借り物
「なるほどねぇ」
店主がつくった料理を食べ進めながら、カスミはテリーに自分の事情と必要なものについて、その大概を説明した。コップに注がれた水の中の氷が溶けかけ、食事も終わりかけというタイミングでカスミはテリーへの要求を改めて口にする。
「シャルペスに行くために必要な通行証、それを持ってたら貸してほしいの。それか、持ってそうな他の奴を紹介するんでもいいから」
カスミはテリーに正面から向かい合い、熱心に頼み込む。彼女の必死な様子とは反し、頼みを受ける側のテリーは何という事もなさそうに顎の髭をいじっていた。彼は適当にテーブルの上の料理を摘まみながら、懐をまさぐってカスミに返事を返す。
「必要なのは……これだろうな」
テリーは料理を口に含みながら、懐から取り出したものをテーブルに差し出す。彼がカスミ達の前に差し出したのは、金色の細かい装飾があしらわれた一枚のカードだった。だが、それを見てもカスミとレフィは価値が分からない。二人が首を傾げて顔を見合わせているのを見たテリーはそのカードが何であるかを説明する。
「そいつは特別通行証明だ。分かりやすく言やぁ、どこでも行っていいですよ券だな。こいつを持ってりゃあ、基本的に出入りを拒まれたりはしねえ」
「本当!?」
カードの説明を受けたカスミは目を輝かせてテーブルの上のそれを見る。だが、その後彼女はすぐに冷静になり、一歩引いた目線でそのカードを目に入れた。テリーの説明からすると、これは相当に価値の高いものだろう。それを借りるとなれば相応の対価を要求されると考えたカスミは、カードから目を外し、頼みをする相手であるテリーに視線を向けた。
「流石にタダ、なんて行かないわよね。何か同じくらいのものを……」
「ああいや、別にこのまま持ってっちまっていいぜ」
「えっ」
テリーがスッと何もしがらみのない様子で口にした言葉は、カスミにとって非常に好都合なもので、同時に驚きの大きいものだった。カスミの隣で話を聞いているだけだったレフィも、その話の異様さに目を見開く。テリーの隣に座っていたライノとスタグは話の内容に深い注意を向けていなかったためか、二人共首を傾げていた。
視線の集まる中、テリーは気恥ずかしそうに頭を掻きながら無条件でカードを渡すことにした理由を語る。
「いや、お嬢ちゃんと丁度同じくらいの娘がいてな。こいつが可愛くて可愛くてしょうがねえのよ。俺は職業柄あっちこっち行ってっからあんまり会えねえけど、今はカミさんと故郷で仲良く二人でやってる。んで、あれと同じくらいの子が故郷に帰れないって悩んでるんじゃ、オッサンとしては手を貸したくなるってものなのよ」
「へえ……そうだったの」
テリーの身の上を聞き、カスミは納得の声を上げた。彼の話を聞いたカスミは、自分と父親の関係を思い起こす。テリーと同じように自分のことを愛してくれている父親を思い出し、カスミは家に戻るという目的をより一層心に刻み込む。その後、彼女は笑顔でテリーに頭を下げた。
「ありがとう、テリーさん。じゃあ、有難く借りていくから」
「おう。早いところ母さん父さんに元気な顔見せてやりな」
テーブルに置かれたカードを手に取り、カスミはそれを失くさないように懐にしまい込む。たった今、それは自分が家に戻る手段という意味以外を持った。テリーはそれがカスミの手に収まるのを、嬉しそうに、どこか遠くを見るような目で見つめるのだった。
「家族、ね」
柔らかい空気をテーブルが包み込む中で、一人、ライノは苦い顔をしていた。ほとんど敵意と表現しても間違いない顔で、彼は奥の歯を噛みしめ、テーブルの上に置いた手を固く握っている。すぐ横のスタグは、その細かい振動を捉えたのか、あるいは同じ言葉に同様の思いを抱いたのか、目を細めてテリーを見た。
そんな、些細な調子の変化に気付いたのか、カスミはシャルペスの一件に関する話から逸れ、二人に目を向ける。
「どうしたのよ。何かあった?」
「……別に何でもねーよ! 暴力女」
「ああ? ……ねえ、アンタって誰にでもそうなの?」
口をとがらせて毒を吐くライノにキレかかるカスミだったが、その怒りを一旦抑え、歯を食いしばりながら問う。それには、顔を背けるライノではなくスタグが苦笑いしながら答えた。
「あはは……いつもはもう少し大人しいんですけどね。僕も困ってます」
