いつかの嘘吐き 一
静謐な森の中、まるで小動物が団欒するために森が両手を広げたかのように、ぽっかりと開けた場所があった。周囲には健康な樹木が生い茂っているが、その場所だけは背の低い草花が占めている。ただ、その広場には朽ちた大木の幹を支柱にして立つ小さい花々があった。その様子は、小さい数々の命のために大きな一つの命が土台になっているような、そういう風に見えた。少なくとも、その場所の真ん中に一人でいる少年にとってはそう見えていた。
少年は一人で刀を持ち、鍛錬をしているようだった。身の丈には合わない大人用の刀を、鞘に納めたまま彼は振るっている。その首筋には薄く汗が張り、その緊張感が近くの地面を走る小動物にまで伝わってくるようだ。
「……ふぅ」
鍛錬に一区切りがついたのか、少年は腰の帯に刀を戻して息を吐く。冷えた空気に、少年の吐息は白く足跡を残した。
「綺麗だね」
「っ……誰」
少年が鍛錬の余韻に浸ると同時に息を落ち着けていた時だ。動物すらも鳴き声を上げることを憚るような場所に、少女の声が響く。自分以外の存在がいることに全く気付かなかった少年は、声が耳に入るとそちらに反射的に目を向けた。
少年が視線を向けた先には、一人の少女が立っていた。短く透明感のある金髪を首の下あたりで切りそろえ、白く暖かそうな服装に身を包んだ儚げな様子の少女だ。彼女はふわりと飛んでいきそうな柔らかい笑みを浮かべながら、足元の花を踏まないように少年の方へとゆっくりと歩み寄る。
「君は……」
「私はリアっていうの。あなたは?」
「……リュウ」
「そう、リュウ。……エルフって本当に耳長いんだ~」
リアと名乗った少女は、幼き日のリュウに近寄るとその先端の尖った耳を遠慮なくつつく。同年代の少女に体の一部をいきなり触られたリュウは頬を薄ら赤くして身を引き、リアを睨みつけた。
「やめてよ、急に。……君はここに何しに来たの」
「別に。散歩だけど」
「散歩? ……里からは距離あるし、一番近い街でもちょっと離れてると思うけど」
「まあまあ。細かいことはどうでもいいでしょ? こういう時は、こんな可愛い子に会えた、ラッキーって思っとけばいいんだよ」
「…………」
わざとらしく上目遣いをしてきたリアに、リュウは冷えた目線を送ってそっぽを向く。その反応を見たリアはというと、クスクスと小さく笑って彼の隣に立った。
「リュウはいつもここで……修行? してるの?」
「まあ。毎日そうしてるよ」
「そっか。じゃあ……私もここに毎日来よっかな」
「……え? どうして」
急なリアの言葉にリュウは目を丸くして彼女の方に向き直る。彼が自分の方に目を向けてくるのが想像通りだったのか、リアは彼と視線がかち合うとニッコリと笑顔になった。
「なんだか、楽しそうな気がしたから」
「なんだよそれ。ふふっ……」
リアの根拠の感じられない曖昧な言葉にリュウは眉を寄せる。ただ、そんな中でも薄い笑みを浮かべ続けるリアを見て、リュウは細かいことに囚われる自分が馬鹿らしくなったのか、急に笑い出す。普通なら驚く場面だが、リアは彼が笑うのを見て一緒に小さく笑い出すのだった。
雪がちらちらと降り始める冬の中頃の事だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
数日後
リュウは一人、例の森の穴でいつも通り鍛錬を続けていた。草木に白い輝きを乗せた雪がのしかかり、柔い枝葉をしならせる頃の時分、彼は白い息を吐きながら他の何者も近づきがたい空気を醸しながら刀を振るっている。
「や、少しぶりだね」
「……リア」
リュウが一人で鍛錬に打ち込んでいると、先日と同じ格好をしたリアが広場に入り込んでくる。彼女は森からぴょこんと顔を出すと、とことこと歩幅の小さい小走りでリュウの傍まで駆け寄った。かわいらしい様子で接近してきた彼女に対し、リュウは頭に薄く乗っかった雪を粗く払いながらそっぽを向いて言葉を投げる。
「毎日来るって言ってなかった?」
「あーあれは嘘」
「なっ……」
リュウはリアが先日に口にしていた言葉を違えたことを少し不快に感じていたらしい。だが、彼の追及の言葉をを受けてもリアは一切の罪悪感を感じていないようだ。彼女はリュウの言葉を受けると、クスクスと小さく笑いながら愉快そうに頬を歪ませる。
「もしかして、毎日来て欲しかったのかな? 寂しかった?」
「……別に。毎日って聞いた手前、来なかったから何かあったのかと……」
「心配だったの?」
「くっ……」
