刀を抜く意味
「……つまり、白衣の彼女は君の命の恩人で、仲間で、だから……僕のやったことは」
「完全に空振りだった、ってことになるな」
レプトはシフの誤解を解くよう簡潔にメリーの立場を伝えた。彼女がエボルブの人間ではなく、自分にとっては仲間であること。自分は既に敵の手中から逃れており、助けを必要とする立場ではなかったこと。シフはそれを、逐一質問しながらようやく飲み込んだ。
一切の事情を知り、自分が人助けと思ってやったことが全く別方向に働いていたことを理解すると、シフはゆっくりと頭を抱える。彼女はしばらくそのまま黙り込んだ。
十数秒の後、水路の通る路地にシフの悲鳴がこだまする。
「うわああぁぁぁぁーーーッ!! なんてことしちゃったんだ僕はあぁぁ……!」
シフは両手で頭を押さえてその場に崩れ落ちた。彼女の表情は罪悪感と後悔で歪み切っている。今にも自分への罰として頭を壁に打ち付けかねない様子の彼女を見たレプトは、何とかそれを落ち着かせようと身振り手振りと共にフォローする。
「だ、大丈夫だシフ。俺は全然気にしてねえぞ。それに……メリーの方も」
「あ、あの人も、気にしてない……かな?」
「いや」
シフの問いに、レプトは繕いで返そうとはしなかった。それは、以前と同じ勘違いをされ、尚且つぞんざいな扱いを受けたメリーが怒り狂っているだろうことがありありと彼には想像できてしまっていたからだ。
「あいつは多分、すごいキレてる。顔真っ赤だな」
「うわあああぁぁぁーーッ! クソクソッ、十分前に戻りたいよおぉぉ……!」
「お、落ち着けよ」
事実を知ってまたも悲鳴を上げるシフの両肩を掴み、レプトは優しく提案する。
「俺も一緒に謝る。それによ、お前は俺の事を思ってやってくれたんだろ? あいつも事情は分かってるだろうし、説明すりゃ許してくれるさ」
「うぅ……そう、かな?」
レプトの言葉に、シフは不安に声を震わせながら顔を上げる。彼女の表情に刻まれるように色濃くあった後悔は、同類のかける言葉によって薄らいでいた。その変化を目ざとく捉えたレプトは、シフを支えるのをやめて彼女に背を向ける。そして、自分についてくるよう後ろのシフに手を差し伸べた。
「嫌なことはさっさと済ましちまおう、行くぜ?」
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黒い鞘が塗り描く弧、槍の青い穂先が残す光。二者は舞うように戦っていた。噴水が噴き上げ、なだれ落ちる水滴の反射が舞踏にアクセントを加える。周りの観客達はその間に声を挟むことすらおこがましいと思ってか、口を一切開けずにいた。
視線の集まる先で深緑の和装をはためかせて刀を振るうリュウは、噴水のすぐ脇で動きを止め、舞踏の相手に笑みと共に声をかける。
「楽しいね。こんなに気持ちのいい運動は久しぶりだよ」
「……そうかもね」
「ん、どうしたの? 浮かない顔をしてるね」
槍を振るう少女、ジルアはリュウの言葉に応じるため、動きを止めた。そんな彼女の表情は、溢れんばかりの笑みを抑えようとしているリュウとは反し、楽しさの中に曇りを持った表情をしていた。気持ちよく肩で息をしているが、その目には少しの惑いがある。その違和感に言及されたジルアは、右腕に絡めた槍の刃先をリュウの左手に収まる刀に向け、疑うような目で言う。
「それさ、そのまま振るのが正しい使い方じゃないっしょ? っていうか、絶対手ぇ抜いてるって感じ」
「手は……抜いてないよ。今出来る全力を出してるんだ」
「……そうかな」
リュウの言葉を受けながらも、ジルアは彼の手が持つ刀を怪訝の目で見る。戦っている間に彼女は、リュウが持てる全ての力を出していないというのを言葉や知識以上に感覚で捉えたのだろう。
「もちろん斬ってくれなんて言わないけど、少しくらい味わわせてくれてもいいんじゃない?」
