大切なものにかける順位
フェイとケールの前に現れたのは、二人よりもずっと大きい体をした亜人の男だった。小さめの女性が二人分はあろうかという大きさの背には、その体躯に抱えられるために作られたかのような巨大な黒い盾が背負われている。腰には背の盾と合わせて持つことが想定されているのだろう長柄の大槌を提げている。
「もっと天井の規定を高くしてほしいものだ」
会議室に屈んで首を丸めながら入ってきた大男は小さく文句を言いながら手近な椅子に腰を下ろす。そうして、その巨大な体よりも、携えた道具よりもずっと突出した特異を持つ顔をフェイとケールに向けた。
亜人の大男の顔は、その全体が人のものではなかった。まるで小さめの岩石を無理矢理人の形に継ぎ接ぎし、その間に目や鼻などのパーツを押し込んだかのような奇妙な形をしている。目や口元などに筋肉の存在は見受けられるが、肌は完全に人肌の色はしていない。加えて更に目に付くのは、軍服の長袖からのぞく手が肌色であることだ。戦いに携わる者らしく角ばってはいるが、そこに人以外の特徴は見られない。
大男は椅子に座ると、それでも目線の高さに大きな差の生まれないフェイとケールに対し、小さく笑って声をかける。
「私だけ座っているのも恰好がつかん。お前達も座ってくれ」
大男からそう言われると、フェイとケールは先ほどまでの険悪な様子が嘘のように一様の動きをする。大男に対して一礼し、手近な椅子にかしこまって座ったのだ。とても直前まで睨み合っていた二人とは思えない。
しかし、大男の方は二人の以前までの空気をさとっているのか、緩く語り出すのは早々にやめる。
「既に説明しているが、今回お前達を集めたのはこの街に来るというリベレーションの襲撃を抑えるためだ。が……」
岩陰の奥からのぞくような瞳で、大男はケールを見据える。
「納得のためにも先に話しておこう。フェイのことだ」
「……。分かっておられたのですか」
大男の言葉を受けると、ケールは頭を小さく下げる。それに対して、大男は淡々と低い声で説明する。
「フェイには独自にリベレーションの内情を探ってもらっていた。今回の襲撃のことが事前に伝わっていたのもフェイの成果だ。その任の内容から軍の内部にも広く知らせるわけにはいかなかった」
「それが、今になって何故?」
「任務のままリベレーションに接近させ続けておくのは危険だと判断したためだ。欲を言えば、過激派の本拠まで探って欲しかったが……」
大男は一瞬だけケールから目を離してフェイの方を見る。
「……力が及ばず、申し訳ありません」
フェイは大男に頭を下げ、でっち上げられた事実に謝罪をする。ここまでの二人のやり取りに歯切れの悪さなどは一切存在しない。予め、話を通していたと考えるのが自然だろう。
「これで納得したか」
「……はい、大将。煩わせてしまい申し訳ありません」
「いや、構わん」
フェイの不在期間について大方の説明を受けると、ケールはすぐ隣に座るフェイの表情を一瞬目に捉えた後、大男に再び頭を下げる。その瞳に疑いの色はほとんどない。フェイに対する疑いが初めから薄かったのか、あるいはフェイと大男のやり取りに信憑性があったのか、それともケールの大男に対する信頼が厚かったためか。とりあえずの間、彼女はフェイに敵意を向けることはなくなった。
フェイとケールの間の歪みが消えたのを見て取ると、改めて大男は話を始める。
「さて、これからが本題だ。この街を防衛する任務について、説明する」
大男は懐からフォルンの地図を取り出すと、逐一位置を指で示して作戦について話す。
「連中がどこから仕掛けてくるかが分からない。故に、街の外周数十か所に見張りを配置し、敵を発見し次第掃討に当たる。フェイ、お前の報告では襲撃は今日明日中だな」
「はい」
「部下にはその間いつでも防衛にあたれるよう準備を固めておくよう伝えろ。接敵したら、私と本隊が前線を張る。ケールの隊には前線のすぐ後ろで後方支援を任せる。そしてフェイ。お前とお前の隊には初めに接敵した箇所以外の警戒を任せる。敵が一方向から攻めてくるとは限らん。街の中央にもある程度戦力を残し、複数個所からの襲撃にも戦力を割けるよう備えておく。……まあ、既に伝えていた通りだ。いいな」
