切開排膿
反射的にメリーは手元の酒瓶を眼前に放り投げた。次の瞬間、高く耳に刺さるような音を立てて瓶はシフに当たる。メリーがシフにめがけて投げたのではない。シフがメリーを攻撃しようと急接近したのに酒瓶はぶち当たり、割れたのだ。
「くっ……」
瓶の中の酒が散乱し、シフは顔を覆って視界が奪われるのを防ぐ。瓶の破片と酒が地面に落ちる音が終わると、すぐに彼女は腕を離し、前を見た。そこには、レプトが剣を構えてメリーを守るのがあった。
「……僕の、どこが恵まれてるって?」
シフは槍を持つ手をゆっくりと持ち上げ、メリーにその穂先を向ける。それは彼女の敵意の先を明確に示しているようだ。シフは腹に隠していた物を全て表出させたような、醜く歪んだ顔でメリーを睨んでいる。
「どう考えても僕は不幸だろ。僕以上に不幸な奴なんてそうそういないさ! そうだろ? お前の言った通りさ。僕は身を裂かれる思いをずっとしてきた。はは……思いじゃないね、実際開かれたこともあるんだから。それで? 死ぬ思いで抜け出したかと思ったら、刻一刻と死が目の前に迫ってくる自由が待ってたのさ! マジで可笑しいだろ。街を歩いてへらへら笑ってる奴らが同じくらいの不幸を持ってるのか? なあなあ教えてくれよッ!!」
高く、低く、山谷の激しい声を発すると同時に、シフは槍を振り上げる。そして、それを迷いなく武装も何もないメリーに向けた。だが、その瞬間彼女の槍はレプトの剣に阻まれる。重く耳を打つような金属音が響くと、シフは槍に加える力を一切抜かず、レプトに怒声を張り上げた。
「どけよおぉぉッ!!!」
「っ……シフ。俺は……」
「黙れ!! 君に僕の気持ちなんて分かる訳ないんだ!」
レプトの言葉を一切聞かず、シフは剣と槍の交わる一点に力を更に加える。
「君と僕じゃ全然違うんだよ。今も笑って、これから先も笑える君とじゃ全く違う、一縷も同じところなんてない!!」
「……」
数時間前に自分も考えていたそのことを突かれ、レプトは剣に加える力は緩めずにいながらも、言葉を返せずに押し黙る。ただ、そんな彼の背で安置にいるメリーが返す。
「他人と比較してもしょうがないだろ。それでお前は救われるのか?」
「……うぅるさいッ!! じゃあお前は、僕にどうしろって言いたいんだよ!」
歯を剥いてシフはメリーに殺意の目を向ける。対してメリーは、冷め切った視線をシフに向けている。レプトという間に立つ者がいるが、彼の存在など空気のようだ。それほどまでに二人は色の濃い感情を向け合っている。
「周りのことを見るべきだった。お前は恵まれてるんだ、間違いない。そんなことも分からないのか」
「ハッ……どこが、言ってくれよ! 僕のどこを見て恵まれてるなんてほざいてんだ!!!」
「友達がいるだろ、甘えるなこのガキが!!!」
「……ッ」
メリーの言葉にシフは一瞬たじろいだ。そんな哀れな被害者に、メリーは休む間を与えず声を張り続ける。
「お前の一声で集まって、お前のために動いてくれる友達がいて、よくもまあ恵まれてないなんて妄言が口から出たもんだ、クソガキ。昼間、お前のことを話す仲間がどんな顔してたか言ってやろうか」
「……関係、ないだろ」
「はっ……関係ないと来たか。そんなことが口にできるからお前はそんなザマなんだ。自分だけのものだと思って命を簡単に諦められる」
「簡単に……だと。簡単なんかじゃない!」
シフはレプトの剣を押し切ろうとするのをやめ、メリーに向かう。その顔には殺意よりも、藁にも縋るような脆さがあった。それを目にしても、メリーは言葉を緩めない。
「簡単にさ。本当なら死ぬまで諦められるもんじゃない。友達を大切に思っているなら尚更だ。お前は、自分の命を自分のものとしか思ってない。お前が助かる手段を探すのを止めるように言った時、仲間はなんて言った?」
「……やめろ」
「きっと粘ったんだろうな。それでもお前を助けたいから、と。だが、お前はそれすら拒んだ。受け入れるしかないだろう、奴らとしては。実際に命がかかっているのはお前なんだから。だが、どんな気持ちだったか。どれだけ歯を食いしばったか。……お前は、仲間のことを関係ないと言い捨てられるクソ野郎だよ。本当なら今ここで死んだっていい大腐れ野郎だッ!!」
