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5. 完璧侯爵様の浅慮



「は!?お前本気か!?」

王子にあるまじき大声を出したルシードを、シリウスは迷惑そうな目で睨む。


「お声が大きいですよ、殿下」

「冗談言ってる場合か!本当にダントン男爵令嬢と婚約したのか!?」

「だからそう言ってるだろ」


シリウスはうんざりと答えた。

先ほど陛下にもお伝えして、婚約者がいるため王女のエスコートは出来ないと断りを入れたところだ。


「…どこに惚れたんだ」

「は?」

「どんなに綺麗な女がしな垂れかかって来ても食指が動かなかったお前が、こんなにあっさり結婚を決めるなんて。一体ダントン令嬢のどこがよかったんだ?」

「全てだよ」

「そういうのはいいから真面目に答えろ」


じっと顔を覗き込んでくる殿下からは逃げられそうにない。

「猫を受け入れてくれる女性だったから」なんて本当のことは言えないので、ため息をついて考えてみる。

ロザリーの好きなところ………


「………強いて言うなら…優しいところ、とか」

「なんだその誰にでも言えるような薄っぺらい理由は」

「殴るよ」


しぶしぶ答えたものの、それはシリウスにとって素直な気持ちだった。


ロザリーは優しい。それは自分にも、ロゼやシルにも、グランフォード家の使用人にも。

彼女は相手に多くを望まず、そのままを受け入れてくれるかのような寛容さがある。

シリウスがだらしなくロゼを可愛がる様子を見ても、落胆や幻滅を見せずに柔らかく微笑んでくれるのだ。


それにとても素直で……可愛い人だ。

シリウスが心からそう思って褒めるたびに、顔を真っ赤にさせるロザリーを思い出して、口元が思わずにやけてしまった。


その様子を見たルシードは、信じられないものでも見たかのように目を見開く。


「……シリウスお前……本当に結婚する気なのか」

「だからそうだと言ってるじゃないか」


うんざりして答えると、ドアをノックする音が聞こえた。

ルシードが返事をすると、ドアが開いて笑顔のカサンドラ王女が入ってきた。


「シリウス様!お久しぶりです!お会いしたかったですわ」

「やあ、カサンドラ。久しぶりだね」


王女は目をキラキラさせて、兄であるルシードではなくシリウスの側にあるソファに座った。


「近ごろ全然城にいらしてくれないんですもの。寂しかったですわ」

「ああ、最近は婚約した関係で何かと忙しかったんだ、挨拶ができなくてすまなかったね」

「………え?…こ、婚約…?」

「ああ、先日ダントン男爵令嬢と婚約したんだよ」


何でもないことのようにさらりと言い放たれたシリウスの言葉に、カサンドラは呆然として兄の顔を窺った。

気まずげにルシードがこくりと頷くと、途端にその瞳を涙で滲ませる。


「ど…どうしてですの?そんな急にっ……おかしいですわ!だってシリウス様は私の誕生祭のエスコートをー」

「ああ、その件だけど。さすがに婚約者のある身でカサンドラのエスコートは出来ないからね。先程陛下に辞退させていただく旨をお伝えしたよ」

「そ…そんな……」


真っ青になったカサンドラの瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。


「……カサンドラ…すまない、泣かないでくれ」

「ひっ……あ、あんまりですわっ…わたしはずっと、幼い頃からずっとシリウス様が好きでっ……あなたを…シリウス様を、こんなに愛しておりますのにっ…」

「カサンドラ……」

「どうしてっ…どうしてこんなに急に婚約されたのですか!?なぜ、そのご令嬢と!?」


悲しみを憤りが追い越したのか、キッと涙目でシリウスを睨みつける。

ハラハラと涙を流すカサンドラを見つめるシリウスの瞳は、静かに凪いでいた。


「僕が彼女を愛しているからだよ」

「……!!…そんなっ…そんなわけ…!だって、つい最近までっ…!」

「先日の夜会で彼女に出会って、一瞬で恋に落ちてしまったんだ」


宥めるような優しさを含みながらも揺るぎないシリウスの言葉に、カサンドラはぼろぼろと涙を流す。


「すまない、カサンドラ」

「……っ…こんなっ…!…わ、私は絶対に認めませんから!!」


そう言い捨てると、カサンドラは部屋を飛び出して行ってしまった。

その様子に、ルシードもやれやれという感じでため息を吐く。


幼いころからずっとカサンドラの好意には気がついていたし、彼女もそれを隠さなかった。

しかしシリウスにとっては、親友の妹であり、王女殿下であり、それ以上でも以下でもなかったのだ。


「……悪いな、シリウス。後で俺からもきちんと言っておくから」

「いや…僕の方こそ、もっと早くに突き放してあげるべきだったんだ」

「お前はちゃんと臣下として節度を守って接してくれていたよ。カサンドラも…今はまだ突然のことで受け入れられないだけさ。わがままなところはあるが、まっすぐな子だ。お前がダントン嬢を愛していると理解すれば、そのうちちゃんと諦めるさ」

「……そうだな」


”お前がダントン嬢を愛している”

