時間切れ
ジンによって思惑を打ち払われたフェイは、敵の本拠地であるかのような街シージから離脱しようと街を駆けていた。深追いしなかったのは、リベレーションの人物に逆に捕らえられた場合、二度とチャンスを掴むことが出来ない可能性を考慮したためだ。
上がった息でしばらく走り続け、ついに限界を迎えたフェイは路地裏に転がり込み、夜の闇で体を隠す。彼は闇の中でひとまずの休息を得て安堵する。だが、そんな彼の頭の中に先の失態がよぎる。瞬間、フェイは喉の奥にせりあがってくるような悔しさを感じ、額を指の関節で叩く。
「クソ、クソッ……! ここまで来て、何故……もう時間は僅かだというのに」
フェイは息を整えることも忘れ、行き場のない感情をそのまま剥き出しにする。そんな時だ。予兆なく彼の懐から高い電子音が鳴り響く。ピピピピピッ……という音を断続的に繰り返すその発信源をフェイは一瞬で把握したのか、荒げた声を発するのをやめ、すぐに音の出所の道具を取り出す。
フェイは薄い板の形をした連絡機を手に持つ。そしてその大部分を占める発光した液晶部分に映された画面を目に入れた。
「っ!? な、なんで……今」
連絡機の画面には、ネバという文字が一面に表示されていた。フェイはそれを目にすると、額に浮かべていた汗が一瞬にして冷えていくのを感じる。夜風に吹かれたからではない。
フェイは息を無理矢理整え、自分に連絡してきた相手を待たせぬよう画面を操作し、平坦な声をつくって応じる。
「待たせてしまってすいません。フェイです」
「いや、いい。こんな時間に連絡して済まない……。外か?」
「は、はい」
低く、それでていて揺れのない威厳のある声が連絡機の奥から返ってくる。フェイは一応周囲に人がいないかを確認し、路地裏の奥へと更に進みながら言葉を返す。
「息が上がっているな。まさか、作戦行動中だったか?」
「いえ……そうではないのですが」
「その様子を見るに、うまくいかなかった結果という所か?」
「……申し訳ありません」
繕いを看破された上、自分の状況まで数度のやり取りで見透かされたフェイは、その言葉を確認するより前に謝罪する。それを受けた連絡機の奥の人物、ネバは低い唸り声を上げた。長く、重い声だ。それは電子の掠れたノイズに混じり、フェイの耳に深く響いた。
「二年前の処理が直に完了する」
「……?」
「そろそろ正式にエボルブや軍がクラスや疑わしき人物への捜索に取り掛かるだろう。つまり」
ネバは一つ息を溜め、苦々しげに告げた。
「タイムアップだ」
「……ッ!!」
進めていた歩が止まり、フェイの身体は凍ったように固まった。見開かれた目には夜闇が光りなく映り込んでいる。そんな彼の状態を察してか、ネバは順を追って彼に説明した。
「私達が非公式に隠れてジンを追跡することはもう出来ない。私の指示を直接受けている者達以外に見つかれば、その者から情報が洩れ、私達自身の立場が危うくなる。そうなれば自然、ジンをこの国から逃がすことも難しくなる。ともすれば、私達がリベレーションらとの繋がりを疑われ、処断の対象にもなり……」
ネバは今の状況の悪さについてこれでもかと説明を連ねる。助けようとしている者だけではなく、自分達にまで火の粉が降りかかる可能性を強調して彼は話した。
だが、フェイはネバの考え通りに思いを鎮めることは出来なかった。
「俺はまだやれますッ!! 次、次にはきっと、捕えて……それに、俺はどんな危険があろうと構いません! ですから……ッ。俺に恩人を……助け、させてください……」
せきを切ったように、雪崩のようにフェイは震えた声で言葉を吐き出した。目の前に相手がいるわけでもないのに弁明するように大仰に手を振りながら、言葉を詰まらせながら。
フェイの、心の悲鳴のようなその声を、ネバは遮る。
「やめろ、フェイ。もうできないんだ、そんなことは」
「ッく…………」
続けようとしていた言葉の先を切られ、そして思いも断たれ、フェイは喉の奥に両方を詰まらせる。
「都合が良いと言うとなんだが、リベンジの連中がフォルンという街を襲うと情報が入った。お前のいる場所からも近い。私も向かっている。他の者達に疑いを向けられないよう、応援という形でお前達とそこで合流する。そして、鎮圧が終わったら都に戻るんだ。いいな」
ネバは積極的に心に介入しようとはせず、するべきことのみを端的に伝えることでフェイの心の波を落ち着けようとした。
フェイは、しばらく口も開かずにいた。目は何を捉えることもなく、ただ夜闇を見つめている。彼は、そこにはいない恩人に対し、零すように力なく問う。
「ネバさん……聞きたいことがあります」
「なんだ」
「ジンさんはあなたにとって、大切ですか」
「無論だ」
「なら……少し、もう少しだけ、チャンスを……」
「フェイ……」
ネバは、連絡機の奥からカチカチという小さい音が聞こえるのに気づいた。歯を合わせるようなその音がフェイの激しい動揺が起こしている音だというのを察したネバは、深く息を吐きながら彼を説得するように言葉を重ねる。
「私とて、奴を失いたくはない。だが、このまま続ければお前まで危うくなる。……私は、被害を小さくしたい。言っていることは分かるな。私にお前まで失わせないでくれ」
「…………っ」
「以上だ。通話を切るぞ」
一方的なネバの宣言を最後に、連絡はブツッという荒い電子音と共に切断される。フェイは縋るように声を上げるが、もう奥にいる者へ言葉が届くことはなかった。
声を上げても返事が返ってこないことをフェイは、夜の静寂を耳にして遅れて理解する。
「……クソ」
目的を見失った男は、路傍に骨組みを抜かれた人形のようにへたり込んだ。その者は一人、誰に届くこともない震える声を漏らすのだった。
「俺はこれから、どうすればいい……」




