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ヘキサゴントラベラーの変態  作者: 井田薫
ひねくれ魚人と逡巡の女研究者
242/391

突飛

「あの人、急にどうしたんだろう?」


 フェイとパートの話に口を挟めず、ずっと黙りっぱなしだったシフは状況の変化をきっかけにやっと話す機会を得る。彼女は部屋を飛び出して外に出ていったパートの背を追うように視線を出口の方に投げながら、フェイとジンに問う。外では、未だに耳障りなほどの雨が降っていた。


「……分からない。だが、俺のこいつを見てたようだったが」


 シフの問いに煮え切らない答えを返しつつ、フェイは自分の手元の首飾りを見つめる。あどけない視線を返してくる幼少期の自分と妹に、彼は戸惑いの視線で返していた。


「どうあれ、フェイの話が連中の態度を軟化させた。これで無事にこの場を抜けられる可能性は高くなっただろう」


 ジンは冷静に今の状況を分析する。リベンジに囚われ、どうされるかも分からないという状況からは随分と好転したものだ。ただ、その感傷の一切ない冷えた観察にフェイはほんの少しだけ眉を寄せる。


「実際、あいつからは敵意を感じませんでしたし……恐らくこの先も問題はないでしょう。このまま大人しくしていればいずれは……」


 問題はないはず。そう言いかけたフェイの言葉を遮るように、別の者音が部屋内に響く。劣化の進んだ扉が、重く軋む音を立てて開く音だ。中にいる者に憚ることなく響いたその音に、三人はすぐ振り向く。

 雨空から降り注ぐ灰色の光を背にし、入り口に立っていたのは死人のような顔をした女だった。端正な顔立ちこそしているが、その顔には生気が無く、何より彼女の頭から生えている髪はその全てが白に染まっている。銀髪や元から白なのではないと、その乱れ具合からすぐに分かる。所々に黒い髪が残されていることから、元はそういう髪色だったのだろう。至る所に針を刺したかのような乱れがあることから、手入れも一切していないようだ。身長は高く、ジンと同程度、フェイよりも幾分か大きい。高くから三人を見下ろすその双眸(そうぼう)には、暗く、底のない夜闇のような藍色の瞳がある。その丸い二つの暗色の周囲にある肌の色は健康的な薄橙ではなく、紙のような灰色をしていた。

 女は部屋の扉を開いて中の状態を一望すると、大きく息を吐いた。雨のせいか気温が低くなり、彼女の吐息は白の色を纏う。灯りが少なく影の差すこの部屋の中に浮かぶそれは死神の吐息のようだ。


「……すか」


 何か呟いたかと思うと、女は後ろを振り返る。その背に、三人は何と言ったのか、何者か、その他一切の疑問を投げかけることが出来なかった。それは、何か特殊な能力にかかったとか、そういう超常的なものが原因ではない。ただ単に、目の前にいる女に恐怖に近い感情を覚えていたのだ。(あやかし)にも見えるその出で立ちではなく、その女の纏う空気感の不気味さには、それを眼前にする者の喉を薄く絞めるような圧があった。


「見張りはいい。中に入れ」

「はい、ソーン」


 女に声をかけられた外の見張りは、入り口の扉、そのすぐ脇に立つ。


「……ソーン」

(こいつが? リベンジの頭目の……)


 見張りの若い男と共に中に入ると、女は外界との繋がりを断つように重い音を立てる扉を閉じ切った。そんな彼女の背を見て、フェイは目を見はる。それは、セフやパートの口から聞いていた人物が目の前に現れたことへの驚きだけではない。話に聞いていたものと、大きく相違のあることへの驚きだ。話では、ソーンはリベンジをいい方向へ変えたという人物のはず。その話だけで柔和なイメージを想像するのもおかしなことだが、乖離(かいり)の大きい空気を纏っていることも事実だ。


