狂う蝶
少女、アゲハは突如としてレプト達に遊びたいと言った。二人はそれを拒否することなく、とりあえず彼女を適当な食事処まで引っ張ってきた。もちろん彼女もレプトもフードを被ったままだ。
三人は外にテーブルを設置する洒落た軽食をとるに適したレストランに来ていた。アゲハはそこで間食のパンケーキを注文すると、全く緊張する様子を見せずに食事を始めた。
「なんつーか、お前、心臓に毛でも生えてんのか?」
レプトはテーブルに頬杖をつき、アゲハを見てそう言った。柔らかい薄黄色の生地を口に放り込みながら、アゲハは自分に視線が向かっていると知り、首を傾げる。
「ん、なぁに?」
「いや……お前、さっきまで攫われそうになってたんだよな。だったら少しくらいは、なんつーかな……」
レプトが疑問に感じていたのは、アゲハがあまりにも適応能力が高いということだ。と言うより、危機感がない。レプトが感じるそんな違和感に対して、アゲハの横で彼女と同様に軽食を食べているカスミが口を挟む。
「ごちゃごちゃ細かいことを言うもんじゃないわよ。女々しいわね」
「お前らの根性が雄々しすぎるんだと俺は思うが」
「あん? アンタの玉が小さいのよ」
「お前マジで、はぁ……」
下品な言葉でレプトを侮辱するカスミに、彼は怒るというより呆れた様子でため息を吐く。大声で否定しずらいのと、男の方から下ネタに突っ込むのもどうかと考えたのだろう。
そんなレプトは、再びアゲハの方に疑念の目を向ける。
「さっき聞きそびれたけどよ。アゲハ、お前自分が攫われるような理由、思い当たるか?」
「むぐっ、むぐ……え、分かんないよ。私、ただ歩いてただけだもん」
「分かんない、ね。まあ金が目当てで手辺り次第って輩なら、もう一度来る可能性もなくて安心なんだが」
レプトは自分の狙われる理由が分からないというアゲハの言葉に安心した様子を見せる。特定の目的がない人攫いであれば一人の相手に固執することもない。彼らが何度もアゲハに仕掛けてくることはないだろう。
レプトは一息つき、目の前の自分が注文したスパゲティに手を付ける。
「ま、じゃあ不謹慎な話はこれで最後にするよ」
「ん?」
パスタをくるくると手に持つフォークに巻きつけながら、アゲハに声をかける。そして、その不謹慎な話というのを口にした。
「お前、なんで顔隠してんだ?」
レプトが口にするのと同時、アゲハは食事を進める手を止める。鉄のフォークが皿の底に当たる嫌な音が耳を刺した。それを聞いてカスミも手を止め、レプトの方を向く。彼女は小さい声で警告した。
「ちょっとレプト。アンタが一番わかってるはずでしょ」
「そりゃまあ。でも、ちょっとな」
レプトはカスミの警告を受け流し、アゲハに目線を戻す。彼女はというと、目線を下に落とし、黙りこくっている。レプト達が先ほどベンチで様子を見ていた際、周囲の様子を探っていたことからも大方の察しがついたのだろう。レプトはパスタを口に含みながら言う。
「アゲハ。大体分かるさ。お前が顔を隠す理由」
「え?」
「だって、ほらよ」
レプトは自分のフードを周囲の他人には見えないように少しめくり、顔を見せる。彼の顔を見たアゲハは、フード越しでも分かるほど驚愕する。ハッと息を飲み、全身に力が入ったのだ。
「レプトお兄ちゃん、それ……」
「俺と同じだろ。隠す理由」
「う、うん……」
「そっか。そうだよな。そりゃ、周りは怖いわな。一人だし」
予想はしていたものの、確信を得てレプトは納得したように呟く。そしてどこか、嬉しそうでもある。自分と同じ境遇にある人間が近くにいるのが嬉しいのだろうか。ただ、その調子はすぐに見えなくなった。レプトはフードを深くかぶり直し、アゲハの隠された顔に目を向ける。
「見せなくていいぞ。俺らはまだ間が深いわけでもないしな」
「え、いや、そんな……」
レプトの言葉を否定しかけるアゲハだったが、レプトは構わず続ける。
「つっても、似た感じの境遇だからかな。放っておけない感じがするんだよ。だから聞いときたかった。それに、なんか気になるっていうかよ」
レプトは水臭いことを言っていると自分でも感じたのか、顔ごと目線を逸らす。そんな彼を、カスミが半笑いでからかう。
「アンタ、アゲハに惚れてんの?」
「は? そんなんじゃねえよ。なんつーか、ただ気になるっていうか」
「それが、恋ってヤツよ」
「体はゴリラなのに頭ん中はピンク色だみたいな」
「あ?」
レプトの挑発に眉を震えさせるカスミ。レプトはというと、そんな彼女をあしらうように手を払った。そんな二人のやり取りを見ると、アゲハは小さく笑う。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、仲いいんだね。なんか、付き合ってる人達みたいだよ?」
「「はっ?」」
アゲハの言葉に、レプトとカスミは全く同様の反応をする。アゲハの方を向き、大きく目を見開いて何言ってんだというような表情を向けたのだ。そのシンクロしたような動きを見て、更にアゲハは笑う。
「やっぱりそう。今、全く同じ動きだったよ?」
「……チッ、分かんないことは言わないでほしいわね」
「同感だぜ。ったく……」
二人は同様にアゲハの言葉を強い言葉で否定する。アゲハはそれを笑って受け流すのだった。
そんなやり取りを終えた後で、レプトは本題を思い出して真剣な表情に戻る。
「まあ、つーことでよ。俺もお前も似たようなもんなんだし。仲良くやってこうぜって話さ」
レプトはそう言って、アゲハに手を差し出す。その手は、自分の仲間に向けるそれと何ら変わらない温かいものだった。フードの暗がりの奥の光る眼でそれを捉えたアゲハは、一瞬その手を取るか迷う。何故迷ったかは分からない。今まで真剣に自分を助けようとしてくれるものがいなかったからなのか、全く別の理由なのか。
ただ、迷ったのは一瞬だけだった。孤独だった彼女が、自分と共に歩いてくれるかもしれない存在を受け入れない訳はなかった。
「……ありがとう」
アゲハはレプトの手を取ろうと、彼女の方からも手を伸ばす。
だが、その時だ。アゲハの手が、おもむろに不可解な挙動をする。レプトが差し出した手を取ろうとしていた彼女の右手が、何故か自分の顔の方へと引いていったのだ。そしてそのまま、アゲハの右手は彼女の顔を覆うフードをつまんだ。そして……
「なっ……!」
「急に何を……」
アゲハは自分の手で自分の顔を晒した。日の下にさらされた彼女の顔は、形容しがたいものだった。




