背にした事情
「なるほど……」
メリーがキャルゴに頼んだことは、疫病の症状が軽い村人を一人ここに連れてきて調べさせてほしい、ということだった。村では疫病に罹った住人を一か所に集めて看病していたが、そこに向かうのは感染するリスクがあるため、直接向かうのは避けたのだ。
目の前でダルそうにする獣人の村人をしばらくメリーは観察する。口の中や体の検診、いくつかの問診を経て彼女は一つ息を吐いた。
「大体分かった。キャルゴ、彼を元の所に戻してやってくれ」
「……はい、分かりました」
メリーは十五分ほどの診察で何かを把握したらしく、疫病に罹っているという獣人に軽く礼を言い、キャルゴに彼の面倒を見るように頼んだ。後ろで診察を続けていたメリーの背を見ていたリュウ達、そしてフェイは彼女の手際の良さに目を見張った。
キャルゴと獣人の男が部屋から消えると、メリーの背にリュウが問いかける。
「今のだけで、何か分かったのかい?」
「まあな。しかし、分かったと言っても画期的な治療方法があるわけじゃない。今のは言わば、確認だ」
「確認?」
リュウが首を傾げているのに対し、メリーは詰まることなく説明する。
「フェイが三日ここにいて疫病に罹っていないことを少しおかしく思ってな。都でするようなマスクや消毒なんて対策は取れてないのに妙な話だ。まあ馬鹿は風邪をひかないと言うからその可能性も考慮はしたが」
「おい」
「しかし、心当たる事例があった」
途中挟まれたフェイの声に全く見向きもせず、メリーは目を細めて続ける。
「亜人と人間が共同で暮らす街で起こった疫病だ。その病にかかった者は免疫が弱いと死に至ることまであったと言うんだが、しばらく事が進むと街の者達はおかしなことに気付き始めた」
「おかしなこと? ……片方しか罹ってなかった、とか?」
「よく分かったな、レフィ。そう、亜人しか疫病に罹っていなかったのさ」
レフィが首を傾げながら言った発言が良い指摘だったらしく、彼女の方を指さしてメリーは疑問に答える。
「その街に人間の患者は一人もいなかった。どころか、看病をいくら続けても罹ることはなかったんだ。この事が示す事実はつまり、亜人にしか罹らない病がある、ということ」
重要な事実、亜人だけが患うことのある病がこの世界にはある、ということをメリーは示した。彼女はその事実に付け加えて言う。
「しかも、そういう事例は一つじゃない。複数、それも一種類の亜人だけじゃない。恐らくは、エルフにだけかかる病や、ドワーフにだけかかる病……そういうのがこの世界にはいくつもある。今回のはその一例だろう。だからフェイは疫病に罹らなかった。このことから、私達がその辺に気を遣う必要はないってことが言えるな」
メリーは結論として、この場で自分達が獣人の罹っているような疫病を患う心配はないと言った。それを確認するために獣人を診察したのだろう。
そこまで分かったことを述べると、彼女は気楽そうに両腕を上に伸ばしながらついでとばかりに続ける。
「それにさっき診たところ、この疫病はすごく強いものって訳でもないみたいだ。罹ってすぐ命に関わるようなことにはならないだろう。十歳未満くらいの子供か免疫が弱ってくる爺さん婆さんは危ないだろうが、そういう患者はまだいないらしい。それでも命に関わるのは罹ってしばらく経ってからだ。薬草を採りに行けるようにさえすれば全く問題はないだろう」
一件落着、というようにメリーは肩から力を抜く。
「魔物の群れさえ払えば終わりだ。フェイの治療が終わったら、すぐに対応するとしよう」
説明を終えると、メリーは息を吐いて手近な椅子に座る。意図的かどうかは分からないが、少しフェイと距離を取っているようにも見える。偶然そうなっているだけだろうか。
必要な話が終わると、その場にいる五人には沈黙が広がる。フェイのことを最も敵視している二人が今はいなくとも、愉快に談笑できる空気でもない。フェイやジン、メリーは三人とも知り合いではあるが、互いの関係を知らない二人を前に自分達の話を展開する気にもなれない様子だ。
そんな中で、最も歳が低いであろう少女が最初に口を開いた。
「なあ、フェイ」
「……あ、ああ」
レフィがフェイに向かって声をかける。まさか自分の傷つけた相手が声をかけてくるなどとは思っていなかったフェイは、一瞬動揺しながらも彼女の方に視線を返す。そんな彼に反し、レフィはいつもと変わらない風で彼に問う。
「お前はどうしてレプトとジンを捕まえようとしてんだ? 一応メリーやジンからは聞いたけどよ、本人の口から聞きたいっつーか」
彼女が問うたのは、フェイの行動の意図だ。レプト達を追うのにはどのような理由があるのか。問われたフェイは、視線を床に落としながら答える。
