迷子
漆黒の夜空を深い藍色に照らす月の下に、標なしでは確実に迷ってしまうだろう広大な森があった。その森は木々の幹や葉が邪魔して月光が地面にまで届かず、全体が暗闇に包まれている。耳を頼りにしようとしても聞こえるのは葉がこすれる音と虫の高い鳴き声だけだ。
そんな夜の森を、標なく歩く人影が三人。レプト達だ。彼らははぐれる者を出さないようにするためか、できるだけそれぞれの間を離さずに歩いていた。
「……ねえ、夜に入るくらいには、エルフの里に着くって話じゃなかった。もう大分予定の時間を過ぎてると思うんだけど」
一行の一人、カスミが隣を歩くジンに調子の低い声で問う。暗闇で表情はよく見えないが、声色からだけで分かるほど彼女は不機嫌なようだった。ジンは彼女の言葉にため息交じりで答える。
「どうやら迷ったらしい」
「……最高。野宿でもする?」
「有り得るな。このままエルフの里が見つからない可能性もある。そうなれば、このまま夜間を歩き続けるのは危険だ。ある程度で探索を切り上げるしかない」
半分冗談で言ったことが一瞬で肯定されたのを受け、カスミは頭を抱えて呻く。
「攫われてる時でも屋根がないとこで寝たことないのに……」
どうやらカスミは野宿を経験したことがないらしく、随分それが嫌なようだった。そんな彼女は、先頭を歩くレプトの背に声をかける。
「ねえレプト。アンタの目って遠くは見られたりしないの? それで、人がいそうな建物とかを探すっていうのはどう?」
カスミの言葉を受けると、レプトは一度足を止めて二人を振り返る。そうする彼の顔は普段とは違い、フードに覆われていない。人目がない場所であるため、隠す必要がないということだろう。夜の暗闇に彼の異質な黄色い左目が光る。彼は丁度その目を指し示して話す。
「俺の目は夜でもよく見えるってだけで、遠くが見えたりするわけじゃない。見えるのは人の目と変わらないくらいだ。カスミが思ってるほど便利なもんじゃないさ」
レプトは期待に応えられなくて悪いなと言い、肩をすくめた。
彼の顔面の左側は人間ではない皮質の部分が大きく占めている。同じように左目も人間のものとは違い、爬虫類のような黄色い目で、瞳孔は縦に細長い。その目は外見だけ人間のものと異なっているという訳ではなく、性質も人間のものとは大きく差異があるらしい。
カスミはレプトの謝罪を受けると、首を振って逆に謝る。
「いや、こうやって夜の間でも安全に歩けてるのはレプトのおかげだし、謝られることじゃないわよ。逆に、ごめん。アンタのその……なんて言うか……」
「身体的特徴がどうのこうのって? ふん、別に気にしてねーから謝んなくていいぜ」
カスミが言葉を詰まらせたのをつなぐようにレプトは軽い声で笑う。そして、後ろのカスミとジンに背を向けて歩き出した。背中越しに彼は明るい口調で話す。
「俺が気にしてんのは単純に見られたりすることじゃなくって、怖がられたり、嫌がられたりすることだからよ。カスミはそんな風じゃねえから全然いいさ」
「……そう」
カスミは不意に歩き出したレプトに置いてかれないように足を動かしながら話を聞き、少しだけ気まずそうな相槌を打つ。レプトは後ろで彼女がどんな表情をしているのか大方想像ができたのか、チラと後ろを振り返るだけで、あえてそれに触れずに黙って歩き続けた。
「……ん?」
そんな時だ。レプトが足を止めた。彼は遠くにある何かをよく見ようとしているのか、目を細めている。
「どうした?」
その様子を見たジンが問うと、レプトは振り返らないまま、視野の中にあるらしい何かから目を逸らさないようにしながら逆に質問する。
「なあ、エルフって確か、機械とか工業とかがあんまり好きじゃない亜人、だったよな?」
「……ああ。礼儀作法や歴史を重んじる亜人で、それが理由で閉鎖的な集団でもある。身体的特徴や能力よりもそれが最も濃い特色とも言えるほど彼らのその意識は高い」
「じゃあ、エルフの里にある建物ってどんなだろうな」
「背の低い木造のものが多いんじゃないか。資料でしか見たことがないし、予想ではあるが」
ジンは質問の意図は問わずに答え続けた。すると、レプトは一定の解釈を得たようで、視界に見える何かについて二人に説明する。
「少し前に行ったところに結構な大きさの建物がある。しかも、外見が木造って感じじゃない。都会に建ってる建物って感じだ。それに、周りに別の建物もないから里って風でもない。エルフの里以外の、何かの建物がすぐそこにある」
レプトが説明したことをそのまま受け取るのなら、森林に一軒だけ鉄やコンクリートでできた建物があるということだ。緑の森にそんな建物が建っているのはどう考えても不自然だ。
ただ、レプトの様子は冗談を言っている風ではない。ジンは怪訝そうな顔をしながらも彼に確認する。
「周囲に別の建物がないというのは確かか?」
「ああ、それだけだ。あと、明かりが全くついてないっぽいな」
「なるほど……奇妙だが、近付いて確認しないことには否定もできないか」
ジンはレプトの見たという建物について、自分達の目で見るべきかと思案し始める。そんな彼に、カスミは先ほどよりも幾分か明るい顔をして言った。
「じゃあ一回見てみましょうよ。もしかしたら、その建物に人がいて泊まらせてくれるかも」
カスミが表情を明るくしていたのは期待のためのようだ。その建物を調べれば、何らかの形で野宿を回避できるかもしれないと考えたらしい。
だが、そんな楽観的なカスミに対してジンは顔をしかめて言葉を返す。
「安全とは限らない。どんな人間がその中にいるか、予測がつかないからな」
ジンは前方にあるという建物にある程度の警戒心を持っているようだった。
「……そうかもね、確かに」
「ともかく、行って確認するしかないよな」
その目に件の建物を捉えるレプトは、二人の話に結局行ってみるしかないという結論を出す。それをカスミとジンも受け入れて頷き、三人は歩き出した。




