番外編 侯爵夫人の嫉妬
遠くから眺めているだけだった、麗しの侯爵様と結婚して1年が過ぎた。
正式な夫婦となり、シリウスと一緒に社交界に参加する機会も増えた。
既婚者になったことで落ち着くかと思われた夫の人気は、なぜか結婚してさらに熱が上がっているようだ。
どんな美しい令嬢に誘われようと応えようとしなかった美貌の侯爵様が、平凡そうな奥方にだけは甘く優しい笑みを浮かべ溺愛している。
いつのまにか広がったロザリーのシンデレラストーリーは、国中の女性の憧れとして語られているようだった。
当然シリウスに秋波を送る女性が減るわけもなく、自分もどうにかロザリーのように愛されないかと、あの手この手で言いよるご令嬢が後を絶たないらしい。
しかし当のロザリーが目下ライバルとして関心を向けているのは、美しいドレスに身を包んだご令嬢たちではなく、目の前でよちよちと歩く、小さいふわふわの3匹だった。
「ああ、なんて可愛いんだ。寒いのかい?ほら、僕の腕の中においで」
グランフォード邸で一緒に暮らすようになり、ロゼとシルはすぐに仲良くなった。
子猫だったシルを母のように、姉のように見守っていたロゼだったが、シルが成猫になりしばらくすると、そのお腹に新しい命を宿した。
そして2ヶ月前に、とっても可愛い3匹の子猫を産んだのだ。
ロゼに似た赤毛の子が1匹、シルに似た灰色の子が1匹、そしてミルクティーのように明るい茶色の子が1匹。
どの子も本当に可愛くて、乳を飲んだり眠ったりしている様子をずっと眺めていられるほどだった。
少しずつ大きくなるに連れてその可愛さはさらに増しているし、とんでもなく可愛いことはロザリーもよくわかる。…わかるけれど。
シリウスの可愛がりようは、度を越していると言ってもよかった。
「ふふ、眠そうな目も可愛いね。眠るまでずっとこうして撫でていてあげるからね」
あんなに可愛がっているロゼとシルの子猫だ。ただでさえ可愛い子猫が、さらに可愛く見えるのは仕方のないことなのかもしれない。
でもシリウスは、この2ヶ月間暇さえあれば子猫たちの側にいて、うっとりとした瞳でずっとその様子を眺めているのだ。
「ほら見て、ロザリー。眠ってしまったみたい」
シリウスとロザリーの寝室に、ロゼとシル、そして子猫たちも眠っているため、シリウスがロザリーと一緒にいる時間が減っているわけではない。
毎日眠るときはロザリーを抱きしめてくれるし、恥ずかしいほどの愛の言葉を変わらず囁かれてはいる。
「はあ、この子たちは世界中の愛らしさを集めて産まれてきたようだ。どうしてこんなに可愛いのかな」
……それでも。
眠る子猫たちを愛おしそうにうっとりと見つめるシリウスを見ていると、ロザリーはなんだか面白くないのだ。
柔かいお腹を規則的に膨らませながら静かに眠る子猫を抱くシリウスは、本当に愛おしそうにその眦を緩めている。
…子猫にヤキモチを妬くなんて、くだらないってわかっているけれど。
それでもこの美しい夫の一番でありたいと、行き場のない気持ちがロザリーの胸に疼いた。
その贅沢な寂しさを擦り付けるように、ロザリーはシリウスの腕に寄り添うと、俯くように額をくっつけた。
「…ロザリー?」
「………わ、私のことも」
「ん?」
「……………私のことも、可愛がってほしい、です」
言った途端に羞恥が襲ってきて、顔に熱が集まっていくのがわかる。
とてもシリウスの顔を見る勇気はなかった。
それ以上言葉を続けることはできなくて、シリウスの腕に額をつけたまま、ただ彼の服を掴む手にぎゅっと力を込めた。
恐ろしく長く感じる数秒の沈黙の後、はーっというシリウスの深いため息が聞こえてきた。
恐る恐る顔をあげると、猫を抱いていない方の手で目を覆い、シリウスは天を仰いでいた。
……呆れられた、みたい。
恥ずかしさと情けなさで泣きそうになりながら、ロザリーは静かにシリウスから離れた。
「……ご、ごめんなさい。私、子供みたいなー…」
「いや、違うんだ。ちょっと待って。これは…その、あまりの可愛さに悶えそうな心を落ち着けてるだけだから」
「は?」
