同じ者同士
アゲハの顔はレプトと同様、その半面が人間のものではなかった。しかし、その変容の仕方はレプトと全く違う。彼女の顔の左半面は、昆虫のそれだった。目は人間のものより遥かに大きく、小さい六角形の集合体のような形をしている。そして、その周りの肌は光を反射して光る紫の甲殻に覆われていた。
「え」
突如として自分の顔を晒すという奇妙な行動を取ったアゲハにレプトとカスミが動揺しているのに対し、彼女自身はというと、何が起きたか全く把握していないようだった。自分がした行動なのに、明確に判断が遅れている。彼女の人の部分の表情は、目を丸め、口を大きく開いて戸惑いを露わにしていた。
アゲハの思考が追い付いたのは、無関係の他人の声、悲鳴が耳に入った時だ。
「な、なんだあの子は!」
「人間じゃない、化け物だ!」
アゲハが避けたい事態は既に起こり始めていた。遅れてその状況に気付いた彼女は、反射的に周囲を見渡す。三人が軽食を取っていた食事処が外に席を設けるものだったこともあり、他人の目に多くつく場所だった。通りを通る人々、三人と同じように食事をしていた者達。その皆が、誰かの放った悲鳴につられてアゲハの方を見ては、同じように声をあげる。異質な化け物に対する嫌悪は連鎖して広がっていった。
アゲハは状況をやっと把握したのか、右にある人の目を大きく見開き、全身を打ち震わせる。
「そんな……なんで」
彼女は動揺を露わにする。始めしばらくは周囲に向けられる奇異と恐怖の視線に注意を向けていたが、次第に彼女は目線をレプトとカスミに向ける。そして、弁明するように口を開こうとした。だが、唇が震えていてまともな言葉になっていない。ただ口をパクパクと開閉しているようにしか見えない。
「あ……ち、が……うの。わたしじゃ……」
その様子を見ると、レプトはアゲハの行動が彼女の意図を伴っていないことを察する。始めこそ彼女自身が起こした行動であったために彼女の意志であることを疑えなかったが、レプトはその土台を引っ繰り返して別の可能性を疑った。
(自分でやったことなのに、あんな表情するか……。何か変だ)
違和感を感じたレプトは咄嗟に席から立ち上がり、アゲハに歩み寄る。それですら彼女は怯えた様子で身を引かせるが、レプトは有無を言わせず彼女に近寄り、フードを直して彼女の顔を隠す。そして、自分の身体でアゲハの全身を隠すように立ち、驚愕のあまり動けずにいるカスミに声をかける。
「カスミ。こいつで会計しといてくれ」
「えっ……わ、分かった」
懐から自分の財布を投げてカスミにそう指示を出すと、レプトは凍土に立つ人のように震えるアゲハの両肩を押さえ、立ち上がらせる。そして、出来るだけ他の人の目線に彼女が晒されないようにしながら通りを歩いた。
「亜人でもあんな奴はみたことないぞ」
「気持ち悪い」
「なんなのあれ、人間?」
レプトが隠しても、周囲の人間の目に焼き付いたアゲハの顔は消えない。彼らは通りを横断する二人を警戒する目線で見つめながら、心無い言葉を投げてくる。
「違うだろ。人間なわけない」
「化け物だ」
「おい、早くどっか行けよ!」
言葉が棘となってアゲハの心に襲い来る。彼女は身を震わせながらも、何も言い返すことはしない。恐れのせいで口も開けずにいる。レプトの支えがなければまともに歩くことすらできないほど足も震えていた。
そんな風に彼女を怖がらせる言葉を投げてくる周囲の人間に、レプトは視線を全く返すこともせず、ただ黙って通りを歩いた。そして、人の通りがない路地の方へと向かう。
そんな時だ。二人の背に、往来の一人がこう言った。
「どうしてあんな奴が生まれてきたんだ」
言ったのは一人の男だ。彼はアゲハに対して強い敵意を持っているような感じではなく、ただ戸惑った風でそう呟いた。他の人間の怒声に掻き消えて、すぐに聞こえなくなるような音量だった。
ただ、その言葉を耳に留めたレプトは足を止める。何か、彼の心に引っかかったのか。周囲を囲むどの人間の罵倒より、それが彼の心に触れた。
「……あいつ、何を」
レストランで会計をしながら、この場を離れるつもりでいる二人から目を離さずにいたカスミは突如足を止めたレプトに疑念の目線を向ける。彼が一番に目指すのは人目に付かない場所に行くことであって、足を止める意味はないはずだ。
ただ、レプトの奇怪な行動はそれだけではなかった。遠くで俯瞰していたカスミは、それをハッキリと目に捉える。
「れ、レプト……? なんで」
思わず、勝手に口が呟く。カスミはレプトの行動の意図が分からず、その場に固まったようになってしまった。
レプトは、自分の顔を隠すフードを往来の中央で取り払ったのだ。
たちまち、罵倒の矛先はレプトに向けられた。先ほどまでアゲハに向かっていた心無い言葉はレプトが背負うことになる。勿論、全てが彼一人に向けられたものという訳ではなかった。彼と同じような容姿を先ほど見せたアゲハにも依然として奇異の目は向かっている。だが、今は一人ではない。二人に目線が向かっている。
俯瞰していたカスミは、レプトの行動の意図に気が付く。だが、その考えに気付いてもカスミは驚愕を隠せなかった。
「アンタは、本当に……」
アゲハを支えてレプトはゆっくりと路地へと消えていく。その背中を、カスミは押し黙って見つめていた。彼女の立場で出来ることは何もない。カスミはただ、レプト達が離れていくのを静かに見つめていた。