「ジンさんもレプトも、この国に追われる人間だ。俺が信じる相手は、国とネバさんだ。もちろんジンさんのことも信じていたが……今はこっちが正しいと思っている。だからそれに従っている、それだけのことだ」
自分の信じる相手はネバという人物と国であり、その後に従うだけだとフェイは言った。彼は言葉を終えると一つ息を吐き、チラとジンの方を見る。だが、それはほんの一瞬で、その場にいる誰もその視線に気付かなかった。
「……お前、そういう感じじゃなさそうだけどな」
「なに?」
ふと呟かれたレフィの言葉を耳で拾い、フェイは眉を寄せる。リュウや、フェイと長く一緒にいたはずのメリーとジンまで怪訝そうな表情で彼女の言葉の続きを待った。四人の視線を受けながら、レフィは考えの言語化に悩みながらも口を開く。
「なんて言うかな……他の人の言うこと、そのまんま聞いてやってるって感じだぜ、聞いた感じだとよ。でも、お前はそういう感じじゃないはずなんだ。だって、誰に言われなくてもこの村を助けようとしてるじゃねえか。もちろん頼まれたってのはあるだろうけど、それでも自分の身を危険に晒すってことを、自分の覚悟でやろうとしてるんだ」
うまく言葉に出来ずに首を振りながらも、レフィはフェイに視線を向けながら続ける。
「誰に言われなくても人を助けるのに、その一方じゃ他人に言われたことで人を傷つけてる。それって、なんかすごく変じゃねえか? だからつまり、何が言いたいかって……」
言葉をまごつかせながら、頭で浮かんでいる事なのに口にできないもどかしさにレフィは唸り声を上げる。そんなレフィを隣で見ていたリュウは、彼女の考えを察したのか、続きを補う。
「フェイの行動には別の意図がある……。彼は誰かを助けようとして、ジンやレプトを捕まえようとしてるんじゃないか……そう言いたいのかな」
「ん……多分それだ」
「僕も同じ風に考えてたよ。……フェイ」
リュウは押し黙ったままのフェイの顔を覗き込むようにして問う。
「自分の身を顧みずに他人を助ける人間が、他人を傷つけてまでしようとすることは……一つだと思う。誰かの命を助けるため。そのために必死だからこそ、レフィにだってあんなことをしたんじゃないの。レプト達を捕まえて、助かる誰かがいるんじゃないかい?」
誰かの命を助けるためなら、他人を傷つけることもするのではないか。リュウの考えはこうだった。彼の言葉を受けたフェイは、不意に立ち上がる。
「っ……」
問う相手が急な行動に出たのに驚き、リュウとレフィは口を閉ざす。ジンとメリーは静かにフェイを見ている。
視線の中心にいる男は、歯を食いしばり、目をキツく瞑っていた。そのまま彼は、震える声でリュウの言葉に反応する。
「……分かったところで、何かが変わるわけでもない。お前達にはお前達の覚悟があるから、抵抗を続けるんだろう」
話しても何も変わらないというフェイの発言。それを不快に思ったのか、レフィは彼と同じように立ち上がって反対する。
「……わっかんねえだろ! 話してみたら、何かが変わるかも……」
レフィが最後まで言い終える前に、別の音が彼女の言葉を遮る。入り口の戸が開かれる音だ。ガラガラという音に部屋にいた者達がそちらに目を向けると、そこにはレプトとカスミが立っていた。レプトが救急箱を持っている。
「ただいま。ほら、メリー」
レプトは部屋に入るなり、救急箱をメリーに渡す。メリーは使いに出てくれた二人に礼を言うと、箱の中の道具がちゃんと揃っているかを確認する。そうしながら、チラリと目線を上げてレフィとリュウを見た。二人はレプトとカスミの帰りによって話が中断されてしまったせいか、先の話を続ける気になれなくなったらしい。顔を俯け、何と言っていいか分からない表情をしている。
「……じゃあフェイ、座って腕を見せてくれ」
二人の話を中継ぎする気もないらしく、メリーはフェイに歩み寄って怪我を見せるように要求する。彼女の言葉を受けたフェイは、最初に彼女の治療を断った時と同じく、渋々と椅子に座った。そして、ゆっくりと左腕の袖をグッとめくり、見やすいように持ち上げる。
フェイの左腕には、肩と肘の間辺りに赤黒く染まった包帯が巻かれていた。処置が完璧ではないらしく、服の上からは見えなかったが、全体が震えている。腕を上げるのも精一杯らしい。それを一目で感じ取ったメリーは、手近な小さい机を引っ張ってきてそれにフェイの腕を乗せ、楽な状態をつくってから腕を診る。
「……包帯巻いとけばいいと思ってるのか?」
「正直、よく分からないからな」
「……手のかかる奴だ」
汚れた包帯を除き、傷の状態を直接見る。魔物の爪らしきものに攻撃されたらしい深い傷が三条あり、肉がむき出しになっている。メリーはそれを見て顔をしかめ、ため息を吐いた。
「少しは自分を大切にしてくれ」
呟くようにそう言って、彼女は治療を開始するのだった。




