ロン
「最強の剣士、ロン」
「こいつを殺せば、俺達も傭兵として名が上がるってもんだぜ!」
リュウとカスミが目を向けるスラムの往来。その中心辺りで物騒な得物を各々手に持っている男達が、一人の人間を囲って円を為していた。蚊帳の外の周囲の人間達は、危険から逃れようとその一団から離れる者達と、興味を惹かれて野次馬と化す二者に分かれる。リュウとカスミは、その後者に当たった。
「ロン……聞いたことないわね」
「なんか、ジンの話で聞いたことがあるような……」
二人は呟きながらジンのいる店から少し離れ、野次馬達の間を縫うようにして男達が織りなす円の中心にいる人物を見る。
「あらあら、血気盛んな男達が多いのねェ」
往来の中央にいたのは、一言で表現するなら、奇怪な恰好をした人物だった。身長や体格から察するに男性なのだが、それにしては派手な紫やピンクが基調の華美な服を着ている。そして何より目立つのは、髭まである顔に化粧をしていることだ。普通女性がするような、元ある美しさを際立てると言うより、無理矢理女性的な美しさを作ろうとするような荒い化粧だ。ただ、元の顔が多少整っているせいか、壊滅的に酷くは見えない。しかし、奇妙なのは否定できない。
「ん、あれは……」
男はそんな色濃い特徴を複数持っていたが、リュウはそれらには目を向けず、男の持つあるものに注目した。
「刀、か」
男は腰の帯に刀を差していた。リュウの持つような真っ黒で地味な鞘ではなく、銀の装飾の入った煌びやかな見た目の刀だ。
化粧の男、ロンは自分の周りですごむ男達を見ながら、その腰に提げた刀に手を伸ばす。
「あたしを倒そうとするのには、あまりに……数が少ないと思うんだけど、大丈夫かしら?」
するりと鞘から白刃を抜き放ち、ロンは周囲を見渡す。彼のことを円で囲む男達はその様子を見ると、自分達が襲う側であるというのに、一様につばを飲み込んだ。
その理由は、目の前にいる人間が大した人間に見えないから、この一因が強い。ロンという男は、得物を右手に構えても迫力のようなものを感じさせない空気を持っていたのだ。強い人間、そう聞いている彼らにとっては意外なことだ。そして、彼らにとっては意外だと思う以上に奇妙に感じられたのだろう。最強と謳われる男が、刀を抜いても圧も感じさせない。異様さが恐ろしさまでも感じさせる。
「っ……お前ら、ひるんでんじゃねえ! 行くぞ!!」
男達の内の誰かが大声を上げる。恐れを忘れさせるような暴力的なその声は、怖気づいていた男達の背を強く押した。先の声に続き、雄叫びをあげて別の男達も各々の得物を振り上げ、ロンに向かう。
開戦の時を一歩引いた場所で見ていたリュウは、ロンの初動の姿勢を目に捉え、自然にあっと口を開いた。
「……すごい事が起きる」
「え?」
リュウの一言にカスミは首を傾げる。何かしらを感じ取ったらしいリュウは、戦いの始まりを注視している。
「困るわねぇ……」
始めにナイフを持ってロンの背に迫った男が、その得物の切っ先をロンの首筋に振り下ろしたその時だ。殺意を向けられた最強と呼ばれる男は、一言呟いた。同時に、ロンは帯に提げたままの鞘を左手に持ち、それを用いてナイフを受け止める。男はロンの手に持つ刀に意識が行っており、攻撃が鞘で防がれたことに反応できない。その隙を突き、ロンは刀の柄で横から男の首を打つ。その一撃は男の意識を一瞬で刈り取った。
次に、ロンは自分の方に並んで向かってくる男三人に目をやる。意識をそちらに向けてからは早かった。先ほど攻撃を加えて意識を失い、彼の方に向かって体を倒してくる男の髪を掴み、三人の方へ投げたのだ。障害物が眼前に出てきたことにより、三人の男達は足を一瞬止める。それを見て取ったロンは、遂に右手に持った刀を振るう。
ロンの振るう刀は、音を立てずに三人の足の肉を裂いた。右手のみで軽々と振るわれた白刃は、全く抵抗なく、川が流れるかのように人間の骨肉を断つ。男達は攻撃を受けたことに、体が倒れてからようやく気付いた。同時に、その脳を焼くような痛みに悲鳴すら上げずに意識を飛ばす。
自分に襲い掛かってくる男達四人を、命は奪わず一瞬にして無抵抗にしたロン。彼の動きは、まるで彼の世界だけが秒という単位で進行するのではなく、もっと細かいもので区切られているかのように神がかった速さを持っていた。
「極点だ。人が届き得る最高峰……」
