ジンとフェイ
「止まれ」
三人の背の方から声が聞こえる。男の声だ。その声は三人が歩いている通り全体に大きく響き渡り、道を行き交う人々をみな声のした方へ振り返らせるほど威圧感のある声だった。レプト達も例に漏れず背後に体を向ける。
振り返って見てみれば、三人の背後から十メートルほど離れた位置に黒い髪の男が立っていた。人々が彼から一定の距離を取り、異質なものを見る目で彼を見ていることから察するに、先ほどの声を上げたのはその男だろう。
そして、その男の目は真っ直ぐレプト達の方に向いていた。ただ眺めているという訳ではなく、敵を睨むような鋭い光を目に持って彼は三人を見ている。止まれという言葉は彼がレプト達に投げたもので間違いないようだ。
レプト達一行が声を聞いて振り返り、その男の存在に気付くと、それに合わせるように彼は口を開いた。
「見つけたぞ。国の大義に従い、今度こそ捕らえてみせる。クラスのレプト」
男はレプトの名前を呼び、彼に目を向ける。針で刺すような強い敵意を持った目で彼はレプトを睨んだ。レプトの方は男の視線から逃げるように顔を逸らし、嫌悪を示すように大きく舌打ちをする。
「そして……」
男はレプトのそれを無視し、次いで、彼の隣のジンに目を向けた。その時、彼は表情を変えて言う。
「大きな責任と期待を背負っておきながら、一番いなければならない時に何もせず、何も告げずに消えた軍人。あなたもです、ジンさん」
男のジンに対する視線はレプトに向けるものとは違っていた。責任を追及するような言葉をかけられたジンは、眉間にしわを寄せて顔を伏せる。レプト達と男の間に緊迫した空気が流れ始めた。
だが、そんな事情やしがらみを一粒として知らないカスミが、その張り詰めた空気を呆けた声で壊す。
「ね、あの人誰?」
純粋な疑問を投げかけるカスミの姿勢にレプトは少し驚きながら、彼女の問いに答える。
「いやほら、あれだよ。昨日話しただろ。……追手だよ」
「あれが?」
「そう。エボルブに使われて来た国の軍人さ」
カスミは昨日話された追手が目の前の男だと言われ、体をこわばらせる。そして警戒の目を男に向けた。だが、すぐに彼女の頭は疑問に包まれる。そして、再びそれを素直に口にした。
「昨日、すごく大きな組織に追われてるって言ってたわよね。でも、あの人は一人よ?」
レプトとジンは、自分達は国に支援を受けるような巨大な組織に追われていると話していた。だのに、目の前にいる追手は一人。これでは規模が全く合わない。
カスミの疑念に、ジンは周囲に警戒を向けながら応える。
「もう配置についている」
「え、配置?」
「路地裏や人混みにもいる。姿を見せないようにしているが、こっちを見て、指示が出ればすぐに動けるような配置についているということだ。敵は今目に見えている一人だけではない」
「……は、早く言ってよ」
ジンの言葉に、カスミは彼が挙げたような人が隠れることのできそうな場所に静かに目を配る。ジンが言ったように、そこに確かな敵の姿を視認することはできない。具体的な人数や場所を自分の目で把握できない今の状況はカスミに強い緊迫感を与える。彼女は腰を低くし、すぐにでも動けるよう気を張る。
態勢を整える三人を前に、男は皮肉げに小さく笑って言う。
「流石です。数々の修羅場をくぐり抜けた経験と知見を備えるあなたに、俺の浅はかな策がすぐに見抜かれるのは自明のことでしたね」
男はそこで一度言葉を区切ると、次は憎むような目でジンを見る。
「どうして国から離れたのですか。俺に、国に尽くすことが正しいことだと、教えたのはあなたのはずです」
男の視線と言葉を受けて、ジンはまるで胴に拳を受けたかのように苦しそうな表情をする。そして、顔を地面に向けて黙りこくってしまう。二人の間には何かしらの事情があるようだ。
そんな様子を見て、カスミは隣にいるレプトに小声で問う。
「ねえ、相手はアンタにひどいことをするような連中でしょ? 話す必要もないじゃない。何か事情があるの?」
「……まあ、詳しくは知らねえんだが」
詳細は知らないという前置きをして、レプトは話し始める。
「さっきも言ったように、あいつは軍人なんだが……ジンも昔、軍人だったらしい。んでその時、ジンはあいつの上司か何かだったみたいで……」
「なるほど」
「実際そうだったかは聞いてないけどな。ジンは何でか、しばらく前に軍を抜け出したみたいで……俺を追うのもあるだろうが、あいつにとってはジンを捕まえるのも目的なんだろう。大分、仲が深かったみたいだし」
レプトの話を聞いたカスミは目を見開いてジンの背を見る。レプトにだけではなく、ジンの周囲にもしがらみがあったようだ。
二人の話の中心にいたジンは、眼前の男に言葉を返していた。
「俺がお前に言ったのは、自分が信じるもののために尽くせということだ、フェイ。あの時はお互い、この国を信じ、尽くそうとしていた」
「今は違うと言うんですか?」
「そうだ」
ジンは男をフェイと呼び、彼と道を分かった理由を述べる。抽象的な答えに、フェイは不快感を顔に表しながら再び問う。
「一体どうして信じるものが変わったんです? どうして国を信じられなくなったんです」
「清廉潔白だと思っていた国が、裏で人間の権利を踏みにじるようなことをしていた。その現実を、この目で見たからだ」
「エボルブの話ですか」
フェイはジンの言葉を実に面白くないと言う風に鼻で笑った後、断固とした口調で返す。
「あんなものは、噂やゴシップが好きな大衆が築き上げた虚構でしょう。あなたが連れているレプト、そいつは可哀想な被害者ではなく、ただの罪を犯した一人の罪人です。それを、実験だのなんだの……どうしてそんなことを信じる人がいるのか、不思議でなりません」
懐疑も憎しみもない、純粋な敵意を持った目でフェイはレプトを睨む。フェイからしてみれば、昨日にレプトがカスミに話したようなことは全て虚構だという。そこに疑いはないようだ。
フェイの話を聞いて、一瞬カスミはレプトを振り返る。罪人という言葉が彼女の中で少し引っかかったのだろう。カスミの視線が自分に向かっているのに気づくと、レプトはわざとらしく首をすくめてみせた。
「だってよ。どっちを信じてもいいぜ?」
「……別に、そんな揺らいでないわよ。二人には助けられた。私はそれを信じるわ」
レプトの言葉に、小さく笑って言葉を返す。彼女はフェイという男の話より、レプトとジンが自分にしてくれたことを信じると言った。