「……やめて、くれ」
シフの槍を握る手から力が抜け、カランという軽い金属音を立てて槍が石畳を打つ。持ち手は、その場に膝から崩れ落ちた。暗闇の覆う公園に、少女の泣き声が小さく響き始める。レプトは目の前に膝をつく同類を見て、自然と剣を構えるのをやめた。彼の視線は、ゆっくりとメリーへ向かう。彼女は新しい煙草を口に咥えていた。
「……よかったのか、これで」
「いいんだよ。ちょっと酔いで思ってもないことを言ったが……」
「おい、んなもんでいいのかよ」
「毒を吐いてもらってるだけだ。傷ってのは、リアルのも心のも、膿がたまるとよくないんでな」
煙をくゆらせながらメリーはレプトに伝わりきらない表現で説明する。ただ、何となくで彼女の言いたいことを掴んだレプトは、それ以上は追及せず、納得した様子で剣を鞘に納める。その一部始終の動作を見ていたメリーは、レプトに短く礼を言う。
「止めずにいてくれてありがとう」
「……ああ。信じるって言ったからな」
「そうか」
レプトの言葉にメリーは安堵するようなため息を漏らし、煙草を口に咥える。
「……どう、すれば」
ふと、シフが泣き声の合間に問う。彼女は地面にへたり込みながら、メリーの方を見上げている。その顔は崩れ切っていた。
「どうすれば、よかったっていうんだ……。考えなかったわけじゃ、ないんだよ……」
その弱り切った震える声に何を思ったのか、メリーはシフの服を掴み、立ち上がらせる。そして、彼女を強引に公園のベンチまで引っ張っていき、そこに座らせた。
「まあ気にしすぎるな。お前が仲間のことを考えられていなかったのは事実だが、それも致し方ない部分はある。それに、仲間にも原因はあるからな」
「……ジルア達のせいには、できない……」
「どっちもどっちなんだよ。仲間のことを考えないで命を諦めるお前も、それを強引に助けると言いきらない仲間も。どっちを見ても私は気に入らない」
「……お前に気に入られたいとは思わない」
「何でもいい。でもそうやってグジグジ泣いてるってことは、自分のやったことに惑う所はあったということなんだろ?」
「…………どうして、今の話をしたの?」
ベンチの上で力なく座り、シフはうなだれながらメリーに問う。
「君は、僕を気に食わないって思ってるんだろ。だったらこんな話……」
「お前を助ける時、面倒なやり取りをするのは御免だからな。面倒を先に済まそうとしただけだ」
「……助ける、って……」
メリーが何気なく言った一言に、シフは顔を上げる。彼女の涙で揺らめく視界の中で、メリーが口に咥える煙草の火は薄らと輝いていた。
「言葉通りの意味だ。私達はお前を助ける」
「……手段に当てはあるの? 気休めなら、よしてよ。叶わない期待を持ちながら死んでいくなんて御免だ」
震える声だが、シフは断固として自分の考えを口にする。先のメリーとの問答で多少は心に変化があったようだが、薄い可能性を疎む気持ちは変わらないらしい。泣きはらした薄赤い目が下からメリーを見上げていた。
「……そうだな。あんだけ言ったがメリー、何か手掛かりとかはあんのかよ?」
メリーを信じているというレプトも怪訝そうな目で彼女を見る。彼女自身のことは信じているが、実際、シフを助けられるかどうかについてはまだ信じ切れていないのだろう。
クラスの二人に疑念の目を向けられたメリーは、煙草を深く吸いこみ、吐き出しながらシフの酷い顔を見る。
「でかい貸し、二つ目だ。いつか返せよ」
「……?」
一言置くと、メリーは二人の疑念に答える。
「助ける方法はある。そして、もう準備の目途はできた」
「……えっ?」
「マジかよメリー! いつの間に、それにどうやって見つけたんだよ」
メリーの驚愕の一言に思わずレプトとシフは顔を見合わせる。その後でレプトは歓喜の声と共にメリーの肩を叩いた。シフは、信じられないという表情で俯き、何を口にすることも出来ずにいた。
ただ、先の言葉だけでも二人の心を大きく揺らすには充分だったが、メリーは次いで重大なことを付け加えた。
「初めからだ。私は以前、クラスの研究員だったからな」




