カスミの策
フェイは部下達に指示を出してからしばらく、街の建物の屋上をまるで水切りの石のように飛び移りながら下の通りに目を配っていた。少し移動する度に立ち止まり、下方の路地などの目立たない所へも視線を刺し込んでいく。
(……いない)
下の喧騒から距離のある屋上の静寂の中で、フェイは少しの焦燥を感じる。
「連絡もない。まだ動いていないのか? あんな目立つ格好、見逃すはずもないが……」
フェイは独り呟いて、一度ため息を吐く。そして目をつむり、自分の額を右の中指の関節で叩く。
(こんなことじゃ駄目だ。クソ、余裕はもうないのに……)
彼が焦っている要因は、今現在ジン達を見つけられない、という一つだけではなさそうだった。その何かが彼の背に重くのしかかり、歩を重くしている。
その感覚にフェイが頭を痛めていた時だ。彼は背後に気配を感じる。
「ッ……!」
咄嗟に振り返る。すると、背後には剣を振りあげたフードの少年、レプトがいた。フェイは彼の姿を見た瞬間、自分の危機と、そしてチャンスを察する。危機感に加えて、目の前に躍り出てきた機会が、フェイの感覚を針ように鋭くした。彼は自分の右腕に仕込んだ鎖を操り、自分の頭へ振り下ろされる剣に向かわせた。そして動きを最小限に、鎖で剣を横に流す。レプトの持つ剣はフェイの顔に触れるか触れないかというほどの近くを通り抜け、そのまま屋上の地面に振り下ろされた。
「ふっ……!」
レプトの攻撃の後に生じた隙を突き、フェイは大きく後ろに飛びのく。そうしながら、右手の鎖を自分の元へ引き、勢いをつけてレプトに放った。鎖の先端の刃が、鉄のこすれる音を立てながら宙を走る。レプトはそれを、剣の身を盾にして弾いた。
フェイは自分の攻撃が外されたことを把握すると、顔をしかめて舌打ちをし、次の瞬間には目的を入れ替える。
(集合を……)
反撃から味方の集合に目的を一瞬の判断でシフトしたフェイは、左手を懐に突っ込み、黒い板状のものを掴んで取り出した。彼が手に持ったのは片手で扱えるような小さい携帯連絡機だ。フェイはそれを用いて部下達に指示を出そうとした。
だがその直前、再び背後から邪魔が入る。
「させない!」
レプトの攻撃を避け、ほんの少しだけ気が緩んだそのフェイの心の間隙を縫うように、背後の人物は彼が手に持った連絡機を蹴り飛ばす。その威力は凄まじく、金属でできたそれをいとも容易く破壊した。連絡機の基盤は無残に散らばる。
フェイが驚愕して振り向くと、そこにはカスミがいた。彼女は連絡機を破壊するために振り上げた足をそのまま利用し、踵をフェイへ振り下ろす。想定外に体勢を崩していた彼だが、地面を蹴って体を転がし、すんでのところで攻撃を回避する。
(くっ……まさかあちらから仕掛けてくるとは……)
自分だけが攻撃を当てることのできる距離感を取り、フェイは足を止める。そしていつでも鎖を振るえるように構えた。そうした時、やっと気づく。
(ジンさんがいない?)
敵二人を同時に視界に収めるような立ち位置を取ったフェイは、ようやく冷静になってそのことに気が回る。
そんな彼の思考に合わせるように、再び彼の背後から声がする。
「いい反応だった。防御にも隙が無い」
「っ……」
フェイが後ろを振り返ると、そこにはジンがいた。ジンは積極的に攻撃をしようという気はないらしく、ある程度の距離を取ってフェイを見ている。
「だが、足りない部分はあるな。まだ教えることは沢山ある」
「……またそれですか」
応えながら、自分の置かれている状況についてフェイは思考を巡らせる。
(こちらが追う者であるという隙を突かれた、ということか。……ここは通りから隔絶している。仲間がこの状況を見て駆け付けてくれる、なんてことには期待できない。……)
フェイの首筋に冷えた汗が一筋伝う。三人に囲まれ、仲間を呼ぶこともできない。少なくとも、今の彼に真っ向から戦うという選択肢は残されていない。
敵の三人、特にジンに集中して気を払いながら彼はこの場を打開する手立てを考えつつ、三人を攻撃する気にさせぬよう話を続ける。
「足りない部分を最後まで教え切ってくれなかったあなたのせいですよ」
「さっきも同じようなことを聞いたがな、フェイ。いつまでも他人に頼り切るのはよくないだろう」
「あなたに頼り切ってるわけじゃありません。現に、二年前より多少は成長しているでしょう?」
「確かに、そこは否定せんが」
時間稼ぎの会話の途中、フェイはこの不利な状況を脱する策を思いつく。
(多少汚くはあるが……仕方ないか)




