盲目
「クラスに関わる薬品……かかっているのは、お前の命か?」
戦いの姿勢を解いた鵺が、呆気にとられた顔で問う。彼が疑問に感じたのは、シフが戦闘を再開しようとした直前に口にした、自分達への鼓舞とも取れる言葉の内容についてであった。
「……そうだけど、何か変なことでもあった? 僕には時間が経つにつれて正気を失っちゃうような症状があって、それを止めるために必要なんだ。君も僕達と同じものを求めてるんだから、同じような目的にそれを使うんじゃないの?」
自分の側の目的がハッキリしているだけに、鵺に驚かれるのはシフにとって想定外だった。彼も誰かしらの命がかかっているか、それに等しいくらいの状況なのだろうと勝手に考えていた彼女は訝る視線を鵺に向けた。
鵺はシフの言葉を受けてか、懐のメモリーキーを取り出す。彼はその手に持っているものが突然重くなったように感じていた。その重さの原因は明らかだ。彼にとってそれは看過しがたい要因。すぐに鵺はそれを排除するべく次の行動を選んだ。
「……持っていけ」
突如、鵺はキーをシフへと放り投げた。いつでも槍を振るえるように両手で構えていた彼女は、自分の運命が宙に放られたのを見て槍を離し、咄嗟にそれを受け止める。意外な一言と共に投げ渡されたそれが、確かにメリーが持っていたものと同一のものであるかを最低限確かめると、シフは眉を寄せて鵺の顔を見る。彼の顔からは、迷いや先ほどまで一行に向けていた薄い敵意もなくなっていた。
「い、いいの? いや、譲る気なんてほとんどなかったけど……君にとっても重要なものなんじゃないのか?」
「……違う。少なくとも、同類の命と比べれば……」
「じゃあ一体、何のために?」
「…………」
シフの心配の混ざった声の問いに対し、鵺は口を固く結ぶ。質問に答えるつもりはないらしい。彼の意図を知ることはシフやレプト達にとって重要なこととは言えないが、彼らの興味は今、そこに釘付けだ。
だが、彼らのそんな思考を吹っ飛ばす声が後ろから響く。
「この……馬鹿共が……!」
メリーの声だ。レプト達三人は全員彼女の復活に期待し、すぐさま振り向いた。しかし、彼女は復活とは程遠い状態であった。未だ体は床に横たわらせたままで、かろうじて首から上と胴体周辺が若干動く程度らしい。芋虫のように床をずりながら、彼女は三人と鵺に目をやっていた。話すのもやっとらしく、脂汗が顔に浮かんでいる。レプト達はメリーの回復の兆しに喜びの声を上げた。
「メリー、喋れるようになったんだな!」
「よかった……あのままだったら僕のための薬が完成しなかったし」
「アンタは何の心配してんのよ」
余りにも場を弁えていないシフの腕をカスミが小突く。そんな下らないやり取りを端眼に、メリーは鵺の方をうつ伏せのまま見上げる。
「お前……」
「……なんだ」
文字通り地を這っているかのような怒りの声に、鵺は居直る。
「それと、お前らも……!」
鵺に次ぎ、メリーは横たわる自分に近付いてきたレプト達にも怒りの目線を向ける。鵺とは違い、彼女に怒られるようなことをした覚えがない三人は、呆気にとられて顔を見合わせる。
その場にいる皆の注目を集めたメリーは、ぷるぷると震える指でシフが手に持つメモリーキーを指さす。そして、体の動かない不自由な状態で精いっぱいの掠れた声を張り上げる。
「今のやりとり、全部無駄なんだよ……!! そんなもん、何個でもつくれるんだからな!」
「「「「……えっ?」」」」
レプト達三人、そして鵺までもが、全員口をぽかんと開けた。揃いも揃って間抜けな面を晒す彼らに、メリーは床に頭を寝かせながら説明する。
「私もそんな顔したいよ。まさかお前達全員、電子機器にここまで疎いなんてな……。鵺、だったな。お前もだよ」
「……どういうことだ。その……機械、何個もつくれるというのは」
「まんまの意味だ……。言わばばそれは、母親に渡された買い足しのメモみたいなもんだ。一枚なくしたって、言えば母親が同じものをつくってくれる。つまり、ちょっと面倒を踏めば何個でも作れるもんなんだよ……! 持ち去られても、部屋に戻って同じ工程を踏めばいいだけ。メモリーキーも予備を用意していたしな。いざとなればコンピュータごと持ち出せば分析できただろう」
抑制剤のデータが記録されたメモリーキー、それがいくつも複製がきくものだということを聞き、四人は驚愕の表情を浮かべる。メリーは開いた口が塞がらないという様子の彼らを前に呆れたような深いため息を吐くと、補足をつけ加える。
「それに、鵺。お前、こんな基本的な知識もないんなら、こいつの中身を見る方法も分からないんだろ」
「……くっ」
「くっ、じゃない。しかも、見れたとしてだ。お前に薬学の知識があるとは思えない。調合する薬品をもし覗けたところで、抑制剤、つくれなかったんじゃないか?」
「……それもこれも、誰かに依頼すれば済む話だ」
「とことんまで、見通しが悪かったみたいだな」