大方の説明を終えると、大男は地図を几帳面に折りたたんで懐に仕舞う。フェイとケールはその作戦に意見する所はないらしい。状況を飲み込むと、ケールは椅子から立ち上がり、大男に対して敬礼する。
「了解しました、大将。では、私は隊に戻り警戒を」
「頼んだ」
大男が小さく頷いたのを見ると、ケールは機敏な動きで敬礼で上げていた右腕を戻し、すぐに部屋の出口へ向かっていく。扉の前に差し掛かると、彼女は大男とフェイが座っているのを振り返る。
「…………」
彼女は上司である大男ではなくフェイのことを視界の中心に捉え、ドアノブに手を置いたまま、それを下ろさずにいた。ただ、それもほんの一瞬だった。ガチャリという音がすると、彼女は無駄のない動きでさっと部屋を出ていくのだった。
「……ネバさん」
ケールがいなくなって、少しの静寂が部屋に広がる。十秒ほどそのまま間を取ると、フェイは肩から力を抜き、角ばった姿勢を楽にした。同様に、ネバと呼ばれた大男も緊張を口から出すように大きく息を吐く。
「うまく誤魔化せたな。資料や記録は私の方で書き換えている」
「ありがとうございます……。ケールと俺は一応同期ですし、あいつはネバさんのことを信頼してます。あいつを納得させられたなら、他も大丈夫でしょう」
「ああ。とりあえず、第一段階はクリアだな」
「ええ。それより……」
ネバは大きな図体に見合う太い足を組み、姿勢を楽にする。その動きだけでも長く太い足が大きく動かされ、周囲にいる人間は威圧されることだろう。フェイはそれに慣れているのか、動じることはない。それどころか、彼は椅子の上でネバに対して身を乗り出し、若干責めるような声を上げる。
「街に住人がいました。また、ですか?」
「ああ」
「評議会での発言力は、相変わらずグリド達が?」
「そうだ。私は奴らに意見するつもりはない」
「……そうですか」
ネバが口にしたことを耳に入れると、フェイは深く肩を落とし、目を床に向ける。膝に肘を乗せ、背は曲がっている。両の指先をぎこちなく合わせながら、彼はゆっくり口を開く。
「聞きたいことが沢山あります。それに、俺は……まだジンさんのことを諦められない」
「まだそれを言うのか、フェイ。お前の気持ちも、分からないではないが」
「ほんの少しだけ、無理をすることは出来ないんですか? この任務が終わった後で充分です。時間を……」
「駄目だ。私の立場が危うくなる。そして、それがまた他の者達をも失わせる。その他の者達より、ジンは大切ではない」
フェイの頼みを、一瞬にしてネバは叩き落とす。一切の思考を挟むことはなく、彼はジンの救助を諦める考えを変えなかった。そんなネバに対し、フェイは縋るような声で説得を試みる。
「くっ……。俺がこのままジンさんを追い続けた所で、すぐにあなたに疑いがかかるわけじゃないでしょう。立場だって、今の時点で揺ぎ無いはずです。少し無理をしたところで、あなたが何かを失うリスクはほとんど……」
「その可能性はある」
「ほんの少しでしょう。今のあなたはこの国の国軍大将です。能力も唯一無二で、最高権力者達の一人に数えられる大きな人物だ。そんな人に、すぐ危害を加えるわけが……」
「お前や私の素行を怪しく思う者がいる。二年前の事故からの復興が整ってきた結果、周りに目を光らせる余裕が出てきているからだ。現にケールがそうだったように。そして、そういう人間の影響が私の地位を揺るがすこともある。私の立場が危うくなることは、すなわち、私の家族が危うくなるのと同じだ。家族が危険に晒される可能性が一パーセントでもあれば、私は安全な方を選択をする。それにな」
フェイの言葉に、ネバはため息を吐いて返す。その岩裏にのぞくような小さな瞳には、諦めがあった。
「私の中の大切なもの順位の中で、ジンは高位にいない。家族が五パーセントの死の危険に晒されることであいつを助けられるとしても、私はあいつを助けない」
「っ……それでも大切な部下でしょう。助けたいとは思わないのですか」
