんかって言葉が出てくるとはな」
「どういうことよ、それ」
小言を耳ざとく拾ったカスミは、目を細めて隣のメリーを睨む。彼女はくっくと喉で笑いながら、気楽そうに続ける。
「お前は強い奴だ。だからこそ私とあいつらはお前に賭けた。それがどう転ぼうが、賭けた私達の責任。お前が気負うことはないんだぞ」
「賭けってアンタねぇ。それに、そう簡単に割り切れないからこうなってんじゃない」
「それもそうか。……じゃ、こう言えばいいか。お前が失敗して私達も捕まったら、私達の人生は崩れる。全部カスミの責任だ。あ~あ、私も諸々が終わったら心に決めた人と余生を送りたかったのにな、カスミのせいで……」
「ぶっ飛ばすわよ」
「はっ、それでいい。勝手に私達がお前に賭けたんだ。賭け事で身を亡ぼす奴の事なんて、ぶっ飛ばすと思うくらいが丁度いい」
「んぅ……」
冗談めかして背負い込む必要はないと伝えたメリーだったが、その効果はいまいちだ。カスミは未だに俯き加減な頭を元に戻せないでいる。そんな様子を目にしたメリーは、回りくどい方法でアプローチするのをやめた。
「それにカスミ、忘れるな」
メリーは白衣の懐に手を突っ込んで立ち上がり、カスミに背を見せる。
「お前は賭場に一人で立っているわけじゃない。投げられた賽に乗った賭物を抱えるのは、私達六人全員だ。そうだろ?」
「…………メリー」
仲間がいるから心配するな、というメリーの言葉にカスミは顔を上げる。同様に、メリーも後ろの仲間を振り返った。その顔には、言ってやったという自信満々な表情がある。だが、そんなメリーに返ってきたのはカスミの疑問の表情だった。
「とばって何? それに乗り物の話してた?」
「んなっ……の、脳筋め」
「あ?」
「……六人で立ち向かうんだから、ゴチャゴチャ細かいこと考えるなって言ったんだこの馬鹿ッ!」
「あ……あーっ、そういうこと。なんか……はは、ありがとね?」
「こ、こんの……はあ、もう寝る」
カスミの純粋無垢な様子を前に、一人で空ぶったメリーは顔を赤くする。珍しく明確に弱みを見せた彼女だったが、それを長く晒すわけもなく、立ったその勢いでリビングを出ようと歩き出した。
そんな彼女の背中を感謝を込めた視線で見送るカスミだったが、一つ気がかりなことを思い出すと、これから寝ようというメリーへ遠慮なしに声をかける。
「そういえばなんだけどさ。聞いてもいい?」
「今度はなんだ?」
「昼さ、フェイと図書館行ってるとき……。あいつ、心に決めた人がいるみたいなこと言ってたのよ」
「あ~……うん。それで?」
「何か知ってるの? もし知ってたら教えてよ。からかいたいしさ」
カスミが聞いたのは、本当にただの興味から生まれた疑問だった。フェイが想いを向けている相手のこと。彼と親交の深いはずのメリーに聞けば分かると思ったのだろう。案の定、メリーは何か知っていそうな素振りを見せる。だが、いつもの通り彼女が質問の答えを素直に言うことはなかった。
「知ってるし、お前達もいつか知ることになる。だから教えない」
「またそれ? 教えないって……ん、いずれ知ることになる? 私達がフェイの好きな人のこと?」
「多分な。呼ぶと思うし」
「え……?」
「じゃ、私は寝るよ。おやすみ」
「あっ、ちょっと……!」
二度目の呼びかけに応じるのは面倒と思ったのか、メリーは後ろに手を振りながらリビングを後にする。暗がりに一人取り残されたカスミは、メリーが落としていった言葉の意味について呆けた顔をしたままその意味を探すのだった。
「呼ぶ……呼ぶって何?」




