レプトとエボルブ
「ホント、有り得ない……」
宿の二階にあるあまり質が良いとは言えない狭い一室の中で、カスミは不快な気持ちを声にして吐き出す。その対象はもちろん、自分とレプトを強引に同室で泊まることを決定したジンである。先ほどの彼に負けず劣らず、今のカスミも腹が立っているようだった。
そんな彼女の様子を傍から見ていたレプトは、既に今の状況を受け入れているようで、息が荒い彼女を落ち着けようと声をかける。
「まあまあ。昼は俺達が我儘言ったんだし、今回はこっちが聞いてやろうぜ」
「って言っても……私達のは別に我儘とは違うでしょ。あの人達を助けるためだったし」
レプトの言葉に、カスミは自分達がしようとしたことは別に我儘でも何でもなかったと主張する。確かに、二人の行動は攫われた女性達を助けるという、つまり人助けを目的にしたものだった。
「寧ろ止める方がおかしいわよ。だって、人助けはするべきでしょ」
カスミは部屋にある椅子に座って、ジンが自分達の善意の行動を止めようとした方が駄目なことなのではないかと言う。そんな彼女の言葉にフッと笑ってレプトは返す。
「まあそうだけど、ジンは俺達のことを考えてるからこそ、俺達のことを止めてるんだぜ」
「……っていうと?」
レプトの言葉にカスミは首を傾げる。それに対し、レプトは腰に提げていた剣を適当に壁に立てかけながら説明する。
「言ってただろ、追手がいるって。目立つことをすると、そいつらに手がかりを与えるとになって、俺達三人が危険になる。それを避けたいんだよ」
「……」
「俺達以上に俺達のことを考えてるから止めたんだ。確かに俺も今日のことはやってよかったと思ってるけど、あいつの苦労も考えといてやってくれよ。自分の命だけじゃなくて俺のと、今日からお前のも抱えることになったんだからな」
レプトは軽く笑ってカスミに話した。ジンは自分達のことを考えているが故に先ほどの二人の善意から来る行動を止めたのだと。
レプトの話を聞いたカスミは、その話を頭の中でゆっくりと咀嚼し、考え込む。困惑の表情が見えないことから、話が理解できていないわけではなさそうだ。それよりも、このことについて自分はどう答えを出すのか、それを戸惑っているようだ。まだ彼女はレプトの話やジンの考えの十割全てを受け入れられたというわけではないらしい。受容を阻んでいるのは彼女の正義感だろう。ジンが二人を止めたのは、見方によっては他人を見捨てて自分達を守ろうという行為だ。それが、彼女の心で突っかかっているのだろう。これを受け入れていいのか、それとも駄目なのか、彼女は迷っている。
そんなカスミの深い惑いを知ってか知らずか、レプトは彼女に声をかける。
「なあ」
「え、何?」
「これ、外していいか」
カスミが顔を上げてレプトの方を見ると、彼は自分がかぶっているフードを指で示していた。外していいか、というのはそれのことで間違いないだろう。
問われたカスミは、戸惑いながらも応える。
「レプトがそうしたければ私はいいけど……大丈夫なの?」
「お前にはもう見られちまったから、もう別に隠しておく必要はない。お前が不快にならなければ外しておきたいんだ。鬱陶しいからな」
カスミはレプトの言葉に動揺する。一度見られたとはいえ、そんなに簡単に見せてもいいものなのか、と。だが、レプトは本当に何も気にしていない様子だった。声色からそれを読み取ったカスミは、できるだけ間を開けず、声の調子も普通と変わらないように心掛けて言葉を返す。
「私は全然大丈夫よ」
「そうか、ありがとう」
レプトはカスミからの返答を受けると、すぐにフードに手をかけて顔を晒した。同時に、彼の顔の人ではない部分が部屋の明かりに照らされる。左側部分を覆う緑の鱗が、光を反射して妖しく光っていた。
既に分かっていたこととはいえ、カスミの目は彼のその顔に寄ってしまう。だが、レプトはそれに気付いていない。昼の時のように顔のことで気を張るということは一切ないようだ。カスミはそれを少し違和感に思うが、自分からコンプレックスに触れてしまう可能性があることを恐れ、何も言わずにおく。
だが、その一つを抑えたところで、カスミのレプトに対する疑念はまだ残っていた。彼女はレプトの顔に対する意識よりも、それを問うことを優先する。
「ねえ」
「ん、なんだよ」
「あのジンが言ってたこと。追手がどうとかって話。あれって本当なの?」
カスミの疑念はレプト達の現状についてだった。先ほどは信じなくても構わないと言う言葉で済ませられたが、こうして落ち着いていると気になってきたのだろう。
問われると、レプトは一つだけ間を置いて答える。
「本当だ」
「……理由は? なんで追われてるのよ」
カスミは次いで疑問を投げかける。昼間に話された国家に支援を受けるような組織に追われるのは一体何故なのか。ジンはこれを話していなかった。
「……」
レプトはカスミの問いを受けると、先ほどよりも長く沈黙する。目を細めて低く唸り、何かを悩んでいるようだった。カスミはそんな彼の表情をジッと見つめ、返答を待つ。
しばらくして、レプトはゆっくりと口を開いた。
「エボルブは目的のためなら平気で人を実験に使ったりするって言ったよな」
「ええ、言ってたわね」
「俺のことだ」
「……え?」
「俺は二年前まで、奴らの実験対象だったんだよ」




