友人達
カスミがフェイと並び隠れていた本棚から飛び出した先には、二人の少年と少女がいた。緑の髪の眼鏡をかけた少年に、金の髪を腰ほどまで伸ばした少女。二人は揃って好奇心を含んだ目を輝かせ、カスミ達が隠れていた場所まで向かってきていた。姿の分からない隠者を暴く直前、その者が眼前に飛び出してくると、二人はあっと驚いた顔をする。
「わっ!」
「ぎゃっ……って、んぅ?」
「……あれ」
少年が頭を抱えて震え出したその隣で、金の髪の少女は驚きの後で怪訝そうにカスミを見た。同様に、カスミの方も二人のことを目に留めると意外そうに目を丸くする。二人の少女は少しの間確認するように顔を合わせると、その後、お互いを指差して笑顔を浮かべた。
「イルにララじゃないッ!」
「カスミ……こんな所で君に会えるなんて思ってなかったよ。でも、嬉しいなぁ」
カスミは金髪の少女をララと呼んで彼女に走り寄る。ララはというと、丸っこい顔に柔らかい笑みを浮かべ、カスミの差し出された手を掴んで再会を喜ぶ声を上げた。
そんな二人のやり取りを目にしないながらも耳で聞いて状況を理解したのか、怯えて体を丸めていた緑の髪の少年イルは顔を上げる。そして、しっかりとその目でカスミのことを視界に収めると、すぐさまその表情から恐れが吹っ飛んだ。
「戻ってきてたんだ! いつぐらいにここに?」
「えっ……ああ、今日よ。それもついさっき」
「そうだったんだ。それにしても久しぶりだね。もう一か月くらいだっけ?」
「前の簡抜以来だから、そのくらいかなぁ~」
イルが首を傾げて口にした疑問に、隣のララが緩く悩んだ後で答えを返す。そんな二人を前に、カスミはこの街に戻り、真実を知ってからは浮かべていなかった笑顔を取り戻す。カスミは旧知の間柄であるらしい二人の会話を、どこか遠いものを見る目で眺めながら、自分は曲がりなりにも故郷に戻ってきたのだという実感を胸に抱いていた。
ただ、そうして友人との再会を三人が楽しんでいた時だ。ふと、イルの表情に翳りが差す。彼の顔には、先ほどのカスミとの再会によって雲隠れした恐れが若干浮かび上がっていた。その視線は、先ほどまでカスミが隠れていた本棚、つまり、今はフェイが一人で隠れている場所に向かっている。
「ねえカスミ。そこの後ろにいる人は誰?」
「……っ!」
(……俺のことが分かるのか?)
フェイが隠れているのを予め分かっている風なイルの言葉を聞き、当のフェイは動揺と焦燥を覚える。依然、彼やレプト達の存在がシャルペスに住む彼らにとって異質であるのは変わらない。カスミの友人とは言っても、姿を明かすことには一定の危険が伴ってしまう。フェイはこの状況で、素直に出ていくか、それとも姿を見せずに姿をくらませるかの判断で迷う。
ただ、そんな彼の逡巡をぶつ切りにするように、カスミは背後を振り返って気楽な声を上げた。
「出てきて大丈夫よ、フェイ。二人は私の友達だし、どっちみち隠れられないから」
「…………そうか」
カスミの言葉を受けながらも一瞬だけ自分の判断を挟み、フェイはイルとララの前にその姿を晒す。二人はフェイの存在を改めて目で見て確認すると、強い好奇心の光を目に宿し、それぞれ問いを投げていく。
「あっ、あの……カスミとはどこで知り合ったんですか?」
「この街の外だ」
「そうなんだぁ。カスミとはどういう関係なのかな?」
「仲間……友達。そんな所だな」
「はぇ~……てっきり彼氏かと思ったよぉ」
「「は?」」
ララの突飛な言葉に、カスミとフェイは彼女のことを信じられないと顔で叫んでいるかのような表情を浮かべ、直後、同時に笑い始める。
「ぶくははっ! んなわけないでしょララッ!? 私がこんなナヨそうな奴好きになる訳ないって!」
「あぁ?」
「ん……変なこと言った?」
「……ナヨいだ何だ言われる筋合いはないが、俺には相手がいる。冗談でもこんな小娘なんてあり得ないな」
「誰が小娘って?」
「自分のことだと分からなかったのか? いや、もっと特徴を捉えて言ってやるべきだったが……腕力ゴリラ小娘」
「じゃあその自慢の腕力でアンタの奥歯ぶち抜いてやりましょうか?」
「やってみろよ」
ちょっとしたことから言い合いを始めたカスミとフェイは、互いを強く睨み、歯を剥き出しにする。そんな危なっかしい二人のやり取りを見ると、イルはこの状況をどうしようかとあわあわと慌てふためき、ララはクスクスと小さく笑った。