「助けたいと思ったからお前を使ったんだ。ただ、リスクがないと思ったからそうしただけだ。ここから先はもう看過できん。本当に大切なものを脅かしてまで、あいつを助けたいとは思わない」
断固とした口調でネバは提案を受け入れない姿勢を明確に示す。彼は、どうあがいてもジンを助けようとするつもりはないらしい。フェイはそれを受けると、歯を食いしばり、頭を抱えて唸り声を上げる。
「そんなもの、だったんですか。ジンさんは。そこまで大切には、思ってなかったと?」
「……そういう問題ではない、フェイ。お前も、よく覚えておくといい」
ネバはおもむろに両腕を広げ、その大きい手の平でフェイの肩を掴む。顔を上げて見てみれば、ネバは優しい表情でフェイを見据えていた。ネバはそのまま、フェイを励ますように肩を小さく揺らしながら話す。
「大切なものには順番をつけろ。判断を迫られた時、すぐにどちらを捨てるか判断ができるように。一番大切なものを傷つけられないように。今、お前はそれができないから迷っているんだ。お前の守りたいものは、失いたくないものはなんだ? それを失わない判断をしろ」
ネバは熱を持った口調で一方的にフェイに語る。彼自身の思考の根本とも言える考えを。彼の中では今話したことはまとまって見えるのだろう。ただ、とても常人にすぐ理解できる話ではない。フェイも、ネバの言葉を受けて顔を俯けたまま固まっている。
「じっくり考えろ」
ネバは最後にフェイの肩を軽く叩くと、立ち上がって会議室の出入り口の方へと足先を向けた。
(……俺の、大切なもの)
上司であるネバを見送ることもせず、フェイは一人、ただ思考を動かしていた。彼が探しているものは、自分が失えないものだ。この時に至るまで自分が関わってきた者達、友人や師、命の恩人、信念、様々な関係の網から、彼は自分の一番を探し出す。そして、それに次ぐ守りたい者達も。
「……ネバさん」
フェイは自分なりの答えを見つけると、椅子から立ち上がり、ネバの名を呼ぶ。大男はのっそりと、天井が低いのを気にしながら振り返った。
「なんだ」
「俺は、順位なんてつけられません」
フェイは、ネバに視線を向けてはいない。彼の目線は窓の外に向かっていた。
「もう、大切なものを失えない。あんな痛みには耐えられない。だから……順番なんて付けず、俺は全部を助けます」
「……それが可能ならな」
「出来るかどうかはともかく、やらないと自分を納得させらません。……その途中で」
フェイは外していた目線をネバに向ける。その目には、恐れがあった。
「軍を……ネバさんを裏切ることになるかもしれません。そうしたら、あなたは……どうしますか」
「……また面倒なことを」
フェイの言葉を耳に入れると、ネバは大きくため息を吐いて頭を抱えた。しかし、その割に次に出てくる言葉は早い。彼は呆れた様子でフェイに語り掛ける。
「私の家族に危険が及ぶようなことがなければ、放っておいてやる。それ以外のことは、私にとってどうでもいいからな」
「見逃すのですか?」
「私は国に忠誠を誓っているわけではない。お前に物を教える時、そういう口をきいたかもしれないがな。だから、もしお前が私に背を向けても追うことはしない。手隙があれば手を伸ばすかもしれないが、しばらくはそんな暇もないだろう」
「……そんなものですか」
フェイは意外そうに、そして少し呆れたように小さく息を吐いた。
「……では、俺も準備しなくては。任務と、その他の」
意外にも自分の言葉を深く追求することはなかったネバに、小さな笑みと共に一礼した後、フェイはネバの立つ出入り口の方へと向かっていく。すると、ネバは「先に行け」と言って扉を開いて示す。立場上、逆にフェイが扉を開けて道を譲るべきだが、フェイはその言葉に抗せず、短く礼を言って会議室を足早に立ち去るのだった。その足取りにつまるところはなかった。
「……はぁ」
フェイを見送ったネバは、会議室の中に戻り、近くの椅子にドカッと一気に体重を預ける。ギィッっという椅子の軋む音と共に、ネバは静寂の中で愚痴を漏らすのだった。
「ままならないな。私の中ではジンよりフェイの方が大切だったんだが……」




