虚実
「ふぅ……他愛ない」
リューゲルの集落での宴が終わってしばらく、一間を借り続けてメリーと飲み比べをしていたリータは、その頬を赤く染めながら上機嫌な様子で野外を歩いている。自分の住処に帰ろうとしているようだが、彼女がそうし始めて既に数十分は経過していた。飲み比べにおいて先に倒れたのはメリーだったが、リータも酷く酔いが回っているのは間違いない。彼女は浮ついた足取りと共に真夜中の森林をうろうろしていた。明かりが少なくなって遠くまで見渡せないほどの暗闇に包まれた集落でも、陽気な調子で歩き続けられるのは酒のおかげだろう。
「るんる~ん……強風に恐怖を感じた……ガハハハッ!! んぅ~……次は次は~……あぇ?」
下らないことを口走りながら放浪していた彼女は、そのぼやけた視界の中に違和感を見つける。人影だ。彼女以外には人の通りがなくなっていた集落の中を一人、歩いている者がいたのだ。その人影はリータが気付くより前に彼女の存在に気付いていたのか、真夜中に外を出歩く他の者に声をかけようと近づいてきた。
「あの、リータさんですよね」
「んぁ……君は、よ~……じゃない。レフィ達と一緒にいた……」
「リュウです。大丈夫ですか? 大分酔われてるみたいですけど……」
リータに声をかけてきたのはリュウだった。彼は千鳥足を踏んでいるリータのをことを心配し、わざわざ近くにまで来たらしい。少し不安そうな様子で彼女の肩を支えようとする。
「……あ、ああ。うん、大丈夫……情けない所を見せたな」
よく見知った人間に見られるならまだしも、全く仲の深まっていない人物に恥を晒してしまった。この事実はリータを急に冷静にさせる。彼女は頬の紅潮を纏いながらも、自分の頭をコンコンと指の関節で叩き、なんとか正気を保った。そして、自分より幾分か背の高いリュウの顔を見上げる。
「心配してくれてどうも。便所の途中だったのか?」
「ええ、まあ。ここはリューゲル以外のトイレの用意が少ないんですね」
「そうなんだ。催したら逐一出歩かなくちゃいけない。それが嫌な所の一つで……ん?」
他愛ない言葉から愚痴まで話題を繋ぎかけたリータだったが、とある記憶と目の前の光景の奇妙な合致にその口を止める。そして、その合致した内容を確認しようと、それを見つめた。夜闇で見間違えたのではないかという不安を潰そうと、彼女は目を細める。
「……どうしました、僕の顔に何か?」
リータが目を向けたのは、リュウだ。彼女はリュウの整った顔をまじまじと見つめる。そうしながら、リータは自分の思い付きの内容を確認しようと問いを投げた。
「いや、なんか……なあ」
「はい」
「私と君って、以前にどこかで会ったことがあるかな?」
「………………さあ。僕には覚えがありませんね」
リータの疑問を受けると、リュウは少しだけ思考の時間を取った後、肩をすくめて返す。その顔には一緒に疑問を解決してやろうというような積極性はない。彼はリータの顔を見下ろし、目を細めて彼女の様子をうかがっていた。
「う~ん……どっかで見たことあるような気がする。話したことはないのか……むむぅ」
リュウの調子には一切目を向けず、リータは頭の中の疑問を解消しようと四苦八苦している。研究職だった性分もあり、疑念は放っておけないのだろう。記憶のあちこちの棚を乱暴に開け回る様子が、その額のしわの深さからも読み取れる。
「……ああ、そうだ!」
しばらく一人で思考していたリータは答えらしきものを見つけたのか、声を上げて丸まっていた背をピンと伸ばす。何かを掴んだ様子の彼女を前に、リュウは手持ち無沙汰の左手を緩やかに腰に提げた刀の柄に置きながら、その答えを聞く。
「何か分かりました?」
「ああ。多分、私が君を見たのは……以前にいた研究所。そこさ。ちょうど、レフィに実験を施していた場所だった」
「……はあ。それで?」
「窓の外の森にいる君を見た。確か、君もこっちを見上げてたはずだ」
リータの言葉を受けたリュウは何かに確信を得たのか、小さく息を吐くのと同時に刀の上に置いた手に力を込める。そうしながら彼は喉の奥で笑い、右手で口元を抑えながら自分の考えを語った。
「それは僕で間違いないかも、ですね」
「おっ、やはりそうか」
「ええ。その研究所があった森の中に、僕らエルフが暮らしていた里があるんです。ほら、暴走状態のレフィを助けたのは僕達だって話があったでしょう? そうしたきっかけは、近くに住んでいた僕が森の異変に気付いたのと、レプト達が通りがかったことなんです」
リュウは何でもないと言う風に自分の考えを語り、リータに納得を促す。彼の説明は、リータがリュウの顔に覚えがあるという点においては筋が通っている。リータはその話を受けると、ああ、と声を上げて手を叩く。
「なるほど、それでか……。スッキリしたよ。君はあの研究所のことを前から知っていたんだね?」
「……そうですね」
リータが何気なく口にした一言に、リュウはその笑顔を少し引きつらせる。暗い闇の帳が落ちる中、その上ひどく酔いの回ったリータはそれに気付かない。
「レフィが外に出てくる少し前に気付きまして。僕としてはどう対処するか迷って、一応少しずつ見に行っていたんですが……いつの間にか廃墟になってましてね。何事かと探索したら、レプト達に会って……流れでレフィを救出することに」
「ほ~……」
リュウの補足の説明に、リータは気の入っているのか入っていないのか分からないフワフワした声で返す。彼女の中での疑問に説明がついたからか、その先に強い興味を感じていないようだ。眠そうに目をシパシパとさせながら、頭を前後に小さく揺らしている。
そんなリータの様子を見たリュウは、彼女の肩に手を置き、昼間に彼女がいた小屋の方を示す。
「もう深夜ですし、冷えます。ほら、戻りましょう」
「う~……ん」
リュウの手に押され、リータはうつらうつらとしながらその足を動かす。そんな彼女のことを、リュウは冷えた視線で見下ろしながら進むのだった。その時には既に、彼の手は刀から離れていた。