「ど、どうするララ……君が変なこと言うからだよッ!」
「別に? 仲よさそうじゃない?」
「どこが?」
「じゃれ合いも長く続きそうだし……私は本返してくるね~」
イルが二人の喧嘩を見て焦っているのに反し、ララはそれを面白がってしかいない。大した問題も起きないだろうと思ってか、彼女は未だに言い合いを続けている二人に背を向け、彼女がこの図書館に訪れた当初の目的を果たしに行こうとする。
その時だ。カスミと言い合っていたフェイの目の端に、異様が目に留まる。それは、ララの背にある髪の周囲で起こった。
「鎖なきゃ何も出来ない軟弱野郎、ぶっとばして……」
「ちょっと待てカスミ」
「……あ? 何よ」
フェイはカスミの暴言も咎めず彼女がいきり立つのを制止し、ララの方に体ごと向けてその異様を観察した。
その異様とは、ララの長い髪の動きとその状態だ。背中を覆い隠すまでに伸び、ボリュームのある彼女の金の髪の一部が、線の細かい網かごのような形を為していたのだ。その髪の中には小説や漫画が小さく積み立てられており、ララが意識して持っているのであろうことは間違いなさそうだ。加えて、その髪のかごに収められた本を、別の余った髪が触手のように次々と摘まみ、近くの本棚に戻している。
そしてフェイの目に留まった何よりの異様は、その明らかな異常事態にイルもカスミも特別な反応をしていないという事だ。二人はフェイが驚きで固まっているのを尻目に、身の回りの事やらを話している。
「お、おい……その髪」
「え、私?」
フェイはララの髪が起こす異様の答えを得るのに、彼女自身に問いかけることにした。
「そう、君だ。その髪は自分で操ってるのか?」
「まあ、そうだけど。どこか変だった?」
「変……というか、なんというか」
「変だったんだ……」
目の前の少女はシンギュラーであった。ただそれだけのことだというのに、フェイは何か胸に引っかかるものを感じ、考え込みながらララの言葉に適当に返事を返す。そんな彼の素っ気ない態度を見たララは、いたずらっぽく笑うと、一目で芝居と分かるような雑さで泣きまねをし始める。
「うぅ……私、外の人から見て変だったんだ……うえんうえん」
「は?」
目元を両手で覆って泣き声にも聞こえない声を上げるララを前に、思わずフェイは戸惑いと若干の苛立ちを覚える。だが、そんな彼に味方する者はこの場にいなかった。どうやらララの芝居は彼女の友人であるイルとカスミには見抜けないものだったらしい。イルはララをかばい、カスミはフェイに詰め寄る。
「ララ、大丈夫? そんなに泣かないで……」
「うん、うん……うぇん」
「ちょっとフェイッ!! アンタ何ララのこと泣かしてんのよッ!?」
「い、いや……どう見ても演技だろ演技ッ!?」
「自分が泣かしたのに、こともあろうに演技って言った、今? どれだけ馬鹿にすれば気が済むわけ……」
「ちょっ……拳を下ろせカスミ。それと……おい、おいクソガキッ!!」
カスミの怒りの視線とイルの失望の目線に耐えかねたフェイは、まだ出来の悪い泣き真似を続けて目元を隠すララに怒声を飛ばす。明らかな怒りを向けられたララは、流石に潮時かと顔から手を離し、その満面の笑みを晒した。
「むふ……ちょっとした冗談だよ、そんなに怒らないで?」
「なんだ悪ふざけか。それならそうと早く言ってよ~」
「本気かと思ったわ。さっきは悪かったわね~フェイ」
「「「あはははは~……!」」」
ララを中心に、子供達三人は無垢な笑い声をあげている。カスミも外での旅を見てみると意外に思えるかもしれないが、シャルペスの中ではこんな風に過ごしていたのかもしれない。そういう風に思いを馳せることも出来なくはない場面ではあったが、茶化されたフェイはそのこめかみに青筋を浮かべていた。
(馬鹿ガキ共が……)
フェイは自分よりも一回り年下の子供達の手前、体の両脇で握り締めた拳を振り上げるのは我慢しつつ、自分が違和感に感じたことへの考察を挟んで苛立ちを鎮火する。
(……まあいい。それより、やはり何か変だ。……いや、そうか)
怒りが思考を乱すかと思いきや、フェイはすぐに自分が感じた疑問の答えに至る。それにまつわる複数の引っ掛かりも存在してはいるが、とりあえず彼は自分の確信が間違いないか、イルに目を向けて問う。
「君、イルだったな」
「え、あ、はい」
「君は何か、気配を感じるのが得意だったりするのか? さっき、俺が隠れているのが分かっていた感じだったが……」
