助けを拒まれようとも
「彼女の選択なのかな。手段を探し続けないのは」
ワテルにオレンジの陽光が差し、白い街並みを染めていく頃合い。リュウとジルアは運河が外に見える景色の良い喫茶店の窓際の席で向かい合っていた。二人の挟む黒い装飾の施されたテーブルには小ぶりな白いカップがある。赤く透き通った茶が、そこから白い煙の筋を立てていた。二人以外に客はいない。ジルアがここの店主と顔が利くらしく、払ったようだ。
リュウは茶器に入った液体を興味深そうに眺めながら、ジルアに問いを投げた。それに、彼女は茶を一口飲んでから答える。
「そ。もうずっと前かな……半年くらい前に、あいつが言い出した」
「ふぅ~ん。どうしたら、自分の命を諦める考えになるのかな。僕には全く分からないけど」
「あたしにも分からないけど。でも、シフが本気なのはわかったっていうか……」
リュウは茶を口に含むと、その美味さに目を見開く。
「おいしいね、これ。なんてお茶なんだろ……」
「……ねえ、話する気ないなら帰るけど。あたし、こう見えても結構忙しいし」
「何で忙しいの?」
「あたし、この街の自警団のリーダーだから」
「えっ……そうなんだ」
リュウは手元の茶から目線を外し、目をまん丸にしてジルアを見た。純粋な驚きと疑問の含まれた目を向けられたジルアは、息を吐きながら軽く説明する。
「嫌々だけどね。前の自警団団長で街の町長……お父さんが継げって言うから」
「……君を魅力的だと思う訳が一つ増えたよ」
「さっきはノリノリだったから流してたけど、君ちょっと気持ち悪いと思うよ」
「でも……」
鬱陶しいものを見る目で睨んでくるジルアをリュウは無視し、手元のカップを傾けて中の赤い茶の水面を見つめた。小さい波紋が小さい枠で広がっている。
「さっきので随分と魅力が下がったように見えたよ」
「は?」
「シフがどう言おうと、君は彼女を助けようとするべきだった」
前半の言葉に引っかかった様子を見せなかったジルアは、最後のリュウの言葉に眉を寄せる。そこには疑問や怪訝ではなく、強い不快感、苛立ちがあった。それを隠そうともしていない。彼女はその顔のまま、低い声で問う。
「なんでそう思うわけ? 君が何を知ってるっていうのかな?」
「ん~……勿論、僕の考えが絶対だって訳じゃないけどさ。でも、シフのことを大切に思っているなら、その選択は有り得ないんじゃないかと思ってね」
「……大切に思ってるから、こうしてるんだけど」
リュウの煽るような言葉に、ジルアは声を荒げたりこそしなかった。だが、テーブルに置かれている彼女の手は骨の輪郭がハッキリするほど強く握られている。リュウを映す瞳は据わっていた。対するリュウは、彼女のそれらを目にしながらも、平生と変わらない声で続ける。
「そうか……。彼女自身に言われて、為す術がなかったのかな。理由は……う~ん。残り少ない時間を、憂鬱になることは抜きにして楽に過ごしたいから……とか」
「……だったら何なわけ? そう思ったってしょうがない状況でしょ」
「確かにね。……ああ、そうだ。このことで責められるべきは君じゃなかったね。否定されるべきなのは、シフだ」
リュウはジルアの瞳から目を逸らさず、正面から言い放つ。
「彼女は友達のことを一切考えられない自己中だ」
リュウが言葉を終えるが早いか、ジルアがテーブルの下に手をやり、リュウの側へひっくり返そうとする。だが、その動きを知っていたかのようにリュウはテーブルの表面を手で強く抑えた。一瞬浮き上がったテーブルは、ガシャンッ、という嫌な音を立てて再び床に叩きつけられる。店内には人がおらず、注意は集めなかったが、人が近くにいたなら確実に一瞥では済まない光景だ。
テーブルに下から力を加え続けながら、ジルアは語る。
「アンタが何を知ってんの。言っとくけど、あたしの器は小さいし、友達悪く言われたら我慢できないから」
「間違ってないでしょ。彼女が自己中だと思う理由を挙げてみようか。他人の僕でも分かるよ」