「大変ね。さっきあんなことした私が言うのはアレだけど、スタグはちゃんとしてるのに巻き添え喰らうかもしれないし」
「分かったような口きいてんじゃねえッ! この着やせ女ッ!」
「……ねえスタグ、この馬鹿ガキにだけ苦痛を与える方法はないの?」
「ひっ……ぶ、物騒なこと言うんじゃねえよ」
「僕も探してるんですが、残念ながらまだ……」
「まだ、じゃねえっ! そんなもん探すなッ!」
カスミの思惑から、体の不自由さが功を奏して苦痛を受けずに済んだライノは顔を青ざめさせてスタグとカスミを見る。隣でずっと過ごしてきているスタグにも攻撃的な意思を持たれていたことに彼は肝を冷やしたらしく、怒った声を最後に口をつぐんだ。
そんなやりとりを小さく笑いながら見ていたテリーは、ぬっと食卓から立ち上がり、ライノとスタグの肩を叩く。
「ほら、そろそろ行くぜ」
「え、ああ」
「行くっつっても……」
テリーの言葉に一応は従う二人だったが、そこに積極性はない。二人共ハッキリしない表情をしながら、通路に出るテリーについて行った。
「ちょ、ちょっと……」
店を出ようとするテリーを目にしたカスミは席を立ち、その背に声をかける。彼女の手にはテリーから手渡された通行証が握られていた。
「これ、価値のある大切なものでしょ? どう返すかとか、ちゃんと決めてった方が……」
「ああいや、いいよ。俺も今は旅をしてる身だし、必要になったらお嬢ちゃんの故郷に寄るなりするから。それに……連れの金で何とかなることが多いしなぁ」
「そう……」
テリーからしてみれば、渡した通行証の代わりになるものがあるらしい。彼にとってはそこまで重要なものではないようだ。それを聞いたカスミは少し手応えがなさそうに腰に手を置く。だが、そのすぐ一秒後には立ち直った。カスミはテリーに向かって通行証をかざすと、笑顔を浮かべて手を振った。
「じゃあこれ、大切にとっとくから。いつでも取りに来て。その時には、こっちからお礼も出来るようにしとくからさ」
「そうかい、楽しみにしとくよ」
カスミの満面の笑顔に対して小さく笑みを返したテリーは、ライノとスタグを連れ、後ろに手を振りながら店を去っていく。その背を、カスミは見えなくなるまで見送った。その懐にしまった通行証が確かにそこにあることを確認するかのように、ポケットに手を突っ込んだまま。
思わぬ機会と出会いに恵まれ、それが去ると、レフィは料理に手をつけながらカスミを見上げる。
「色々運がよかったな。つうこうしょう? 持ってるし、タダでくれたし」
「そうね。あの人にはちゃんと後からお礼をしないと」
「それにしても……変な奴だったな、隣の」
カスミが向かいに座るのを見ながら、レフィはテリーの横にいたライノとスタグという少年の顔を思い出す。二人の顔と意思を持ちながら、一人の体しか持たない異形の少年。レフィと同じく彼女の言葉でそれを思い返したカスミは、少し俯き、胸によぎる予感を口にする。
「何か……なんだろう。また会う気がするわ。二人とも、テリーさんとも」
「……それにしても」
カスミが真剣そうに呟く声が聞こえていなかったのか、真面目な顔をするカスミに反し、レフィは二ッと口角を上げる。彼女の視線は、カスミと、彼女の胸の方に向かっていた。
「カスミがあんな可愛い声出せるなんて意外だったぜ。あいつにゃいいもん見せてもらったな~」
「ちょっ……レフィ、アンタねえッ!」
「オレがやってもおんなじ顔すんのか?」
顔を赤くして睨んでくるカスミに対し、レフィは両手の指をワキワキと動かしていやらしい笑みを浮かべる。そんな彼女の顔に本気を見たカスミは、赤くしていた顔を青ざめさせ、席から立ち上がって後退った。
「ちょ、ちょっと……本気じゃないでしょうね」
「にへへ……今だッ!」
カスミが恐れる顔を浮かべているのを前に、レフィは勢い良く床を蹴って飛び上がる。彼女はカスミの体に覆いかぶさろうと大きく跳躍し、その両手両足を広げて彼女を押さえつけようとした。
「ぎゃあッ!」
カスミは流石の身体能力でレフィの飛びつきを躱し、彼女から逃れようと店内を慌ただしく駆け始める。そんなカスミの背を見たレフィはというと、その逃げる様を見て更に興奮したのか、舌なめずりをしてその場から飛び出す。
「待ちやがれッ!」
「やめなさい、離れなさいったらぁッ!!」
カスミとレフィのこのじゃれ合いは、店主が店内に戻ってきて空気が冷めるまでの間、しばらく続くのだった。