リュウはロンの動きを見てそう呟く。武道をある程度は修めているからこそ、感じるところがあったのだろう。同時に、両者の扱う武器は同じだ。より、ロンの凄絶さが彼に伝わってきてもおかしくはない。
先のやり取りを終え、ロンは一つ息を吐く。男達と戦い始めて五秒経つか経たないほどの内に四人を無力化した彼だが、調子を乱している様子は一切ない。
「あら、来ないの……?」
ロンは刀を持ち直して周囲の男達に問いかける。白刃には血がついていない。彼はその美しいまでに輝く銀の刀を見つめ、フッと笑って言った。
「臆病、なのね」
ロンの挑発が、男達の暴力性という導火線に火を付ける。それは彼らに目の前で起こったことに対する驚愕や、ロンの圧倒的強さに対する恐怖を忘れさせた。各々が得物を持ち、それをロンに振るい始めた。
そこから先は、初めと同じことが続いた。自分に近付いてくる者から順にロンは倒していった。命を奪うことはせず、手や足を斬るか、急所を打って気絶させるか、どちらにせよ男達はロンの反撃を受けて長く立っていることは出来なかった。元は三十人ほどいた男達は、三十秒もかけずに十人ほどになっていた。
「あれ……本当に同じ人間なの?」
「ああ。間違いない……。動きに無駄がない。最も良い手を、一切違わず選択し続けている」
ロンの強さを、リュウは選択の正確性だと言う。腕力や速さも凄まじいが、特筆すべきはその判断力である、と。それは長く戦ってきた経験から来るものか、あるいは潜在的な能力か。どちらであっても彼は比類なき武力を持っている。
その個の強さに、群の男達が圧倒され始めていた時だ。
「ん、あれは……?」
残り十人ほどの男達がロンに攻撃を仕掛けている場所から、少し離れた所に一人の男がいた。ロンに一度打ち倒され、地面に伏していた男だ。その男は、こめかみに青筋を立てながら立ち上がり、懐から何かを取り出そうとしていた。
「銃……まずい」
男が取り出したのは銃だ。その先を、憎悪の含まれた視線と共に、舞うように戦うロンへ向ける。ロンは気付いていない。背後から戦いの一部始終を俯瞰していたリュウはそれにいち早く気付き、地面を蹴って体を男の元へと一息に運んだ。そして、男とロンの間に立つ。
「ッ、テメエは……!」
射線上に立ったリュウに、銃を持った男は驚愕を露わにする。対してリュウは、帯から抜いた刀を鞘から抜かず、そのままで男の首を強く打った。
「うっ……」
不意打ちを仕掛けようとした男は、リュウの手によって一瞬で気絶する。男が倒れるのを見届けたリュウは、思い出したかのように後ろを振り返り、ロンの方を見た。そして、目を見張る。
「……! もう、終わったのか」
リュウが男一人を倒している内に、ロンは残っていた暴徒を全員倒していた。圧倒的な実力を持っていることが分かっていたとはいえ、それを結果でハッキリと目にするとリュウは改めて驚く。往来には得物と気を失った男達が転がっていた。
「あなたは……私を助けてくれたのかしら?」
自分を敵視する人間を全員倒したロンは、リュウの方を振り返って彼に問う。結果としてはロンを助けることになったリュウは、刀を帯に戻しながら答える。
「まあ、気になったので。余計なことでしたか?」
「ん、ああ……」
ロンはリュウが倒した男を見下ろし、笑う。
「いいえ、ありがと。優しいのね?」
「いえ、そういうわけでは……」
「んもう、そんなことないわよッ!」
「……え?」
高い声を出し、三十路ほどの女性がするように手を振ってロンは話す。先ほどまで戦っていた時の空気とは全く異質な緩さを持った彼の調子に、リュウは首を傾げる。だが、ロンはそれに構うことなく続けた。
「どいつもこいつも、あたしが最強だからって、野次馬しかしないのよ? ほら、そこら中にいるじゃない」
周囲を見渡し、ロンはそう言った。二人が立つ往来の中央には、先ほどまでの戦いを見物しようとスラムの住人達が集まっていた。彼が言ったのはその者達のことだろう。責めるような口調ではなかったが、圧倒的な武力を持つ者に目を向けられると、彼らは一様に蜘蛛の子を散らすようにその場から離れていった。
「ああ、まあ……あれだけすごいものが見られるのですから、見物したくなるのも分かります。私も、先ほどまでは見ていただけですし」
「もー……褒めても何もでないわよ?」
「いえ、あなたは正しく最強だ。その刀、心が物語っている」
リュウはまだしまわずにいたロンの右手の刀を示し、言う。彼が手に持つ刀には、一切血が付着していなかった。




