被虐と加虐意思
「僕達には大した迷惑じゃなかったよ。これは気遣いの嘘じゃない。まあでも……」
シフの言葉に返すのを装い、リュウは目の前で身じろぎ一つせず固まっているレプトの背に助言する。
「嘘が必要な時もあるけどね」
レプトはリュウの言葉を受け、後ろを振り向く。自分より少しだけ背の高いリュウの顔が、今の彼にはずっと遠くに見えた。逆に、リュウから見たレプトの顔は、今まで見てきた間で一番追い詰められた表情に見えた。
(これはレプトの選択だ。僕が……口を出すことじゃない)
状況を冷静に俯瞰していたリュウには、レプトが今、選択を迫られていることがよく分かっていた。だからこそ、それに深く触れることのない言葉しか発せなかった。彼は、自分の運命ではなく、同類の運命を大きく左右する選択を迫られていた。
「シフ、俺は……」
フードの外された青い顔、震える唇でレプトは、選択が必要のないところまで言葉を進める。そうして時間を稼いでいる。
二つの選択、真実で答えるか、虚偽で答えるか。選択を下したとき、シフがどう反応するか。彼女の仲間はどう思うか。シフはどう思うか。自分がどうするか。同類はどんな顔をするか。シフの未来がどうなるか。
揺れ動いて定まらない思考の中、遠く映る視界の中でシフが不思議そうな顔をしている。時間稼ぎはここまでらしい。選択を目の前に突き付けられた。
「…………」
レプトは決断から逃げるように目をキツく瞑る。そうして、可能性を探し続けていた思考を落ち着かせ、絡まった思考を捨てた。
(……嘘は、言えねえ)
決断を下しても、彼の中の後ろめたさが消えることはなかった。だが、それでも彼は、逸らし続けたいシフの目に真っ直ぐ視線を返し、言う。
「お前とは違うんだ」
詰まった息を吐き出すようにその一言を放つと、せきを切ったように彼は続ける。
「あそこから逃げ出して二年、俺はシフみたいにその……正気を失ったことはない。俺が人と違う事って言やあ、顔くらいで……だから」
最も目を逸らして言いたい事実を、レプトは真っ直ぐ伝える。
「俺はずっとこのままなんだ。お前とは同類だけど、お前とは違って自分を失うようなことは……ない。ない、んだ……」
レプトは嘘を一切混じらせず、事実を伝えた。虚偽を伝えればシフの心は守られるだろう。だが、そういう姿勢は真っ直ぐ仲間に向かえていない、そう彼は考えて真実を伝えた。
「…………」
レプトの言葉を受けたシフは、身を固まらせる。声が聞こえない距離ではない。聞こえた上で、その耳に入ってきた情報をどう受け止めていいか分からずにいる。顔に先ほどまであった怪訝はなく、ただ思考のみに意識を割いているのか、無表情だ。
思考の揺れているだろうシフの代わりに、彼女の隣のジルアが深刻そうな顔でリュウに問う。
「同じ……じゃなかったの? この子達は、互いにそう感じてたんじゃ……」
「僕にもよく分からない。ただ、彼らの中でも状態に違いがあるとしか……。少なくとも、レプトと旅をするようになってしばらく、彼女のような症状は見たことがない」
「……そんなことがあるの? 他の仲間には、会ったことがある? そいつらは?」
本人より考えに早く整理がついたジルアは、レプトとリュウに乱れた声色で問いを重ねる。対して、レプトは首を振って返した。
「母さんともう一人、鵺って奴に会ったことがあるけど……そんな風なことは言ってなかった。母さんにもそんな様子は……」
現状、レプトの会ったことのあるクラス、同類は母と鵺、そして眼前のシフだ。その中でこのように異形になり、思考が奪われていく状態になったことのあるのは彼女だけ。自分を含め、他は一切その覚えがない。
同じ境遇でありながら、ここまで肩を組むのに遠い状況があるのかと、レプトは歯を食いしばる。そんな中で、彼は頭の中をよぎったことを早口に、しかし詰まり詰まり言う。
「解決策……そう、治す手段を探せばいいだろ。あと……一か月か二か月ってとこなんだろ? そんだけ時間がありゃ充分だって。俺達も手を貸す、だからよ……」
「探したよ」
「え」
レプトの揺れ動く言葉をジルアが遮る。彼女は目を伏せながら、沈み切った声で可能性のないことを説明する。
「シフが来てから一年半くらいずっと探し続けた。でも、その手段は見つかってない。人の行き来が多いこの街で、外から来た人に聞き込みをしてみても、心当たりがあるって人は見つからなかった」
ジルアの言葉に、レプトは自らの行おうとしていることの可能性が著しく低いことを理解する。先にワテルに入ってきた際、メリーはこの街を観光地としても名がある場所だと話していた。つまり、外から入ってくる人はいくらでもいる。その人々の中にシフのことを知っている人が全くいなかったというのだ。
状況に整理のついたレプト、リュウ、そしてジルアは押し黙る。何を言えばいいか、分からなかった。服に張り付く水のように重く粘着質な沈黙が流れる。
息をする音ですら何かを刺激するのではと立てることを憚られる静寂を、水中に放られたのではないかというくらいに息苦しい沈黙を、突き破ったのはシフだった。
「よかっっ……たよッ!!!」
彼女は溢れんばかりの感情を体に発露させるように両手を上にバッと広げ、その手でレプトの両肩を掴む。顔は、満面の笑みだ。肩を掴まれたレプトは、予想外のことに体を大きく震わせた後、真正面のシフの顔を見て背筋に悪寒を感じる。だが、そんなことには気付かないシフは高く跳ねるような声を上げ続けた。
「仲間も僕みたいな状態なんじゃないかってすごく心配してたんだ。けど、杞憂みたいだったね。ほんっとうによかったよ。君も、君の仲間も、傷つかないですむ。他の同類もね」
レプトの両肩から手を離し、彼女は入ってきた路地を抜けようと三人を横切る。レプトはそれを、振り返って目で追うことは出来なかった。ジルアは自分の仲間であるシフを震える目で見つめ、リュウはシフに睨むような目線を向ける。
三者三様の反応、その全てに目を向けないまま、シフは進んでいく。そして、レプト達が自分の後ろについて来ていないのに遅れて気付くと、後ろを振り返り、痛く見えるほどの笑顔で声を上げるのだった。
「迷惑かけてごめんね。さ、早く戻ろう?」