「ああ、それは……」
フェイの問いを受けると、イルは自分の耳を示す。
「僕、耳がいいんです。それこそ、図書館の中に誰かいるってことが外からでも分かったくらい」
「なるほどな。……それで、もう一つ聞きたいんだが、いいか?」
「何ですか?」
フェイはその場にいるカスミ、イル、ララの三人、つまりシャルペスに元から暮らしていた者達を改めて見まわして問う。
「ここに暮らしている奴らは、皆がそういう特別な力を持ってるのか?」
「特別な力? ……まあ、それぞれ得意なことがあるって感じですかね。当然のことですけど、人それぞれ、違う得意なことを持っています」
「……そうか。はぁ」
イルの言葉はハッキリとしたものではなかったが、咀嚼すれば今の言葉は、この街の中で暮らしている者達が全員シンギュラーであることを示している。シンギュラーという言葉が使われていないのは不自然ではあるが、フェイはこの街が何故こんな形になっているかの一つの原因を知ることができた。しかし、彼が今感じているのは達成感ではなかった。
「カスミ、ちょっとこっちに来い」
「えっ、ちょっと何よ……?」
フェイが感じていたのは、仲間であるカスミへの苛立ちだ。彼はそれを隠すことはせず、戸惑ったままのカスミの腕を掴んで引っ張ると、イルとララからは少し離れた場所で彼女を問いただす。
「カスミ、どうして外で旅をしている時に今の事を言わなかったんだ?」
「えっ、いやそれは……その……言うほどの事なの?」
「なに?」
「そのことに関しちゃ、外もここも別にそんな変わらない気がするんだけど……」
「どこがだ。お前達みたいなシンギュラーは十人に一人か二人くらいだ。それが全員だなんて……」
「……っていうか私、シンギュラーって言葉自体最近知ったばっかだし」
カスミはフェイの詰問に対し、少し申し訳なさそうに目を逸らして返す。大分前の事だったが、確かに彼女はシンギュラーという言葉のことを知らなかった。自分のような存在を示す言葉であるというのに、だ。彼女はレプトとジンと出会った直後、ジンにそれについての説明をされている。その事実を知らなかったフェイは、納得のいかない様子でため息を吐く。
「それにしても変だと思わなかったのか? 旅をしてて、周りが自分達の暮らしてるところとは違うな、とか」
「でも私、外来てからずっと……その、普通じゃなかったの。最初は攫われたと思ってたし、逃げてからもレプト達との旅だったから。暮らしとかに関しても普通ってのは未だによく分かってないのよ……シンギュラーも、私とレフィとアンタがそうだし、レプトとリュウも強いから、私ほどじゃないにしても力が強かったりするもんだと……」
言葉を重ねていく内に、カスミは徐々に自分達の異様に気付けてもおかしくなかったという事を意識し、身を小さくしていく。そんなカスミを不憫に思ったのか、フェイは自分の額を軽く指で叩き、小さく彼女に頭を下げた。
「……いや、すまない。悪かった。最初から一緒にいなかったからか、よく分かってなかった。俺の方も気付くべきだったな」
街に暮らす人間が全てシンギュラーであるというのは、あまりにも大きい情報だ。それを事前に知ることが出来ていれば、周囲から察せられる妙な状態もそれと関連付けられたかもしれないほど。実験などに繋げるのは難しかったかもしれないが、外部で調査をするくらいの対応は打てたはずだ。それを後になってから知ったことで若干の焦りと動揺が出てしまったのだろう。フェイとカスミは、これからを考えるよりもこれまでのことで俯いてしまっていた。
そんな彼らの話を能力である聴力で聞き取っていたのか、それとも二人の雰囲気が暗いことを察してか、イルは恐る恐る二人の方へと歩み寄り、明るい声を出すように努める。
「それにしても、会えてよかったよカスミ。なんていうか、色々とタイミングが良かったって感じかな」
「……タイミング?」
吉報を知らせることでイルは二人の機嫌を戻そうとしたようだ。彼の楽しげな様子を前にして、その根拠が分からないフェイとカスミは顔を見合わせて首を傾げる。そんな中、イルの話した言葉から何かを察したらしいララが彼よりも先に二人の前へ進み出て、その吉報を笑顔と共に口にするのだった。
「私達、簡抜が決まったんだ。それも、明日」
その報せは、カスミとフェイにとって最大の凶報だった。




