鵺との対峙
「さっきメリーから取ったアレ、俺達にも必要な物なんだ。返してもらうぜ」
この研究所にやって来た目的、シフを助けるための抑制剤の製法をみすみす手放すことは出来ない。レプトは剣の柄を握り締め、自分の同類である鵺に向けた。対する鵺は、レプトの言葉に全く考える余地がないと言わんばかりの速さで返す。
「無理だ。これは譲れない」
「譲るって……アンタが私達からパクったんでしょうが!」
「いくら同じクラスだからって、手加減できねえぜ」
既に自分のものになったと宣言するかのような鵺の物言いにカスミは声を荒げる。レプト達からしてみれば、この製法を手放すことはシフの助かる手段を捨てるようなものだ。絶対に諦めるわけにはいかない。他人の命がかかった状況に、レプトとカスミは奮起する。
そんな中で、最も冷静だったのはシフだ。彼女は槍の先を肩に乗せ、二人を諫めて鵺に問いを投げかける。
「まあ二人共待ってよ。鵺、だったよね」
「ああ。お前は?」
「シフ。で、聞きたいんだけどさ……君は何でそれが必要なのかな。理由によっては、どうするか考えてもいいよ」
シフの提案は、レプト達からしてみれば有り得ないことだった。当然、彼女の命がかかっていることだ。鵺がどんな答えを返してきても見過ごすことは出来ない。レプトはシフの背に怒鳴り声を上げる。
「おいっ、んなことしたらお前、死んじまうだろうが! 元も子もないなんて話じゃねえぞ」
「分かってるよ。諦めるつもりはない。だけど納得しておきたいんだ。自分が助かるために捨てた可能性が、一体何だったのか。例えば彼が、これがあれば百人の子供の命を救える、なんて言い出したら……」
「んなこと……チッ、分かった。好きにすりゃいい」
「ありがと。とことんつき合わせて悪いね」
納得しきったわけではないが、レプトはシフの意思を尊重し、彼女の後ろに回る。
「さ、話してもらうよ。鵺、君の目的が何なのか」
仲間からの了承を得たシフは、自分の命に関わる質問の答えを急かす。問いを受けた鵺は、シフ、そしてレプトから目を逸らした。そして、少しの間だけ思案すると、苦い顔をして答えを返す。
「話せない。話したくないし、話す必要もない」
鵺の答えを耳にすると、シフは一息だけ間を置き、そして白けた顔をした。彼女が鵺に向けていた興味は顔から消え失せる。
「……そう。なら、こっちが考慮してやることもできない。してやる必要も、ないッ!!」
呟くように言葉を落とすが早いか、シフは床を蹴り、体を前面へ弾いた。一瞬の内に鵺の眼前まで距離を詰めると、彼女はその肩に背負った槍を右腕に絡め、振るう。柄が長いことを利用して遠心力を乗せ、大きく振るわれた穂先は吸い込まれるように鵺の首に向かっていく。
常人では反応することすらできないほどの速度のシフの攻撃、だが、それは阻まれた。ガギッ、という嫌な音と共に、シフは自分の腕の推進力が止まったことを知覚する。空気を切る音を立てて振るわれた彼女の槍は、鵺の黒い袖に覆われた右腕で受け止められていた。
(腕で? でもおかしい。まるで岩を打ったみたいだ。音も……仕込みか?)
