リューゲルの狩猟
「よっ、調子はどうだ~?」
「そっちこそ。話はもうよかったのかい」
樹上の小屋から飛び降り、己の能力と背中に装着したエアーロによって飛行するフリューは、地面で暴れ狂う大猪を俯瞰できる位置にホバリングする。リューゲル族の狩人達がその周囲を飛び回り、弓やボウガンで矢を放っているようだが、その効果は大きくないらしい。毛皮の上に矢じりがいくつも見えるが、大猪の勢いは衰えるところがない。空中を舞う狩人達に突進しようとしては上空に避けられ、大木にぶつかって鳴き声を上げている。巨大な牙に挟まれた鼻からは蒸気のような激しい息を漏らしていた。
フリューは大猪と狩人達の状況を大まかに把握すると、自分より前に鉄火場に着いていたワインドの隣に降り、その能力で自分と彼を支える。
「ああ。テキトーに終わらせてきたぞ。……あんまりうまくいってねえみたいだな?」
大猪の様子が上空から見下ろした時と一変しておらず、未だ健在であることにフリューは眉を寄せる。彼女の隣で緩やかに羽ばたき、その場で滞空しているワインドは背負った弓と、足の爪に持ったボウガンを示してフリューと状況を共有する。
「あのデカブツの皮が思った以上に分厚いんだ。いくら矢を撃っても打撃になってない。あいつを倒すには、不本意だけど、君の力が必要だと思ってたとこだ」
「んぁ? アタイがどうするってんだ」
「君の風の力を一点に集中させるんだ。そこに、僕の矢を乗せる。それで一発で仕留めよう」
策を口にするワインドの声色には不安があるようだった。彼は規則正しく両翼を羽ばたかせながら、不安げに大猪とその周囲を舞う仲間のリューゲル族達を見ていた。隣のフリューが彼のその視線に沿って先を見ると、そこには狩人達が苦戦している様があった。大猪に矢を放っても手応えがないのに加え、別の要因が彼らの敗色を強めているようだ。それは、リューゲル族達の疲弊だ。彼らは大猪が現れてから迎え撃つのに酷使していた翼を休めるためか、その多くが巨木の幹や地面にその足を下ろしていた。その様子を緩やかな風に乗りながら観察していたフリューは、ワインドに不安そうに言葉を返す。
「力を溜めるには時間がかかっちまうぞ。待ってる内に、集落の建物が壊されちまうかもしれねー。みんなもギリギリみてえだし……」
「ああ。僕達には長時間の飛行が出来ない。自分達で自由に上昇することも風がなければ無理だ。何より、今日は風が味方じゃない……あいつを誘導して危機を避けるのも考えないと」
「えぇッ! アタイあいつの肉食いてえぞッ!」
「なら、さっさと準備してくれよ。僕は足止めに行ってるッ!」
自らの作戦を告げるが早いか、ワインドはバッとその両翼をたたみ、フリューの風の抵抗を失くす。彼の体は少しだけ浮いたかと思うと、次の瞬間、地面へと凄まじい速度で落下を始めていた。フリューは隣にいたワインドがさっさと行動開始したのを目にし、彼女自身も焦って動き出す。
「やっべ、アタイも早くしねえと……」
彼女は周囲に落ち着けそうな大樹の枝を見つけると、能力で自分の身体をその上に飛行させ、着地する。体幹を安定させると彼女はすぐに眼下の大猪を見据え、その両手を腹の前に構える。拳一つ分だけ開けた両の手の平の間には、目には見えない風の力が集まっていく。不可視のそれは、彼女の近くを舞い落ちる木の葉が集まることで疑似的に形として見えた。フリューは目を瞑って集中し、両手の間にある力の塊を練り上げることに専念している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「食らえッ!!」
ワインドは急降下と同時に背負っていた弓を両手にとり、即座に矢を番え、引き絞る。彼が狙う先は、大猪の鼻頭の柔い部分だ。視界が下から上へと急速に流れていく中、風を切る音と同時に弦が小さく悲鳴を上げた。それを合図に、ワインドは弦からその指を離す。その瞬間、矢は低い唸り声を上げて発射される。ワインドの腕力と急降下の勢いが乗ったその矢は、吸い込まれるように大猪の鼻に飛んでいった。刹那、その矢尻が大猪の体に突き刺さる。同時に大猪が高い悲鳴を上げ、その体躯を捻った。
「こっちだ、デカいのッ!!」
ワインドは矢を放ち、大猪への攻撃を終えると、大声を張り上げてその翼を広げる。彼が大きく開いた翼には落下の抵抗がかかるが、彼はそれをうまく上空に受け流し、地面に対し直角に落ちていた体の進行方向を真横に変える。まるでスキーの斜面に乗っているかのようにその動きを機敏に変えたワインドは大木の幹を足で掴んで体を安定させ、大猪を見やる。大猪は奇声を上げながら体を打ち震わせ、ワインドに体を向けていた。どうやら、彼が自分に攻撃したことを理解しているらしい。目が合った瞬間、大猪はほとんど予備動作もなく、その巨大な足で地面を蹴った。
「ッ!」
まるでロケットのように発射された大猪を目に、咄嗟にワインドは飛び上がる。同時に、大猪の牙がワインドの留まっていた大木の幹に突き刺さる。鼓膜に響く嫌な音が周囲に響き渡った。何とか危機を脱したワインドはその翼で強く羽ばたきながら空中に居座り、大猪の突進の跡を目にする。大猪の牙は大木の体に深々と突き刺さり、その肌に大きな窪みを残していた。木全体が大きく影響を受けたのか、上空からは大量の木の葉が舞い落ちている。
「危なかった……」
ワインドの足元で大猪は木からその牙を抜き、頭をブルブルと震わせて周囲を確認している。どうやらワインドが上空に逃げたことに気付いていないようだ。だが、彼の姿を探してしばらく、標的が見つからないことに気付くと、大猪は視界の中に入る森の中の異物に目を向けた。同時に、鼻を大きく鳴らしながらその体もそちらへ向ける。
「っ、そっちは集落の方……! させるかッ!」
大猪が次のターゲットにしたのは、集落の建物が集まっている場所だった。緑の森の中で目立つそれが大猪の目には外敵にでも見えたのだろうか。威嚇するように蹄で地面を掻き、そちらへ突進する様子を見せる。
それを目にしたワインドは、即座に足に持っていたボウガンを大猪に向けて発射する。だが、弓とは違い機構を用いたボウガンの威力には限界がある。ワインドの放った矢は大猪の尻に命中するが、その厚い皮に突き刺さっただけで、その進行方向を変えるほどのダメージは齎さなかった。
「くっ……まずいか」
羽ばたきながらでは弓に矢を番えることは出来ない。ワインドは近くの枝に向かって滑空し、その両足で着地する。上がった息を整えながら弓を改めて構えなおすが、遅い。ワインドの目の前で大猪は彼に背を向け、集落の方へと突進しようと土を蹴る。地響きを起こすかのような足音を立て、大猪は草を踏み荒らし、進んでいった。ワインドに為す術はない。
だが、そのまま大猪の牙が集落を襲うかに思えたその瞬間だ。集落と大猪の間に、巨大な火の壁が立ち上がった。




