3. 完璧侯爵様の求婚
「にぃ、にぃ」
「怪我も手当してあげたんだね。こないだよりもずっと元気そうだ」
「は、はい…」
公爵邸でのパーティーで神の思召しとも言えるロザリー嬢に出会ってから3日、シリウスは王都にあるダントン男爵家の邸を訪れていた。
パーティーから帰宅してすぐダントン男爵に手紙を送り、最速の日程で面会の約束をとりつけたシリウスは、来訪早々にロザリーとの結婚を願い出て男爵を驚愕させ、そのままあっさりと結婚の許しを得てしまった。
シリウスと男爵が話を進める間、ロザリーはぽかんとした様子でその会話を聞いていた。
「一体なぜ娘を」という男爵の質問に
「一目で恋に落ちまして」とシリウスが答えたときには、びくっと体を震わせて怖いものでも見るかのような目を向けてきた。
ロザリー嬢は感情が表情に出やすいらしい。
反応が新鮮でくすりと微笑むと、今度はその頬をさっと赤くした。
パーティーでロザリーと出会ってすぐ、シリウスはダントン男爵家のことを調べた。
いくら猫を受け入れてくれる女性と言っても、婚姻は家と家との結びつきだ。あまりに問題の多い家門では困る。
調べるとダントン家は昨年事業に失敗し、多額の借金を背負っているようだった。
グランフォード家から見れば大した額ではないが、辺境の小さな男爵家にとっては存続に関わる経済事情と言えるだろう。
貧乏とはいえ、ダントン家は古くから続く歴史ある家系であるし、失敗した事業も今は持ち直してきているようだ。
今ある借金さえ返済できれば、継続的な援助がなくてもやっていけるだろう。
むしろ経済的な見返りを目的にロザリー嬢が自分との結婚に頷いてくれるなら、多少の負債は僥倖とも言える。
引く手数多のシリウスがなぜロザリーを選んだのか、男爵は未だ訝しんでいたものの、男爵家から見れば遥かに家格の高いグランフォード侯爵家からの申し出だ。
婚姻の暁には経済的な支援も惜しまないと見返りをちらつかせれば、男爵も話の終わりにはあっさりと結婚の許しを出したのだった。
無事に婚約話もまとまり「邸を案内して差し上げなさい」という男爵の言葉で、シリウスはロザリーと2人きりになった。
「そういえばあの時の子猫は元気かな」とシリウスが問いかけると、頷いたロザリーに今いる中庭の小屋まで連れてこられたのだ。
「父に見つかるとまずいので」
垣根の脇に建てられたこの小さな建物は、庭師用の用具入れか何かなのだろう。
道具などが置かれ使い古された机の上に、真新しい藤でできたバスケットが置かれ、ふかふかのタオルに包まれた灰色の子猫がいた。
3日前、シリウスにロザリーを巡り会わせてくれた幸運の子猫だ。
あの夜、いつものようにご令嬢たちに囲まれ疲れてしまったシリウスは、隙を見て人のいない中庭に逃げてきていた。
遠くから微かに聞こえてきた愛らしい猫の鳴き声に吸い寄せられ、進んだ先でロザリーを見つけたのだ。
戸惑いなく子猫を抱き上げて「うちに来る?」と優しい声で話しかける彼女は、天使のように見えた。
言葉の通じぬ外国でたった一人、同郷のものに出会えたような…そんな喜び。
逸る気持ちを抑えきれずに思わず話しかけてみれば、彼女は未婚の貴族令嬢で、しかも婚約者もいないという。
シリウスにとってはまさに、希望の光だった。
いるわけないと諦めていた猫を受け入れてくれる素晴らしいご令嬢が、こんなところにいたなんて。
ロザリーと出会わせてくれたことを神ーーーいや、目の前の愛くるしい灰色の子猫に感謝した。
「ふふ、かわいいな」
子猫のあまりの愛くるしさに、思わずシリウスの口元が緩む。
本当は抱き上げて思い切り可愛がりたいところだが、ほぼ初対面のロザリー嬢の手前、指で頭を撫でるに留めた。
「……侯爵様は、猫がお好きなのですね」
シリウスが猫に相好を崩しているのを横で見ていたロザリーは、小さくそう呟いた。
本日初めてロザリーに自分から話しかけられたシリウスは、少し目を見張ったあと、ゆっくりと視線を子猫に戻す。
「…うん、そうなんだ」
猫を好きだと口にすることが、貴族にとって褒められないことであるのはロザリーもよく知っている。
しかし眉根を少し下げたシリウスの声色は、ただ単にそんな自分を恥じているだけではないような、仄かな悲しみを感じさせた。
「…初めてお会いしたとき、侯爵様は私に猫が好きかとお尋ねになりました」
「うん」
「……私との結婚を望まれるのは、それが理由でしょうか?」
小さく、しかし凛としたその声に、シリウスはロザリーに向き直った。
明るい茶色の穏やかな瞳が、まっすぐにシリウスを見つめている。
シリウスと出会ってから今まで、彼女はずっと驚くか呆然とするかしかしておらず、真顔を見るのは初めてだった。こんな落ち着いた声を聞くのも。