初撃を止められたシフはすぐに反応し、右足を振り上げて鵺の胴を蹴る。正面からシフの蹴りを受けた鵺は、後ろに大きく飛びのいてその威力を殺した。シフの攻撃を受けていながら、彼の体に傷がつくことは全くなかった。
「……力の差があるようだな」
シフの二発を完璧に受けてみせた鵺は自分と彼女とに大きな力量の差があることを把握する。
「クラスの力をほとんど発揮できていない。そんな武器を使っているのを見るに、レプトもそのようだ。個人差があるのか……」
鵺は戦闘の最中とは思えないほどゆっくりと考察する。焦りや、戦いにおける緊迫感も感じさせない。
「ゴチャゴチャ言ってんじゃねえぞ!」
そんな余裕を持った鵺からメモリーキーを奪取しようと、レプトは剣を振り上げ、彼に飛び掛かる。殺意はなく、刃を下にしてはいないが、容赦もない。大上段に構え、渾身の力を込めた彼の一撃は鵺の頭へと振り下ろされていく。
しかし、レプトの打撃が鵺の体を捉えることはなかった。この戦いに付き合う必要がないと考えたのか、彼は後ろに大きく下がって攻撃を回避し、先に目を向けた窓とは違う別の窓に向かって廊下を走り始めたのだ。
「ヤバい、逃がしちまう!」
「させないわ!」
レプトの焦りの言葉を待つことなく、最後尾にいたカスミが床を蹴った。凄まじい膂力を発揮する彼女の踏み込みは床に大きく跡を残し、体を前方へ射出する。カスミは宙を水切りのような角度で駆け、この場を去ろうとする鵺の元まで一瞬で接近すると、その体の勢いを利用して蹴りを放つ。
「うぁらぁッ!!」
「ッ!」
気合の声でカスミの接近に気が付き、ハッと鵺は顔を上げる。彼女の気迫に鵺は咄嗟に両腕を顔面のガードへ回した。あわやカスミの蹴りが鵺の顔を捉えるという所で、彼の防御が間に合う。腕と蹴りが交差すると、瞬間、威力を殺し切れず、鵺の体は浮き上がった。そのまま、彼は建物の内側の壁に叩きつけられた。コンクリートにひびの入る音が耳に痛く響く。鵺の体を仲介してカスミの蹴りを受けた壁には、ゆで卵が勢いよく割れたかのような亀裂が入っていた。
しかし、これだけの一撃を受けても、鵺の表情に焦りは浮かび上がらない。
「……凄まじい一撃だ。まともに喰らっていたら、流石に馬鹿にならないダメージをもらっていた」
カスミの足を振り払い、鵺は両腕を振ってその調子を確認する。岩石をも砕くようなカスミの蹴りを受けても、彼の腕は全く安全なようだった。
「クラスってのは、皆が皆同じってわけじゃないのね。どう考えてもレプトと同じ実力とは思えない」
「その通りだ。そして、お前も相手にならない」
「……っ?」
鵺が意味深に口にした言葉をきっかけに、カスミは先ほど自分が攻撃に使った右足に違和感を覚える。動かないのだ。床から足が全く離れない。
「なにこれ……糸玉?」
見下ろしてみれば、カスミの足には真っ白な繭のようなものが付着していた。どうやら、それが床とカスミの足を接合しているようだ。足首から先を包むそれは、剛力の彼女が力を込めてもビクともしない。粘着質な糸が形成する繭は、強靱な糸の束によってカスミの動きを封じている。
「お前にも静かにしていてもらう」
言うが早いか、鵺は背の翅を広げる。視界を覆うほど大きく広げられた金色の紋様を刻む鵺の翅を前に、カスミは思わず後退りそうになる。
(ヤバい……逃げられない)
だが、先の繭が彼女の逃走をも阻む。攻撃も回避もできないことを悟ると、カスミは全力で息を吸い、最低でも抵抗を続けられるよう、鱗粉を吸わないように呼吸を止めようとした。
しかし、彼女が息を我慢するその直前だった。先ほど攻撃を外したレプトとシフが、翅を広げた鵺に同時に各々の武器で攻撃を浴びせる。鵺を行動不能にできるほどの攻撃ではなかったが、仕切り直すには充分な攻撃だ。
「チッ……」
鱗粉を用いるのにはそれなりの余裕が必要なのか、レプトとシフの攻撃を防御した鵺は後ろに大きく下がり、その翅をたたんだ。そして、三人を相手にそのまま逃げ切ることは難しいと判断してか、態勢を整えて三人に向かう。
「諦めの悪い奴らだ」
「……ふん、そりゃ諦めも悪いさ」
カスミを拘束する糸を切り払うレプトを目の端に置きながら、シフは槍の穂先を離れた位置に立つ鵺に向ける。
「何せ、命がかかってるからね」
「……命、だと?」
シフが何気なく放った言葉に鵺が反応する。ずっとしかめっ面だった彼は純粋な疑問に衝突した子供のように目を丸めた。その疑念は鵺の今の行動原理を著しく揺らすものだったらしく、彼は戦いのために力を入れていた腕をするりと体の脇に下ろすのだった。