「はは、危ないよ。抜くことになったら少し斬るように加減する、なんてことは出来ない。それに……」
ジルアの追及にリュウはいつもの軽い笑いであしらいつつ、薄目で彼女を見据える。そして、おもむろに左の手に持つ刀を持ち上げて示した。白い噴水を背景に黒い漆塗りの鞘は際立ってジルアの目に映る。
「刀を抜くのは、殺さなければならない相手を前にした時か、そうしなきゃ打開できない何かがある時だけだよ。それに、刀は心だ。無暗に人に見せるものじゃないし、血で汚すなんて以ての外だ」
「ふ~ん……。じゃあ、さっきの言葉はほんとーか」
リュウの言葉を聞き、ジルアは納得したように彼の刀を見直す。彼女と同じように、リュウの言葉を聞いていた者達は興味深そうに刀を見た。このワテルにいる亜人達にとっては知る機会のなかったことのためだろう。
そんな中で、カスミはリュウの言葉を聞き、スラムで彼と共にいた時に起こったことを思い返していた。
(リュウ……じゃあ、あの時は本気であいつを……)
リュウは人を躊躇いなく殺したフロウに対し、刀を抜いて攻撃しようとした。思いとどまりはしたが、その気があったことは確かなのか。カスミは今の言葉を聞いてそれを確信し、リュウを目を細くして見据える。
そんな彼女の思案は誰に知られることもなく、他方ではジルアが途切れた舞踏を再開しようと槍を握り直していた。
「野暮なこと言っちゃったかな、ごめん。んじゃ、また再開ってこと……でっ!」
「っ!」
言葉の途中、ジルアは体をバネのように駆動させてリュウに急接近し、その槍を横に薙ぐ。コンマ数秒ほどのごく短い時の中、リュウは咄嗟にその動きに反応し、動きを追いつかせる。反射的に、彼は左手に持った刀ですぐ脇の噴水の水をつぶてにした。自分が攻撃する側だと無防備に飛び込んできたジルアの顔面に、その水のつぶては打ち付けられる。
「うひゃっ!?」
思ってもみなかった反撃にジルアの槍は揺らぎ、虚空を横切った。水生の亜人と言えども急に目元に打たれれば視界を奪われてしまうのだろう。ジルアは自分の顔についた水を手の平で拭うと、ジトッとした目でリュウを睨む。
「女の子に水をかけるのはちょっとないんじゃないかな? いい女が台無しなんだけど」
「元から全身濡れてたじゃない。それに……」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、リュウはジルアへ鞘に覆われた刀の先を向ける。
「水の滴るいい女って言うからね。正しく、今の君がそうだよ」
「はは……心にもない事言っちゃってさ。あたしが手を抜くと思ってんのかな?」
妖艶にも見える薄紫の髪から玉の雫を垂らすジルアは、笑みで細く歪んだ目をリュウに向け、同時に槍を握る手に力を込めた。応じるようにリュウも左手に持った刀を構える。二人は足を落ち着けて話すのを止め、再び互いの武器を交わそうとし始めたのだ。命のやり取りではないものの、周囲で見る者にも分かるほどの緊張感がまたも公園に広がった。
そんな時だ。
「ストオォぉーーーーップ!!!」
少女の声が公園内に大きく響く。周囲にいる者全ての耳にノックするような音量で響いたそれは、陸側の公園の入り口から聞こえてきたようだった。一同は一斉に声のした方へと目を向ける。
噴水の奥、公園の入り口に立っていたのは、頬を紅潮させて肩で息をするシフと、その後ろでやれやれという風にフードを掴んでいるレプトだった。シフは公園に入ってくるとすぐ、ジルアとリュウの間に立ち、二人の争いを止めるように両手を広げる。そして、周囲にいる者達の顔を焦燥を浮かべた顔で見渡すのだった。
ジルアの仲間の手によって未だ地面に押さえつけられていたメリーは彼女のことを見ると、心の奥底から湧いたような呆れのため息を吐いた。
「はぁぁ……やっとか」




