反転の鉄鎖
カスミのすぐ背後で、耳を軋ませるような金属の激しくぶつかり合う音がする。フェイの行動とその音につられて彼女が後ろを振り返って見れば、三人の後ろには子供の背丈ほどもある巨大な斧を手に持った女がいた。彼女の斧はフェイの鎖に絡まれ、動きが止まっている。だが、その鈍く光る歪曲した刃はカスミの動揺した表情を鮮明に映していた。
「チッ……やるじゃねえか」
女は舌打ちと同時に斧を持った右腕に力を込める。すると、鎖がギシギシと耳の奥に響く嫌な音を出し、節々が千切れ飛んでは地面に転がり落ちていく。
「なっ……何よこいつは!?」
突如として襲い来た脅威に、カスミは恐れに任せて後ろに大きく飛び退いて女から距離を取る。ジンも剣を構えながら彼女と並ぶように引き、メリーはその二人の後ろに立った。
そんな中、斧を持った女を前に退く行動を取らず、フェイは彼女に真正面から向かっていく。
「ふんっ!」
得物に絡まった鎖を解こうと躍起になり、隙の生まれていた女に咄嗟に接近したフェイはその胴に前蹴りを放つ。力を真っ直ぐ乗せた彼の蹴りは、女を大きく後ろへ後退させる。
「くっ……テメエ」
フェイの蹴りを受けた女は、斧の柄を堅く握りしめて正面のフェイを鋭く睨む。大きくダメージを受けた様子はない。どうやら蹴りを受ける際、反射的に腕で防御していたらしい。彼女は鎖を解き終えた大きな斧の刃をを肩に乗せ、いつでも戦いを始められるように構えた。彼女の中には戦う以外の選択肢はないらしい。その意志は、殺意を持ってフェイ達を睨むその瞳によく表れている。
「ここは俺に任せろ」
女に接近し、メリー達三人を背にしたフェイは背後の彼らに告げた。そのまま続けて、彼は斧の女から一切視線を外さずに淡々とした口調でメリーに問う。
「メリー、ここには用があって来たのか?」
「ああ」
「それが済んでるのなら、すぐにこの街を脱出しろ。ここはリベンジに襲われている。こいつもそのうちの一人だろう」
「やはりか。フェイ……」
メリーは自分達の予想が当たっていたことに喜ばず、苦い顔をする。そして、心配そうにフェイの背を見た。だが、彼の方はそれに気付くことはなく、ジンとカスミに声をかける。
「ジンさん、それにお前もだ。さっさとメリーを連れて逃げろ。間違っても怪我はさせるなよ」
フェイが首を振って行動するように示すと、ジンは躊躇することなく頷く。
「ここは任せたぞ」
「ちょ、ちょっと……」
一切淀みなく提案を承諾するジンに反し、カスミはまごついている。彼女は焦りと不安の入り混じった表情で、フェイの背に声をかける。
「危険でしょ、アンタ一人を残していけない」
「ガキが何言ってる。それに、この街には他に大勢の軍人がいる。ご気遣いのまま残っていただいたら、その後でお前は捕えられることになるな」
「ッ……イヤな奴」
フェイが皮肉を混じらせて口にした、グダグダ言うなという意図の言葉にカスミは歯を食いしばる。その後で、彼女は宣戦布告するようにフェイに言い放った。
「借りは返すわ。いつか必ず」
言いたいことだけ言うと、彼女はすぐ行動できるようにジンの傍に控えた。
「車まで戻るぞ、メリー、カスミ」
三人の意志が固まった所で、ジンは二人を先導するように走り始める。カスミも、そのすぐ後ろについていった。
そんな中、メリーは二人にすぐついていくことはなかった。敵を目の前にするフェイの背に目を向けていたのだ。明確な殺意を持つ敵と戦う彼への心配からの行為だろう。だが、状況が状況だ。友人だからと言ってずっと感傷に浸るわけにもいかない。メリーは不安な気持ちに区切りをつけると、フェイの背に、彼だけに聞こえるように小さな声で言葉を残した。
「また会うぞ」
一言だけ残すと、メリーは先を行くカスミとジンの背から離れないように駆け出した。
「……当然だ」
フェイは正面の女に警戒を向けたまま、最後までメリーの背を振り返ることはしなかった。通りを駆ける三人の足音が遠ざかっていくと、彼はようやく目の前の敵に得物を向ける。右腕に絡めた鎖を宙に伸ばし、その先端の刃をいつでも放てるように備えて彼は斧の女に向かう。
「ようやく済んだかよ」
斧を持つ女は鼻を鳴らして全身に力を込めると、腰を落として膝を曲げ、いつでもその場から体躯を稼働できるように備える。裾の長い外套に身を包み、ハンチング帽のつばから鋭い目つきをのぞかせるその姿はまるで猟奇殺人犯のようだ。
「何故この街を襲う?」
「あん?」
「この街はただの集合住宅地だ。重要な施設もない。本来お前達が掲げているはずの、現体制の打倒という目的には沿わない行動だろう」
「…………」
フェイは、国家に武力で抵抗するという目的で作られたはずのリベレーションが、ただ人が住んでいるだけの場所を攻撃するその理由を女に問う。その問いに、女は言葉を返さない。ただ、その代わりに彼女の口元から含む感情の発露とでも言うべき音が聞こえてくる。
「テメエの胸に聞けよ」
歯ぎしりだ。数メートル離れて立つフェイの元にまで聞こえるその音を上げた後、女は舌打ちをして怒りに覆われていた目線に冷静さを取り戻す。
「下っ端だから知らねえのか、まあいい。アタシのやることは単純だ」
既に戦いに備えていた女が、背を丸めて若干の前傾姿勢を取る。その姿を見てフェイも備えた。
(こいつは恐らくシンギュラーだ。そうでなければ、初めの攻撃、もっと早い段階で気付いていたはずだ。視覚、あるいは感覚に影響を与える能力……)
すぐ目前まで迫った戦いを前に、フェイは敵の能力の考察を挟む。同時に、女も動き出した。
「お前らをぶっ倒す、それだけだッ!」
女は凄まじい勢いで地面から体を前に弾き出し、その手に持った斧をフェイに向かって振り上げた。




