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ヘキサゴントラベラーの変態  作者: 井田薫
シャルペス動乱編
302/391

帰宅

 カスミの家は二階建ての住宅だ。白の石材を基調にしながら、玄関の周囲、屋根などには黒の建材が用いられ、それがアクセントになっている。脇には小さい緑の庭があり、その生き生きとした草の伸びから手入れの行き届いているのが見て取れた。カスミ達の立つ煉瓦の道から家の玄関までには綺麗な灰色の石畳が敷かれている。その先には目に優しく写り込む薄茶色のドアがあった。窓の奥には日の当たる時間の今でも薄い明かりがチラチラと見える。これら家の外見は一切華やかには見えないが、誰かの帰る場所であるということをハッキリと見る者に柔らかく感じさせる。シャルペスの家々はそれぞれ間隔が広かったが、この家に車両を停めておく駐車場は見当たらない。


「…………本当に、やっとね」


 レプト達にとっては、ただの一軒の家屋に過ぎない。だが、カスミにとっての目の前のそれは、自分が帰るべき、そして共にいるべき家族がいる場所だ。カスミは清々しい風になびく紫の髪に指を絡ませながら、これまで歩いてきた旅路を思い返す。


「……ただいま」


 小さく呟きながら、カスミは道から一歩を踏み出し、石畳を踏んだ。踏み慣れているはずの家までの短い道は、懐かしさと、これまでとは違う感覚を足裏に返してくる。長く家を空けて気持ちが高まっているのか、それとも旅路を経て自分の足の大きさが変わったのか。カスミは一歩一歩を踏みしめながら、玄関にまで向かっていく。

 ゆっくりとした足取りだったが、扉の前にまで辿り着くのはすぐだった。カスミの視界に、何度もくぐった家の入口が立ちはだかる。それに向かって、カスミは一瞬、どうしていいかを迷った。今回のように長い時間を空けて家に帰るということなど一度もなかったのだ。普通にドアを開くべきか、横のインターホンを押すべきか。ただ、そんな小さいことで迷うのは下らないと、カスミはフッと笑ってすぐにインターホンを押し、一歩下がる。


(どう……言うのがいいかな。ただいま? 帰ったよ……心配させてごめん、大丈夫だったよ……?)


 インターホンを押すという行動を取ったのは、直前になってどう両親に言葉をかけていいか、悩む時間が欲しかったためだ。カスミはレプト達と初めて会った頃では考えられない贅沢な悩みを頭の中で膨らませながら、その場で迎えを待つ。

 インターホンの高い音が鳴り響き、しばらく。カスミの前の扉は開かない。時間にしてたった十秒ほどだったが、カスミにはその時間が無限のようにも、早いようにも感じられた。悩むには短く、両親との再会には長すぎる。焦りと待ち遠しいという感情の間で揺れたカスミは、思考を捨て、衝動的にドアノブに手を置いた。


(遅い……もういい!)


 ドアノブに手を置き、下ろす。その瞬間、カスミは目の前の家の奥からドタドタと急ぎ気味の足音が聞こえてきたのを感知する。両親のどちらかが訪問者を迎えに来たのだろう。だが、それを知ってから行動に移すまでの猶予はなかった。カスミはドアノブを下ろした手を、そのまま自分の方に大きく引き、扉を開き切った。


「配給は少し後のはずだけ……ど」


 ガチャリという音と共に、玄関は開け放たれた。敷地を踏むのとは違うハッキリとした一線を越えたカスミは、顔を上げ、家の中を見る。小さな靴箱、奥に見える廊下、別部屋に繋がる扉、階段。以前までは当たり前のように毎日見ていたそれらの光景に目を馴染ませるよりも前に、カスミの目には一人の人物が飛び込んでくる。

 紫の長い髪をした女性だ。彼女は慌てて靴を履きながら、たった今扉を開こうとしていたようだ。手を扉の方に伸ばしていたのが外から開かれ、驚愕に目を丸くしていた。だが、彼女の視界にも、そんな些事さじなどどうでもよくなるようなものが映り込んだ。

 カスミと女性の目が合う。背の差は、そこまでないようだった。


「お母さん」

「……カス、ミ……?」


 カスミの顔には儚い笑みが。女性、カスミの母親の顔には驚きが浮かび上がる。母親は娘が帰ってきたことが信じられないというように目を見開き、我が子の体を上から下まで見回す。だが、それ以上の確認は出来なかった。カスミが、母親の胸に飛び込んだのだ。


「お母さんッ!!」


 母のことを呼びながらその胸に抱きつくカスミの姿は、とても怪力を持つ普段の姿からは想像できない、普通の少女のようだった。そして彼女のその行動は、母親にとって見た目の確認よりもずっと確信に近付くものであった。彼女は自分の胸に収まる娘の頭に優しく手を置く。そこからするりと手を下ろし、震える肩をさすった。そんな中、カスミは母が自分の感触を確かめているのにも構わず、まくしたてる。


「本当に色々大変だったんだからッ! 顔も分からないヤツらに誘拐されて、あちこち連れ回されて……待ってたのに助けに来てくれないし……もう、もうッ!!!」


 カスミは細い少女の声を上げながら、母親の体を両腕で抱きしめる。その間、彼女の母親は沈黙したままだった。だが、その両手はカスミの頭を優しく撫でている。

 母娘が親子の再会に浸っていた時だ。廊下の奥の方から、別の足音が聞こえてくる。先ほど家の中から聞こえてきた母親のものと比べると、重く、ゆったりとした足取りだ。それをむせびながらも耳にしたカスミは、母親の胸から顔を上げる。涙を浮かべた彼女の視界には、一人の男が映った。


「ジア、一体何が……」


 男は、カスミの母親ジアが長く家の中に戻ってこないのを心配して来たのだろう。ただ、玄関で起こっていることを目にする頃には、彼の目にあった薄い心配は驚愕に吹き飛ばされていた。


「カスミか……カスミ、なのか?」

「お父さん……」


 カスミは自分の父親を目に留めると、母親の体から手を放してそちらに目を向けようとする。だが、その時だ。今度はジアが、カスミの体を抱きしめる。固く、離れがたいという意志を直に感じるほど強く。母の胸中に視界がうずめられたカスミの頭上から、震える母の声が聞こえてくる。


「カスミ、ごめんね。お父さんと話したいかもしれないけど……少しの間、お母さんに独り占めさせて?」

「あ、はは……うん、いいよ」

「……おかえり」

「お母さん……痛いよ。私達、力強いんだからさ」

「そうね」


 カスミの視界は暗闇に包まれていた。だが、そこに不安は一切ない。母の胸の中にあり、すぐそこには父もいる。これ以上ないほど心を安らげることの出来る暗闇に、カスミは身も心も預けて目を閉じるのだった。 

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