「まだ明るいのに、そんな…いや、ロザリーがそんなつもりで言ったんじゃないことはわかってて……いや違う、ごめん。えーっと…つまり…」
あたふたと顔を隠しながら答えるシリウスは、見たこともないほど狼狽えていて。
自分より慌てている人を前にすると逆に落ち着いてしまう心理なのか、ロザリーは目をぱちくりさせたまま、彼を見つめていた。
ふーっと深く息を吐いて呼吸を整えたシリウスは、抱き上げていた子猫をふかふかのクッションにゆっくり下ろすと、赤くなった頬を手の甲で隠しながら口を開いた。
「………ロザリーは一体、僕をどこまで夢中にさせれば気が済むのかな」
「え…?」
「君の言葉1つで、表情も取り繕えないくらいなのに」
そう言ってシリウスは、ロザリーをゆっくりと抱き寄せた。
抱き寄せる瞬間、手で隠されていたシリウスの真っ赤な顔が露わになった。
いつも恥ずかしいくらい甘い言葉を吐きながら、真っ赤になるロザリーを見て柔らかい笑顔を浮かべているだけなのに。
見たことがないシリウスの余裕がない表情に、ロザリーは驚いていた。
「…もちろん子猫たちも可愛いけれど……一番可愛いのは、僕の奥さんだよ。毎日食べちゃいたいくらい、君が愛おしい」
「へっ…!?」
思っていた数倍甘い言葉の爆弾に、気の抜けた声が息と共に漏れ出た。
「子猫にヤキモチ妬くなんて可愛すぎる…しかもあんな…!…だめだよ、ロザリー。もう僕にどう可愛がられたって、文句は言えないよね?」
耳元で囁かれる色気を含んだ熱い声に、ぴくりと体が震える。
少しの怖さと、しかし確かな甘い期待で、心臓は破裂しそうなほど高鳴っていた。
背中にあったはずのシリウスの大きな手は、いつのまにかロザリーの首筋に添えられていて。
そっと促されるように上を向かされ、瞬きした先の視界には、息を飲むほどに美しい夫の顔があった。
「あんなに可愛いヤキモチならいくらでも妬いてほしいけど……そんな気持ちを抱く暇もないくらい、僕の愛を注いであげる」
降ってきたキスの嵐は、ロザリーの呼吸を奪うほど濃密なものだった。
一つに溶け合ってしまいそうなほど激しく、それでも溶け合えないその距離のもどかしさを埋めるように切なく……ようやく唇が離れるころには、ロザリーは熱に浮かされて生理的な涙を瞳に滲ませていた。
息を弾ませながら顔を真っ赤にするロザリーの隣で、「またか」とでも言いたそうな涼しげな顔をして、ロゼはゆったりと寝そべっていた。
そんな彼女に寄り添うように横たわったシルは、陽の光に目を閉じるロゼの顔を念入りにぺろぺろと舐める。
酸欠からかふわふわする思考のまま、ロザリーはそんな2匹の様子を視界の端でぼーっと見つめていた。
「…ねえ、ロザリー」
そんな2匹に視線を向けていたのはロザリーだけではなかったらしく、シリウスもまた、仲睦まじいその様子に顔を綻ばせていた。
触れ合ってしまいそうなほど近いその唇から漏れ出た言葉は、未だ妖しいほどの色気を帯びている。
「子猫を産んでから、ロゼとシルはもっと仲良くなったと思わない?」
前から仲良しだった2匹だけど、たしかにロゼが妊娠してから、一緒にいる時間が増えているような気がする。
まるでロゼを守るように、シルはいつもその側に寄り添っているのだ。
「…僕らも子供ができたら、もっと仲良くなれるのかな」
その言葉に大きく瞳を見開いたロザリーは、意味を理解して一瞬で顔を真っ赤に染めた。
そんな様子さえ愛しくてたまらないという表情で、シリウスは破顔する。
「僕も君との、愛の証がほしい。…ロザリーは、どう思う?」
「!?………わ、私は、えっと…」
「ふふ。まあその辺は、これからゆっくり口説こうかな」
破裂しそうな心臓を必死に抑えて、目を白黒させるロザリーに、シリウスは止めどないキスの嵐を浴びせた。
ーー…そしてそれから数年後、ロザリーは美しい双子の男女を産んだ。
母譲りの赤毛を持った太陽のように活発な男の子に、父譲りの銀髪を持った月の精のようにかわいい女の子。
天使のように可愛い双子はなぜだか猫が大好きで、二人の影響か貴族の間で猫を飼うことが流行りだすのだけど……それはまた、別の話。