どう誤魔化してもリアのことを気にしていたということだけは言い逃れ出来ない。それを理解させられたリュウは、頬を薄ら赤くしてリアに背を向ける。そんな子供らしい様子がリアの好奇心を更にそそったのか、彼女は舌なめずりすると、リュウの背に向かって飛び上がり、脈絡もなく急に抱きついた。
「よいしょッ!」
「うぎゃっ……な、なんだよいきなりッ!?」
「寒いんだよ~。こういう時は人肌であったまるのが一番だからね~」
「気持ち悪い……やめろよッ!」
「きゃんっ」
後ろから手を回して抱きつかれはしたものの、男女の力の差もあり、リュウはすぐにリアを弾き飛ばすことに成功した。尻から地面に落っこちたリアはというと、草や雪のおかげもあり、何の怪我もなく着地する。彼女は抱擁が拒絶されると、地面に内股で座り、リュウの方をわざとらしいうるんだ目で見上げて見せた。
「ひどい……こんなにか弱くて可愛い女の子を足蹴にするなんてッ!」
「か弱いかどうかは知らないけど、足蹴になんてしてないだろ」
「可愛いって所は否定しないの?」
「否定しないよ。君は可愛いし」
「えっ……気持ち悪い」
「はっ? なんで事実を言っただけでそんなこと言われなくちゃいけないんだよ」
「……まあ、お褒めの言葉は有難く受け取っておくけど」
リュウが全く恥じらいもせずに放った言葉に戸惑いながらも、リアは立ち上がる。彼女は腰に付着した土くれや雪を払い、一息ついてからリュウの方に向き直った。
「ん?」
リアは彼女の突発的な行動で上がってしまった息を整えていたリュウの額に、あるものを目に留める。それは傷だ。先ほどまでは髪に隠されていたらしい。リアの抱擁を弾く時にそれが露わになったのだろう。リュウ自身はそれが晒されていることに気付いていない。
その傷は、時間が空いたものではないようだった。つい今しがたに傷が塞がったのか、傷の形が露わなまま、赤い血の塊がこびりついている。傷の周りには、薄く血の跡が残っているのが見えた。どうやら出血した後に粗く拭ったらしい。どうやら今日中、それもリアがこの場所を訪れるのにほど近い時間に出来た傷のようだ。
「その頭の傷さ」
「えっ……ああ、これは……別に何ともないよ。さっき転んで……」
「ふ~ん……」
自分の傷について言及されると、リュウは髪を直して傷を隠し、視線を逸らす。そのあからさまな様子にリアは目を細めると、懐から清潔なハンカチを取り出し、リュウの傍まで歩み寄る。
「転んだのがホントかは知らないけど……」
「何? 別に気にしてもらわなくても……」
「動かないで」
リアはリュウの言葉を遮り、彼の両肩に手を置く。そして静かに下に力を入れ、そのまま膝をつくように言った。抵抗しようとしたリュウだったが、眼前のリアの有無を言わせない様子を見て、とりあえず流れに逆らわないことを選択した。
リアはリュウの額の傷を間近で見ると、小さくため息を吐きながら手元のハンカチで傷を覆っていく。
「こういう傷はちゃんと洗った方が良いよ。それに、外出歩くのもちょっとよくないかな。雪降ってるし」
「……それって何か関係あるの?」
「よくない菌が入り込みやすいの。帰ったらちゃんと清潔にして、冷やしといてね」
急場しのぎで荒い出来ではあるものの、リアはリュウの傷をハンカチで覆った。その処置とリアの知識を目の当たりにしたリュウは、彼女に好奇を含んだ視線を向ける。
「知らなかったよ。なんでこんなこと……」
「私、近くの街で医者やってるから」
「えっ、それ本当!?」
「嘘」
「…………」
リアの嘘を信じ、そして一瞬にして否定されたリュウは、鳩が豆鉄砲を食らったような素っ頓狂な顔を浮かべた後、ムスッと頬を膨らませた。そんな彼の表情の動きを見ていたリアは、思わずぷっと吹き出し、大きく笑い声をあげる。
「あはっ、あはははッ!! 今の顔、すっごくおもしろかった! 額縁に入れて飾っときたいくらいだよ」
「うっ……うるさいッ! 何なんだよ君は! なんでもかんでも嘘ばっか……」
「ごめんごめん。そんなに厄介なら帰るよ。君も早く帰って安静にしときなよ~」
「あっちょっと……!」
リュウがリアを拒絶するような言葉を口にすると、彼女はその言葉に従順に従うかのように、この場から去ろうと駆け出していく。急に話し相手が自分に背を向けたのを受け、リュウはその離れていく背に手を伸ばす。だが、リアがその歩を止めることはなかった。リュウは貴重な同年代の話し相手が離れていくのを見て、少し名残惜しそうに伸ばした手を体の脇に落とすのだった。




