その時、彼は出会った。
カスミがシャルペスという故郷に帰るための手段を手に入れたと聞き、レプトとリュウはニックの家にまで戻っていた。途中、彼らにとっては大きいとも言えない厄介ごとを挟みはしたが、彼らは暗くなるより前にメニカルにおける自分達の居場所まで戻ってくることができた。
エレベーターの操作に手慣れていないリュウの代わりにレプトが操作盤の前に立つ。とりあえずニックに初めに案内された魔女の隠れ家に行くよう操作されたエレベーターは、地上から十秒もかけずに部屋に辿り着く。静かな駆動を止めてエレベーターの扉が開いた先には、誰もいなかった。リュウと並んで部屋に入ったレプトはザッと室内を見渡し、首を傾げる。
「……あれ? あいつらいねえのか」
「多分だけど、奥でご飯の準備でもしてるんじゃない? で、カスミとかメリーとか、料理できない二人は別の階ってとこかな。僕は奥のキッチンを見てくるよ」
電気が点いているということから人がいない訳ではなさそうだと判断したリュウは、足早に奥のカウンターより先へと向かっていく。動きの速い彼に置いていかれたレプトは、当面の所ついていく必要もないかと思い、室内の手近な椅子に座った。
「……あいつともここまでか」
広い部屋の中、一人取り残されたレプトの思考はカスミとの別れに向かっていく。直前にリュウと話したばかりではあるが、一人になるとそのもどかしさも強く感じられたのだろう。彼はため息を吐きながら膝の間で両手を組み、目の前にした別れにどう向き合うかを考えていた。
「……ん?」
レプトが若干の悲しさとやるせなさを抱えていたそんな時だ。彼の耳に、聞き慣れない音が入ってくる。歌だ。ハイテンポな旋律と低音の楽器の音を下地にし、その上に激しくはあるが調和のとれた音が入っている。メインとなる男の歌声をより主張させるために良く組まれた譜面だ。無論、レプトにその方面の知識があるわけではないため、そういった分析は出来なかった。しかしそれより、レプトの心と本能的な興味にその音は触れてくる。
「…………」
レプトは椅子から立ち上がり、釣り糸で引っ張られるかのように歌の聞こえる方へと歩いていく。それはどうやら壁を隔てることもなく、この部屋の中にあるようだった。レプトは他に誰もいない部屋の中、誘われるようにして音源の方へと向かう。
それは、魔女の隠れ家のカウンター、その端に置いてある小型のスピーカーから流れていた。レプトはそのスピーカーの前まで辿り着くと、手近な椅子を引いて座ることもなく、ただそこに立ち尽くして歌を聞いた。音楽や歌に知見のない彼は、ただただ興味と好奇の心持で歌に向かい合う。レプトはそのまま、他の一切の音を立てることなく、耳に入ってくる歌を聞き続けた。
「やっ、レプト」
「……ぬわッ!?」
スピーカーから流れてくる歌を聞くのに夢中になっていたレプトの背に声がかかる。唐突な出来事に、レプトは変な声を上げてその場から飛び退き、慌てて後ろを振り返った。彼の背後には、ニックが立っていた。彼女は目尻を歪ませ、口の端を釣り上げてレプトに問いかける。
「随分と夢中だったね、好きなの歌?」
「いや、その……なんていうか」
ニックに問われると、何か恥ずかしいことをしていたわけではないのに、レプトは顔を赤くして俯く。そんな彼に気遣ってか、ニックは彼の横を通り過ぎ、スピーカーを操作しながら今流していた曲について語る。
「これは確か、ストレンジャーズってバンドの曲だよ。一年半くらい前にリーダーのビルドスって奴が立ち上げた、期待の超新星とまで呼ばれてるバンドさ」
「……そうなのか。そいつが歌ってんのか?」
「確かそう。ボーカルが今言ったビルドスだったかな。他の面々は、彼が集めた仲間だって話」
ニックの話を聞いている内に、レプトは一人で歌を聞いていた所を見られたという気恥ずかしさより、今聞いている歌をつくった者達に興味を向ける。彼はスピーカーの方に目を向けながら、ニックの話を聞く。そこにビルドスという人物がいるわけではなかったが、彼はその歌の聞こえる方へとジッと目を向け続けていた。
「彼のすごいのが、アグリであるのにも関わらずこの人気を誇るってことさ」
「アグリ……? これ、歌ってる奴がか?」
「そう。最初こそ叩かれてたけど、結局そういう奴らは叩きたいだけの奴らとか、見た目しか見てない連中でね。そういうのを突っぱねて活動を続けて、今じゃすごい人気になってるんだ。彼らもいろんなところを回りながら歌ってるよ」
レプトはビルドスという人物が自分と同じアグリであるという事を聞き、ニックの方を振り返る。もっと聞けば、そのビルドスという人物は大衆の目に当たる所で歌を続け、人気を獲得したというではないか。ニックのその話を聞き、レプトは息を飲んでスピーカーを振り返る。
「俺と同じ、なのに全然……」
憧れなのか、それとも嫉妬なのか。レプトは自分の胸に手を置き、話中のビルドスという人物の姿を想像する。自分に投げられる心無い言葉を意にも介さず活動を続けているのか、あるいは傷つきながらも走り抜けているのか。ともかく、今も耳に入ってくるビルドスの歌は、レプトの心を大きく動かす一欠片になっていた。間近にいながら彼の心情を量りかねたニックは、とりあえずという形で彼に笑いかける。
「レプトがこの歌を気に入ったんなら、そうだな……これを上げるよ」
「……えっと、ケータイ?」
ニックは近場の棚をガサガサと漁ると、レプトにフェイ達が使っていた連絡機のような機械を渡す。それらと比べて画面の液晶は少し小さく、起動させても暗証番号の入力を求められない。何かと首を傾げているレプトに、ニックはペラペラと解説する。
「それはランマンっていう音楽聞く用の端末だよ。歌とか曲しか聞けないから、他の端末に遅れとって使い道ないんだけど……旅をしてる君の暇潰しくらいにはなる」
「……いいのか?」
「だーいじょうぶだよ。在庫処理みたいなものだしね。充電器と、イヤホンとかヘッドホンとかつけるよ」
「マジか。……ありがとうな」
ニックの優しさに対し、レプトは素直に礼を言う。それに対し、ニックは肩をすくめて何でもないと示す。
「メリーとフェイの友達だしね。……ああそうだ、レプト達の前では二人はどんな感じなの? それを聞かせてよ。お礼代わりにさ」
「ああ、そんくらいならいくらでも話してやるぜ。まずメリーはな……」
返礼として親友についての談笑を求めたニックにレプトは笑いながら二人について話そうとする。そんな時だ。
「ニック、レプト。準備できたから、お前達も来てくれ」
フェイが、カウンター奥のキッチンから現れる。彼はレプトとニックを見つけると、二人にこっちだと手を上げて示す。そんな彼の姿に、レプトは何事かと首を傾げる。
「準備って何の話だ」
「……君の仲間の事でしょ? 夢中になり過ぎだよ」
「あっ……そっか」
直前まで一番に心配していたことを、夢中なことを前にしてすっかり頭から消し去ってしまっていたレプトは頭を抱える。そんな彼の肩にやれやれという風で手を置きながら、ニックはフェイの方へと二人で向かっていくのだった。




