大切なもの
ネバ率いる軍人達の大きな隙をつくることに成功したジンとシフ、しかしその代償として意識を失ったシフを抱えながら、ジンはフォルンの通りを走っていた。既にメリーのアジトの近くは脱し、狭く逃げ道を塞がれる可能性の高い路地も抜けている。だが、依然追われる身であるのは変わらない。ジンは激しい焦燥に背を押されながら、全速力で走り、且つ周囲の状況を見渡していた。
(危機は脱したが、どうする。どう逃げる。車はメリー達が使っている。走って逃走。無理だ。住民に紛れる……それも無理。この街は人通りが少なすぎる。建物に入っても、捜索されて今日中にも見つかってしまう。ならば……通りがかった車を奪うしかない!)
シフを抱えながら逃亡するには、あまりにも選択が限られる。他者に危害を加えることではあるが、ジンはその選択を迷いなく下し、次にその機械が訪れた瞬間にはすぐに行動に移せるよう、心を決める。そんな彼の眼前に、一台のトラックが停車した。長い車体を壁にするように、その車はジンの前に立ちはだかった。
「なっ……!」
(軍用トラック……奴らもう立て直して……!)
トラックは、荷台の方まで濃い緑色のボディで覆われた軍用のものだった。それに退路を塞がれた瞬間、ジンは現在の自分の状況が思っていた以上に最悪なものであると確信し、目を瞑った。閉ざされた瞼の裏で巡るのは、背に張り付くような粘着質な後悔だった。
(クソッ……もっと自分の命を優先して……)
ジンの目の前からトラックのドアが開かれる音が聞こえてくる。軍人が銃を向ける絵を思い浮かべ、何としてでも生き延びる術を見つけ出そうとジンはシフを抱えたまま剣を抜き放った。そうして開かれた彼の視界には、意外な人物が飛び込んでくる。
「……フェイ?」
「ジンさん、こいつに乗り込んでください! 背中のその子も一緒に、早く!」
トラックの運転席には、フェイがハンドルを握っているのがあった。彼はジンに早く車の中に来るよう手を差し伸べている。敵意はないようだ。何より、国軍大将ネバに追われているジンには、フェイの細かい意志を精査しているほどの余裕はなかった。
「……助かった!」
礼を言いながらジンは運転席に座るフェイの隣へ飛び込む。気絶したシフは荷台の方へ寝かせ、安全を確保すると、すぐ隣のフェイへ頷いて見せた。その合図を見ると、フェイはアクセルを強く踏んで車を発進させる。
「危なかった。お前が来なければ、走って逃げることしかできなかった。襲撃があってか、車の通りも少なかったからな……拝借しようにも逃げ遅れそうだった。レプト達だけ助かって、俺と後ろのが捕まる所だった」
「メリーは無事ですか?」
「ああ、レプト達と別で逃げている。……本当に助かった。これまで多くを助けてきた中でも、お前を救えたことをこれ以上嬉しく思うことはないだろうな」
助手席に座ったジンは大きく肩で息をしながら、隣のフェイに礼を言う。全速力で車を走らせるフェイは、フロントガラスから目を逸らすことはなく、ジンの言葉に応える。
「いえ、そんなことは……。それに、位置が分かったのはメリーやジンさんの判断のおかげです。連絡機、今はジンさんが持ってるんでしょう?」
「そうだ。分断された後でも、あっちに位置が分かるようにするためだったが……」
「それが活きました。まあ……俺は晴れて軍に背いた人間の仲間入りですが」
ハンドルを握る指を震わせながら、フェイは軽く笑う。
「……よかったのか。俺を守るための、行動なんだろう」
「ええ。俺の判断ですから」
これからの未来に不安や心配を覚えながらも、フェイの目に惑いはなかった。彼は真っ直ぐ前を向いている。
「ジンさん、あなたは俺の大切な人達の中じゃ、十本の指に入るか入らないかってくらいの人です。ネバさんも勿論それに入りますが、あの人は殺しても死なないでしょ? 自分の身を守れる人だ。でも、今のジンさんはそうじゃない。危うい状態でした。さっきなんて正に、生きるか死ぬかの瀬戸際だった、そうですよね」
「教官になんて口ききやがる……。まあ、違いない。お前がいなければどうなっていたか」
相当危険な状態だったのをはっきり自覚していた反動で、今の状況に心底安心したらしい。ジンは軍用であまり居心地もよくない助手席のシートにどっしりと体を預ける。
「もう大切なものを失うのは御免ですから」
「……ああ」
フェイの言葉にまともに言葉を返す気力も残っていないのか、ジンは体をシートに沈めたまま、相槌だけを返す。彼の浮かべた汗や息の荒れ具合、傷の無さを見るに、彼自身が体を張ることはなかったようだが、相当に神経を使ったらしい。そんな元師匠を気遣い、フェイはとりあえず現状をどう打開するかの説明だけする。
「今はとりあえずこの街から離れます。ネバさんやケール、他の連中は大体が転送装置で来てるんで、この辺の街で長く追跡にあうことはないでしょう。ですがトラック一台はかっぱらってきたので、これ自体を手掛かりとして捜索される可能性は高いです。なので、近くの森に向かって走らせた後、追手をまくためにそこで何日かやり過ごすことに。その後でメリー達と合流する手段を探しましょう」
「……ああ。問題なさそうだ」
フェイの計画を聞き、そこに大きな問題が見受けられなさそうだと知ると、ジンは完全に瞼を落とす。危機をやりすごし、安堵しているようだ。ジンのその横顔を見て、フェイは彼と同じように息をついて安心する。
(……いや、俺は気を張っておかないと)
ジンと同じように一安心という所だったが、フェイはその直前で気持ちを切り替える。そして、ハンドルを固く握り直した。
(メリー達と合流するまでは、気を抜けない)