リュウはジルアの力と敵意を押さえつけながら、淡々と言葉を続ける。
「友達が絶対に傷つくのに自らを助けようとしない。絶対に後悔するような言葉だけ残して死のうとしている。レプトに問題がないと知った時、自分と同じ状況になれとさえ願ってた」
「そんくらい思ってもしょうがないでしょ。シフが、あいつがどれだけ苦しんできたと思ってんの。自分がどん底の時、他人の不幸を願うくらい普通なことじゃん」
「ああ、そうだね。でも、前の二つは否定しないんだ」
「…………」
ジルアは揚げ足を取ってきたリュウに殺意に近い敵意の睨みを向ける。口は閉じているが、その奥からも歯ぎしりの音が聞こえる。
「あいつがどんな顔で自分の命を諦める、手段を探すのはやめてってあたしに言ってきたと思う? 涙馬鹿みたいに零して、聞き取れないような声漏らして、酷い有様だったよ」
「でも、その涙は自分に向けたものだ」
「死んじゃうんだから当たり前でしょうが」
「そう、そうかもね。でも、それを君達に少しは向けてもよかったはずだ」
進んでいくごとに、リュウの言葉には力がこもってくる。
「君はこの街や近くで探せる手段は全部探したって言い切った。そう言い切れるくらい、頑張って探したんだろ。そこまでしてくれる友達がいて、シフは自分の事しか考えずに諦めるなんて言ったんだ。僕には、自分が死んだら君がどんな気持ちになるのか全く考えていないようにしか見えないよ」
「自分が死ぬって時、どれだけ人様の事考えられてると思ってんの? 聖人君主じゃないんだし、頭ん中では自分が中心で当たり前でしょ」
「それでも彼女のは度が過ぎる。……さっきの公園に集まってきた仲間達、彼らは君と彼女の呼びかけで集まったんだろ? 目的はシフに協力するためだ。彼女のためにあんなに集まってくれる仲間がいるのに、彼らが悔しがったり悲しむのは分かり切ってるのに、彼女は今の選択をしたんだ」
「だから、しょうがないって言ってんじゃん……死ぬんだよ? 自分が死ぬって、そういう決意を固めた相手に……何て言えばいいっての!」
ジルアは声を荒げ、リュウの言葉を否定する。彼女はいつの間にか彼への攻撃をしようとする姿勢を解き、ただ、自分の心の内を叫ぶだけになっていた。それに対して、リュウは冷えた調子で応じる。
「いや、彼女は何の決意も固めてないよ。ただ考えてないだけだ。君のことも、仲間のことも」
「……アンタに何が分かんのよ!!」
「君もさっき分からないって言ってたでしょ」
「ッ!! この……ッ!!」
ジルアはほとんど反射的にリュウの襟首を掴む。そして、槍を軽々と振るほどの剛力で、リュウの体をぐいと引っ張った。その顔にはもう敵意はない。あるのはただ、悲哀だけだ。目には涙が溜まり、唇は震えている。リュウはそのジルアの顔を見ても、言葉を止めることなく続けた。ただ、その調子は冷えたものではなく、確かに温度のあるものになっていた。
「自分のためにこんなに怒ったり悲しんだりしてくれる人のことを考えずに自分の命を勝手に諦めるのは、自己中以外の何者でもないよ。知らない訳もないんだから。少なくとも後悔が残らないように、自分の命を諦めたい、なんて言い方はしないべきだったんだ」
「……はっ、はぁ……」
リュウの言葉を受け、ジルアは崩れるように椅子に体を預ける。氷が解けるように彼女の手はリュウの服から離れた。椅子に腰を落ち着けると、彼女はすぐに頭を両手で抱えて外から自分の表情が見えないようにする。だが、その震えを見れば、顔が見えなくとも彼女の感情を読み取るのに苦労はしない。
「君も君だ。さっきも言ったけど、諦めないべきだった。シフが諦めると言った時、殴ってでもそれを覆すべきだったんだ」
「……マジでさ、何も知らないのによく言えるね」
「あいつのことは知らないけど、君のことは多少分かってるつもりだ」
「…………」
リュウの言葉に、ジルアは顔を上げて彼の表情をうかがった。リュウは目を外に向け、オレンジの陽光に目を細めている。ジルアにはその目が、深い悲しみともう一つ、底の見えない恨みを持っているように見えた。そんな激情を含んだ目をしながらも、彼の言葉にはもう攻撃的な気配はなくなっていた。