メリーの追及に、鵺は気まずそうに目を逸らす。どうやら彼は相当な見切り発車で計画を始動させたらしい。この分だと、レプト達がいなければデータすら抜き取ることが出来なかったのではないかと推測されるが、メリーはこれ以上彼に恥をかかせるのはやめておくかと一息置いた。
「つっても、話してくれても良かったじゃない」
衝撃の暴露に驚いたカスミは、床に膝をつき、メリーの体が休まるようにその背を壁に預けるよう動かしながら言う。
「私達、アンタみたいにそういう、電子機器? がいっぱいあるような所で過ごしてきたんじゃないし」
「……お前は知ってると思ってたぞ、カスミ。マンガが読めるような衣食住に困らない場所で暮らしてたんだろ? ってことは、都に近いかそれと関連のある、技術が発展した場所だと思うんだが……」
「え、いや……あったのかもしれないけど、私に触る機会はなかったから」
知識不足を指摘されたと思ったのか、カスミは言い訳するようにメリーの視線を避ける。そんな彼女に、メリーは訝し気な視線を向け続けるのだった。
「……俺は戻る」
求めるものを諦め、争う理由もなくなった鵺は、そそくさとこの場を去ろうとする。メリーの追求から恥を晒されるのを嫌がったのもあるのだろう。廊下を進む彼の歩はいやに早い。
「待て……!」
そんな鵺の背をメリーが呼び止める。彼女は窓側の壁に背を預け、顔だけ鵺の方に向けていた。
「まだ何かあるのか? お前に毒を吸わせたのは悪かった。だが、後遺症は無いし……」
「そっちじゃない。話、聞いてたのか? 簡単に複製がつくれるんだよ、データ。それに、薬の方もだ。このデータがあれば、材料を用意することで抑制剤は多少なりとも量産がきくようになる」
「……あっ、それってつまり」
メリーの言いたいことにいち早く気が付いたシフは手を合わせて高い声を上げる。
「鵺の分も用意できるってことじゃん!」
メリーは静かに頷き、続けた。
「どのみち、ある程度ストックは用意するつもりでいた。旅の最中、シフのようなクラスにいずれまた顔を合わせる可能性はあるからな。……シフにとってもそうであるように、そいつは、お前の運命を左右するような重要なものなんじゃないのか。必要なら、ついてくれば渡してやれるぞ。礼は、貸しにしといてやる」
先ほどまであれほど欲しがっていた抑制剤の情報と実物、それを実質無償で譲ってやるというメリーの提案は、鵺にとって棚からぼた餅なはずだ。レプトやシフも、同類である鵺の目的が達成されることを望み、彼の背を安心の目で見つめた。
しかし、鵺の答えは皆の考えとは反していた。
「……俺には、必要ない。必要なくなった」
鵺の言葉に一行は驚愕する。この答えには流石のメリーも驚きを隠せずに目を見開いた。疑問をすぐに口にしたのは、同類のレプトとシフだ。
「どういうことだよ。お前、俺達から奪ってまでそれを欲しがってたじゃねえのかよ」
「そうだよ。つまり、君にとって重要なのは間違いないんだろ? 僕ほどじゃないにしろ……少なくとも、いつでも使えるように持っておくっていうのは……」
レプトの追及にも、間を取ったシフの提案にも、鵺は首を横に振って応えた。
「いいんだ。必要ない。……迷惑をかけたな、悪かった。それに、メリー。せっかくの気遣いをすまない」
「……いや。私達に損はない。気にするな」
メリーは気遣いを断られて気分を害すことは一切なかった。元より気遣いを断られて気分を崩すような人柄ではないのもあるが、何より、鵺の心変わりが意外過ぎたのだ。彼女の頭の中はそれへの疑問符で埋め尽くされていた。
「……では、また機会があれば会おう」
鵺の意外な一言に囚われるレプト達に対し、彼はさっぱりしていた。提案を断って以降、余計な会話を一切挟むことはなく、再び背を向ける。一行の中には、彼の背を呼び止めることが出来る者はいなかった。それは、彼が何をしようとしていて、何故それを止めたのか、まるで何も分からなかったからだ。
そんな中で、レプトの頭の中にある人物の顔がよぎる。
(……っ、そういや)
「おい、鵺!」
その人物のことを思い出すと、すぐにレプトは声を上げる。彼の呼びかけに、鵺は足を止めはするものの、振り返らない。だが、構わずレプトは続けた。
「アゲハ……無事、なのか?」
「……っ」
アゲハ、レプトとカスミがフロウと犯罪組織から助け損ねたアグリの少女だ。その名を聞くと、鵺は肩を震わせる。以前に彼女のことを鵺に聞いた時とは違う反応だ。彼は以前、多くの人間を殺しながらも、アゲハは助けていると落ち着いて話してくれた。しかし、今の彼はその時とは違った。その反応にレプトは一抹の不安を覚える。
しかし、彼の心配は杞憂だった。すぐに振り返った鵺の顔には、負い目を含む翳りは存在しなかったのだ。彼の顔にあったのは、迷いが晴れた時のような淡い笑顔だった。
「いなくなったよ。彼女を消そうとする奴は、もういない」