「お前達が、今朝方この拠点周辺にいたと報告にあった……」


 口にしながら、女は先ほどまでパートが座っていた位置に立つ。彼女は先ほどパートが倒した椅子を立ち上げ、それに腰かけた。


「お前達の生殺与奪は……私が握っているわけだが」


 何の感情も含めない無機質な声で状況を確認しつつ、品定めするような目でソーンは三人を見た。だが、彼女のその瞳には興味のようなものは一切見受けられない。こちらを知ろうという気概を一切感じないのだ。まるで、人を見ているのではなく、その先の壁を見回しているかのような空虚さで彼女は三人を一望する。

 そんな彼女の視線を向けられる中、一人が口を開く。


「……あの時、俺の部隊を助けた……」


 ジンだ。彼はうわ言のように呟いた後、恐れを噛み殺すような震えた声と共にソーンを見る。


「覚えていないか? もう五年は前のことだ。リベンジとの戦闘で包囲され、俺の率いていた部隊が生き残る術を無くしていた時……お前が逃げ道を作ってくれた」

「…………」


 ジンの感謝の言葉に、女は表情を動かさない。一応、という風で彼に視線を返してはいるが、感情の揺れも動きも見えない。少しすると、女は再び大きく息を吐き、ジンから目線を外した。そうして、掠れるような声で言葉を返す。


「助けた人間など……逐一、覚えてはいない。必要もない」

「まさか、覚えていないのか?」

「だったら、何だ」

「……そうか」


 人を助けた記憶はないと言って捨てたソーンの言葉に、ジンは落胆よりも戸惑いを覚え、視線を下に向けた。頭の中で巡るのは、過去に目の前の女に助けられたはずの出来事。自分は明瞭に思い出せる記憶を相手が一切覚えていないという違和感に彼は翻弄されていた。

 動揺するジンには一切視線を向けず、ソーンは低い声を漏らす。


「放してやろう」


 フェイ達三人の処遇について一言で説明すると、ソーンは立ち上がる。その結論に足るまでどのような思考があったのか、彼女の無表情からは読み取れない。立ち上がると、彼女はテーブルを回り込み、何故かジンの前に立った。そして、おもむろに彼の腰に提げてある剣に手を伸ばす。


「……何を」


 自由を得られそうな状況だというのに、三人には一切の安堵が降りてこない。リベンジの長であるソーンの行動が、あまりにも先の読めないものであったからだ。彼女はジンの持つ剣に手を伸ばすと、その柄を掴み、鞘から引き抜いた。白刃が暗い部屋の中で淡く輝く。その刀身を心ここにあらずという様子でソーンは少しの間見つけると、軽やかにそれを振るった。その刃が向かう先は、フェイ、ジン、シフの両手を拘束していた縄だ。ソーンが素早く腕を振り下ろすと、一瞬にして三人分の縄が床に落ちる。


「…………すまない、助かる」


 喉の奥に泥を詰められたような緊張の中、フェイはソーンに礼を言う。だが、彼女はそれに見向きもしなかった。拘束だけ解除すると、ソーンはジンの剣を手に持ったまま、するりと背後を振り返る。彼女の視線の先に立っていたのは、中に入れた見張りの男だ。リベンジの構成員である彼は、リーダーであるソーンに視線を向けられ、足を揃えて問いかける。


「頭目、どうかしましたか?」


 剣を持ったまま、ソーンは見張りの男を見つめている。その背を三人は若干の恐れと疑念を持って見ていた。意図が分からない。パートから事態を聞いて三人を放免する考えを取ったらしいことまでは分かるが、それにしては違和感の残る点が多すぎる。

 しかし、そんな疑念について深く考えている暇は消え失せた。それは、状況を急変させる出来事が、今まさに目の前で起きたためだ。その出来事は、この場にいる誰もが、そしてこの場を知り得る全ての人間が想像し得ないほどのものだった。

 ソーンが、見張りの男を斬殺したのだ。

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