離れていく憧れ
リュウとカスミがアデドの少年の確保を終えた頃、レプト達はヴァンスに従う軍人達と倉庫で交戦していた。状況は、レプト達に若干優勢に働いている。要人の警護にあたる者達ということもあり、彼らは通りで遭遇した軍人達より実力が上ではあったが、レプト達はそれをさらに上回っている。加えて、一人一人全く違う種の力を操るということも、レプト達に有利に働いていた。
「……無理か」
交戦を背後から観察していたヴァンスは、軍人達に明確な勝機が無いことを察する。最後にレフィを目の端に捉え、舌打ちをすると、戦闘の起こっている場所とは真反対へ歩き出す。倉庫の奥、彼が先ほどまでいた別室に向かったのだ。
「……軍人どもを盾にして逃げる気か」
(入口は私達の後ろにあるはずだが……抜け道か)
直接敵と接近戦を仕掛けるレプト達を後ろから援護していたメリーは、状況を俯瞰できていたためにヴァンスの動きにいち早く気付く。知るが早いか、彼女はすぐ近くにいたジンに声をかけ、背後の倉庫の出口へ走る。
「この場は任せた、ジン!」
返事を待つことなく、メリーは戦っているレプト達を残してそのまま倉庫を飛び出した。目的は、ヴァンスの逃走に介入するためだ。
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(廃棄したアデドの研究所が近くにある。そこの転移装置を使えば、逃げるのに困難はない)
ヴァンスは倉庫から抜け出すと、明確に経路を決めてスラムの通りを走る。その表情に焦りはない。逃げおおせると確信しているのだろう。一定のリズムで路地に高く乾いた足音が響く。
ただ、ヴァンスが目的地に向かって何一つの障害もなく駆けていたその時だ。彼の眼前に、一人分の人影が立ちはだかる。白衣の女、メリーだ。彼女の存在を見止めると、ヴァンスは直ちに足を止め、軽く荒れた息を整えると同時にため息を吐く。
「……お前か」
ヴァンスの眼には、肩で激しく息をするメリーが映っていた。彼女は先に鉄火場から抜け出したヴァンスに追いつくため、全速力で駆けてきたらしい。彼女は汗を額に浮かべながら、その固い態度は崩さないように声を上げる。
「さっきは……よくも流してくれたな。全く、驚いたよヴァンス。お前がこういうやり方の研究に手を出すとはな」
「研究では手段を選ばないと言ったはずだ」
「……残念だよ。純粋に。先駆者と思って尊敬していた人間が、ね」
以前に会ったことがあるという事もあってか、両者ともに言葉が詰まることはなかった。しかし、メリーとフェイが対面した時とは異なり、互いに明確な敵意を含んだ視線を向け合っている。
メリーはヴァンスに対し、レフィのことを頭に思い浮かべながら問う。
「一号と呼んでいたな。あの子以外に何人実験に使っている」
「お前に話す必要があるのか?」
「話したら、何もせずに見逃してやるよ。あっちで戦っている仲間に比べれば私は無力なただの女だが、お前も同じように無力なただの男だ。その気になれば、時間を稼ぐことは出来るからな」
メリーは研究の状況を説明するように求める。彼女の言葉に、ヴァンスは眉間に深くしわを刻んで不快感を露わにしながらも、譲歩して問いに答える。
「三人だ。知ってどうする」
「いや……朗報がある」
朗報、という意外な言葉にヴァンスは思わずその言葉を反復する。
「お前の実験は、恐らく成功している」
「……一体何を根拠に……?」
「一号、レフィは、先のやり取りで分かった通り記憶を失っている。だが、その体にシンギュラーのような能力は得ていた。つまり、彼女の事例では記憶だけが問題になっている」
レフィの状態について説明しながら、ヴァンスが行ってきた実験が成功しているという考えをメリーは話す。
「しかし、彼女の記憶は全く別のファクターで失われた可能性がある。お前の実験ではなく、別のタイミングで、だ」
「なんだと?」
「近くの研究所でアデドが暴走状態になって抜け出し、この近くをうろついたんだろう? 知っているだろうが、似たような状態に彼女もなった。その時、彼女は自身の能力を限界以上に行使した」
「能力のオーバーフロー……それで記憶が焼き切れたと?」
「そうだ。定かとは言えないが、他の実験体で確かめればいい。もし、私の言った通りならば……つまり、暴走状態になったとしても、オーバーフローを起こす前に安定剤を打つ設備を整えればいい。そうすれば、実質ほぼノーリスクで、人に能力を付与することが出来る」
メリーとリュウが以前に車で話していたことだ。暴走状態のレフィが能力の使い過ぎで記憶を失った可能性がある、ということ。それが事実ならば、能力の使い過ぎを起こす前に安定剤を打ち込めば、記憶を失うこともない。失うものもなく、人に特殊な能力を与えることが出来る。
メリーの話を聞き、ヴァンスは興味深いと感じたのか、独り言を呟き始める。
「成功したのか……? 戻ったら試行を増やさなければ。まずは、一号と同様の実験をしている四号の状態を確認し、更に他で再現……」
ヴァンスは、歪んだ笑みを口元に浮かべる。自分の携わってきた研究が成功しているという可能性があるというだけで、喜ぶべきことだ。彼も同じように感じたのだろうか。
ただ、その笑みを見たメリーは額を強く抑えてため息を吐く。
「やはり、お前はあの時に口で話した目的とは違う、私欲で研究をしている」
「何?」
メリーの言葉に多少の興味も持たず、顔も上げずに短い言葉でヴァンスは問い直す。考えを整理する方が彼にとっては重要なのだろう。ただ、そんな彼に対してメリーは俯いて言葉をかけ続ける。
「自分の欲のために、他人を傷つけて成功に近付くことを厭わない。お前はやはり……」
目を上げて相手に顔を向け、最後にメリーは告げようとした。だが、その時にはもう彼女の視界にヴァンスはいなかった。急いでメリーは周囲を見渡し、彼の所在を確認する。
「どこに……」
ヴァンスの居場所はすぐに分かった。彼は、元から進んでいた進路通り、歩き始めていたのだ。手にはメモとペンを持ち、何かを書き記しながら歩いている。メリーの言葉を、途中で聴く必要が無いと判断したのだろう。
「…………」
もう既に建物数軒分は離れている。追い付けない距離ではないが、メリーは遠くなっていくヴァンスの背を一瞥すると、頭を掻いてため息を吐く。
「……疲れたな」
メリーは追うことを諦めたらしい。初めから問いに答えたら見逃すという話ではあったが、全く何のアクションも起こす気がなくなったようだ。
彼女はまだ遠くに見えるヴァンスの背から目を離し、煙草を懐から取り出した。ライターで気だるげに火を灯し、指で挟んだ煙草を口に咥えると、彼女はその煙を深く吸いこんだ。そして、勢いよくそれを吐き出す。そうして一服すると、彼女は指に込める力を自然に抜いた。火のついたままの煙草が音もなく地面に落ちる。彼女はそれに構うことなく、口の端から漏れる煙を背に歩き出すのだった。