何気ないルシードのその言葉に、シリウスは胸の奥がチリッとむず痒くなるのを感じた。




***********


カサンドラ王女の誕生祭は、華々しく盛大に開催された。


ロザリーをエスコートしながら会場に足を踏み入れると、夥しい数の視線とざわめきがシリウスを包み込んだ。

腕を掴んで隣を歩くロザリーの顔色は真っ青で、シリウスは申し訳なくなる。

自分はこういった視線に慣れているし、今回のこともある程度予想していたから大したことはないが、彼女にとっては違うだろう。

いつも朗らかに笑っているロザリーの顔が強張っているのを見て、シリウスは胸が苦しくなるのを感じた。


ー…ここにいる誰にも、彼女を傷つけさせはしない。


「…ロザリー」


小さく名前を呼んですっかり冷たくなったロザリーの手を徐に掴むと、そのまま指先にそっと口付けた。

驚いて目を丸くする彼女に微笑むと、ゆっくりとその頬に顔を近づける。


「ひぇっ…!?」


その柔らかい頬をシリウスの唇が掠めた瞬間、ロザリーの小さな悲鳴が聞こえた。


どこかからきゃー!という令嬢の悲鳴が複数聞こえ、ざわめきを超えたどよめきが2人を包む。

そんな喧騒すら気にする余裕がないのか、顔を真っ赤にしたロザリーは零れんばかりに瞳を見開いて、至近距離のシリウスを見つめている。


「ふふ、やっといつものロザリーの顔だ」

「…は……?」

「僕、君の照れて真っ赤になった顔が好きみたい」

「なっ…何を言ってっ…!?そっ、そもそもこんな場所で…っキ、キスなんて…!何を考えてるんですか!?」

「ああ、ごめんね。驚いたよね」


わなわなと唇を震わせるロザリーは、声が大きくならないように必死で抑えているようだ。

焦るその様子が可愛くて、ついもっと困らせたくなってしまう。


「僕がどんなに君を大事に思っているか、周りにたくさん見せつけて帰ろうね。我が婚約者殿」


いたずらっぽく笑って見せると、真っ赤なロザリーの顔がさらに赤く染まる。


「からかわないでください!」といつものように怒るロザリーに、シリウスは声を上げてはははと笑った。

いつもは涼やかな微笑を浮かべるだけで、シリウスが声を上げて笑うところなど見たことがない人々は、麗しの侯爵様の愉快そうな笑い声にざわめいた。


「…僕がずっと側にいるから、ロザリーは何も心配しないで。いつもの君でいてほしい」


笑いが収まったころ微笑みながら改めてそう言うと、一瞬目をぱちくりさせたロザリーは、一呼吸置いて小さく「はい」と頷いた。


それからはスムーズにパーティは進行していった。

「先日婚約しまして」と挨拶に回るたび、ぴしりと顔を固まらせるご令嬢が多発したものの、みんな表面上はお祝いの言葉をくれた。


ダンスタイムではロザリーと踊った。

元々ダンスはそんなに好きじゃない。ダンスに誘うだけでご令嬢に期待を持たれるのが面倒で、ここ数年はどのご令嬢とも踊ってこなかった。

でもロザリーと踊ったダンスはとても楽しかったし、照れながらも嬉しそうな彼女の笑顔がとても可愛いと思った。


ー…普段のパーティーではどう抜け出すかということばかりを考えているのに。


シリウスは初めて、こういう会が楽しいなと感じていた。

美しいドレスに身を包んだいつもと少し違うロザリーと、格好つけてダンスをしてみたり、猫をかぶって挨拶をしたり、そしてそれを後からからかわれたり。

彼女といると、とても自然体な自分でいられるのだ。何も偽らなくていいという安心感に包まれる。