「助けようとしているのに拒まれるのは経験があるんだ。まあ、君のと僕のとじゃ毛色が違う話ではあるけど」
「……そ。じゃあ、君がこんな話をしたのは、同類のよしみってヤツなのかな?」
「そうかもね。それに、彼女の判断も、君の選択も、僕には受け入れられなかったから。衝動的にってヤツだよ」
リュウは平生と変わらないかのように、フッと笑う。それに対し、ジルアは未だに涙の溜まる目を逸らし、ため息を吐いて言葉を返した。
「こんないたいけな少女を泣かしといてそんだけ? マジふざけてるし」
「はは、悪かったよ」
「……君の言いたいことは、分かった。確かにあいつは周りのことを考えてなかった所があるし、私も……ずっと前にあの判断を、下すべきじゃなかったのかも」
それでも、とジルアは間に付けて続ける。
「今から心変わりして手段を探しても、そう簡単にシフを助ける手段が見つかるとは思えない……。もちろん、多少気は変わったけどさ」
ジルアは涙を拭って悲しみを後にするが、それでも俯くのを止めることは出来なかった。未だに、状況に打開の兆しが見えたわけではない。
ただ、そんな彼女にリュウは提案する。
「君達はこの街を中心にして手段を探していたんでしょ? なら、僕達が違う方法で探すよ」
「……って言うと、なに?」
「都合がいいことに、僕達の仲間は一人として同じ環境にいた人がいない。全員別々の場所で育って、別々の生き方をしてきた。その中で、ちょっと心当たりがありそうな人の意見を仰いでみることにするよ」
「……それって確か? あたし、可能性が低いことに賭けたくはないんだけど」
「どうかな……。ともかく、こっちが探している間に、君には引き続きこの街で手段を探していてほしい。それと、シフの説得も。手段が見つかったとして、それに彼女の力や意思が伴わないと駄目な場合、反対されて時間を無駄にするのは御免だからね」
整然と考えを述べるリュウに、そんなことは分かっていたとジルアは頬を膨らませる。
「言われなくても、そうするし。そうさせるために酷いこと言ってきたんでしょ」
「ふっ……よかった。じゃあ、お願いね」
用件を終えると、リュウは外の陽の高さを見て時間を多少把握すると、すっくと椅子から立ち上がった。そして、喫茶店の出入り口の方へと顔を向ける。そんな何気ない動作だったが、その最中、彼の思考は目まぐるしく動き回っていた。
(手段はある)
リュウの頭の中には、一つ、明確な答えがあった。彼の中にはその答えが、シフらと公園にいる時には既に存在していた。リュウのこの行動は、その答えに至りやすくするための前準備とも言えることだ。
そんな思惑のある様子は一切見せず、彼は喫茶店を後にしようと出入り口へと歩いていく。そんな時だ。
「ちょっとリュウ!」
ジルアが彼の背に声をかける。焦りと怒りの混じった声だ。その声にリュウはパッと振り返る。
「どうしたの? 個人的にもっと話したいとか?」
「なわけないし。そんなんじゃなくて、お金! 払わないつもり?」
言葉と同時に、ジルアはテーブルの上に乗っている茶を示す。二人で一つずつということで、少なくともリュウには一方の分を払う責任があると言っているのだろう。それに対し、リュウはつまらなさそうに笑って誤魔化す。
「君が払ってよ」
「ハアッ!? アンタが誘ってきたんでしょ! それと、女に払わせる男とか最っ低だから! 普通割り勘だからッ!!」
「う~ん……」
リュウは笑顔で悪びれることもなく、人差し指を立てて言う。
「都会って、カウンセリングとかいう話し合いでお金取るんでしょ? それ代ってことで」
「……この」
ジルアはリュウのふざけているとしか思えないこの対応に、さっきまでの会話の内容など一切忘れ、壁に立てかけていた槍を持って大上段に振り上げた。
「クソ男……捌いて魚の餌にしてやるッ!!!」




