とある研究日誌
3月27日
実験体の状態は良好。今日の実験に際して行った健康管理が行き届いているのが見える。こちらの準備も万端だ。シンギュラーでない通常の人間に特殊な能力を付加するこの実験がうまくいけば、大きな成果となる。これがうまくいって、すぐに一般人に使用することができるとはならないだろうが、もし、今日で成功を収めることができたなら……私は人の歴史が変わる瞬間を見ることとなるだろう。
3月30日
実験の結果は芳しくない。対象の健康状態には以前問題を感じないが、能力を得た様子はない。正直なことを言うと、期待を裏切られた気分だ。いずれ自分にも何か特別なことができるかもしれない、その足掛かりを掴むことができる、そんな風に強い期待を持っていたからだろう。再び先の見えない試行を繰り返すと思うと、少し気が滅入る。
そういえば忘れていたが、今日、実験体の様子が気にかかった。書き留める必要はないかもしれないが、一応記録しておく。
4月2日
個人記録の書き方について部長に注意を受けた。あまりにも私的な感情を出し過ぎているとのことらしい。この研究所に配属された日には、日記帳のようなものだ、と説明を受けたが、どうやら行き過ぎたらしい。最近、上の方達はピリピリしすぎているように見える。恐らく、こんなことを記しているから、今日も注意を受けるだろう。
4月7日
今日から実験体に新しい薬品を投与することが決まった。しかし、あまりにも早い。前回の実験が失敗に終わってから時間が経っていないのに、次のものに入るのは実験体にも影響があるだろう。それに投与する薬品だが、安全性の確認が足りていない。これではもし成功したとしても、人間に使用することはできないのではないだろうか?
4月8日
検体に能力が宿った。しかし、実験の成功に酔う暇はなく、実験体が暴走を始めた。安定剤を打ち込むことで何とか鎮圧できたが、これでは成功とはいえないだろう。
4月10日
同様の薬品の投与を続けるらしい。私は反対だったが、方針を変えるほどの権限が私にあるわけではない。実験は続くようだ。実験体の状態は悪化していくばかりだ。上の方達は何やら結果を急いでいるらしい。だが、このままではあの検体は……
4月17日
5日前、安定剤の投与がミスによって遅れ、止めに入ったところ、実験体の攻撃を受けて右目を失った。私以外の職員に怪我はないらしい。実験体の状態にも大きい損傷を出さぬまま暴走を抑えられたようだ。結果としては悪くない。私の右目も、もう戻ることはないが、既に痛みは消えた。今の医療は目を失うほどの怪我でも数日で現場に復帰させられるのだからすごいものだ。
……記したいのはこんなことじゃない。頭の真ん中まで響くような、気が狂いそうになる熱さに焼かれて消えゆく意識の中で、見えたものがある。私の目を焼いたあの実験体、いや、あの少女の目は……
4月30日
異動だ。私はこの研究所を離れる。だが、心配なのは食いぶちじゃない。あの少女だ。この研究所は近いうちに廃墟となるだろう。他の研究員達はあの子の能力の出力を上げることにしか目が行っていない。結果は出ている。だが、あの調子ではもはや安定剤がどうのこうのと言っている場合ではなくなる。私達のような無力な人間達ではなく、武力を持つ人間でなければ彼女に安定剤を打ち込むことはできないだろうからだ。だが、こんな後ろめたいやり方を取っているのだから、大手を振って助けを求めることもできない。軍人に口利きできるのは有力な研究員だけで、ここにいる者達の中にはそんな力のある人間はいない。寧ろ、そういう権力を手に入れようと上の方達は結果を急いでいるのだろう。
もし、これを読んでいる者がいるのなら頼みたい。もしこの研究所内か、研究所の周囲に火を扱う能力を持つ少女がいたなら、このデスクの下に隠してある安定剤を打ち込んでほしい。そうしたら正気に戻ってくれる。そして、伝えてくれ。この世はそんな悪いものじゃない、と。