「猫を受け入れてくれるから」という理由だけでなく、結婚する相手がロザリーでよかったと、シリウスはしみじみ思っていた。




パーティが中盤に差し掛かった頃、王家に挨拶をする番が回ってきた。


玉座には王と王妃、そして今日の主役であるカサンドラと、その横にルシードが座っていた。

ロザリーは緊張からか、額に冷や汗を滲ませて顔を強張らせている。


いつものように陛下と妃殿下にご挨拶申し上げると、主役であるカサンドラに向き直る。


「カサンドラ王女殿下、本日は心よりお祝い申し上げます」

「……ありがとうございます、シリウス様」


にこりとも笑わないカサンドラは、じっとりとした瞳でシリウスの横に佇むロザリーを見つめている。

素直すぎるカサンドラのその視線に、シリウスは内心でため息をついた。


「王女殿下にご紹介申し上げます。我が婚約者、ロザリー・ダントン男爵令嬢です」

「…ロザリー・ダントンと申します。本日は心よりお祝い申し上げます」


静かに淑女の礼をとったロザリーを、カサンドラは返事もせずじっと見つめていた。

礼儀上、王女からの返答がある前にこの場を立ち去るわけにもいかない。気まずい沈黙が流れる中、横にいたルシードが口を開いた。


「入場してすぐのあれ、見てたぞ。ホールの真ん中で大した熱愛ぶりじゃないか。急に婚約だなんて驚いたが、そんなに溺愛している様子じゃ納得だな」

「恐れ入ります」


おそらくルシードなりのアシストなのだろう。

シリウスがどれだけロザリーを愛しているのかをカサンドラに理解させるための。


しかしそんな兄の言葉を聞いても、カサンドラはロザリーからじっと視線を離すことはなかった。

そしてようやく、その美しい唇を開いた。


「…あなた、自分がシリウス様に相応しいと思っていらして?」

「殿下!」

「シリウス様は黙っていらして!」


思わずシリウスが止めに入るが、カサンドラは手を上げてそれを制した。

その強い瞳には揺るぎない炎が灯っている。


「物心ついてからずっと…ずっとシリウス様のことだけを想ってきたのです。この方が本当にシリウス様を幸せにしてくれる方なのか、確かめる権利くらい与えていただいてもいいでしょう?」

「カサンドラ……」

「…ずっと俯いたままで、私と視線を合わせる勇気すらないのね。外見だって特別美しいというわけではないし、ダンスだって私の方がずっと上手だわ、そうやって黙ったままのところを見るに、頭が回るというわけでもなさそうね。あなたのような人がシリウス様に愛されているだなんて、とても信じられないわ」

「カサンドラ!」

「私は!!」


ぐっと言葉を飲み込んだカサンドラの瞳には、涙が滲んでいた。

こんな晴れの舞台で王女を泣かせたとなれば重罪だ。きっとカサンドラもそれはわかっていて、必死に涙を堪えているのだろう。


「私は……!私以上にシリウス様を幸せにしてくださると、そう思える方でないのなら諦めたくありません。……ねぇ、ダントン嬢。シリウス様は、私に言い返す覚悟もないような半端な気持ちで、手にしていいような方ではないわ」


そう言うと、カサンドラは静かに「もう下がってよろしくてよ」と顔を背けた。

溢れそうな涙を隠したいのか、化粧室に行ってきますと言ってそのまま席を立った。


ルシードの「ダントン嬢、すまない」という謝罪の言葉に、ロザリーは小さく「いえ」と答えた。

重たい沈黙の中、ホールに戻るため差し出したシリウスの手を握るロザリーの指先は小さく震えていた。



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