幸運な出会いに舞い上がり、王子の右腕と称されるその手腕を惜しみなく振るってどんどん婚約話を進めてしまったものの、そういえば彼女の意思を確認していなかったことに、この時初めて気がついたのだ。
「……すまない」
慕う男はいないと言っていたが、だからと言って誰でもいいわけではないだろう。
猫が嫌いじゃないなら、それ以外は問題なく受け入れてもらえると勝手に思い込んでいた自分が、なんだか恥ずかしくなってきた。
何に対してかわからないシリウスの謝罪を質問への肯定と受け取っていいのかわからず、ロザリーは無言でシリウスの言葉の続きを待った。
「婚約を早く進めることで頭がいっぱいで、肝心の貴方の意思を確認し忘れていた…。きちんと話をしたいのだが……そうだ。一度我が邸にお越しいただけないだろうか」
「侯爵邸にですか?」
「ああ、私が貴方と結婚したい理由もその時に全て話すよ」
ロザリーが頷くと、シリウスは予定がないならすぐにでもと言って、男爵に許しを得てそのまま馬車で侯爵邸に移動した。
ダントン邸と比べるとかなり広いグランフォード邸にロザリーはずっと驚いていたが、客室に通して紅茶を飲む頃には少し落ち着いたようだった。
そんな彼女の様子に柔らかく微笑むと、少し待っていてほしいと告げて、シリウスはロゼがいる自室に向かった。
結婚するのなら、ロゼとのことは話さなくてはならない。
そして自分が「ロゼを受け入れてくれそう」というただ一点を理由に、彼女に求婚したことも。
ロザリーとの先程の会話から考えて、彼女は自分が恋愛感情で好かれていないことに気がついているようだった。
「私のことを愛しているんじゃなかったの?」という方向で彼女が悲しむ可能性が薄いことに、とりあえずは安心する。
とはいえ、一生に一度の結婚の理由が猫というのは、あまりに情緒に欠けるだろう。
ロザリーに求婚を断られることを想像して、シリウスは胃が重くなるのを感じた。
不安な気持ちのままロゼを腕に抱えて客間に戻ると、紅茶を飲んでいたロザリーは目を丸くした。
「…私が飼っている猫だよ。ロゼというんだ」
彼女の瞳に嫌悪感がないことを確認して、ゆっくりと近くの椅子にロゼを抱いたまま腰を下ろす。
いくら猫が好きとはいえ、まさか邸で飼っているとは思わなかったのだろう。
ロザリーは驚いた様子で、シリウスの腕の中でくつろぐ赤毛の猫を見つめていた。
「…幼いころから猫と暮らすのが夢でね。でも、もちろん両親は許してくれなかった。ロゼと暮らし始めたのは、私が侯爵の位を継いでこの邸の主人になってからだよ」
シリウスがもふもふとしたロゼの顎下の毛を撫でると、ゴロゴロと気持ち良さそうな鳴き声が聞こえてきた。
その様子をシリウスは眦を下げて愛おしそうに見つめる。
「……私にとっては大事な家族でも、世間にとっては違う。ロゼとの暮らしを続けたくて、結婚はずっと避けてきたんだ。でも王室からカサンドラ王女の降嫁の話を進められそうになって……もう潮時かと、諦めかけていたところで、貴方に出会った」
ロゼを見つめていた視線をゆっくりと上げて、ロザリーを見る。
茶色の瞳には驚きの色が滲んでいるだけで、そのことに少しほっとしながら言葉を続けた。
「猫を嫌悪しないだけでも珍しいのに、貴方は猫を抱き上げて家に連れ帰ろうとしていた。自分に都合のいい夢でも見ているんじゃないかと、目を疑ったよ。……貴方となら、結婚しても今まで通りロゼとの生活を続けられる。そう思ったら思わず求婚していた」
自分でもめちゃくちゃだったと思う。そしてあまりにも自分勝手だった。
情けなさから自嘲の笑みが溢れるシリウスを、ロザリーは凪いだ瞳で見つめていた。全てを理解したかのような、穏やかな瞳だった。
「貴方の意思を確かめず、強引に話を進めてしまって申し訳なかった。だが、もしこの婚姻を受けてもらえるのなら、力を尽くして貴方の望みを叶えると約束する。ダントン家への援助は惜しまないつもりだし、貴方にも裕福な暮らしを保証する。ドレスでも宝石でも、好きに買ってくれていい。侯爵夫人としての社交も、気が向かないならしなくていい。もしこの先慕う男が現れたら、愛人を持ってくれても構わない。後継も、養子をとればいいから無理に産む必要もないしー…」
「お、お待ちください!」
絶対に断られたくなくて矢継ぎ早に条件を提示したシリウスを、ロザリーが慌てて止める。
はたと気がついて彼女に目を向ければ、心なしかその頬が赤い。
「そ、そこまで仰っていただく必要はありません。本来ならば私には恐れ多いほどのお話なのですから、そのような我儘を言うつもりはありません。……ただ…厚かましくもお許しいただけるなら、その、ダントン家の借金を肩代わりいただきたい…ですが……それ以上のことを望むつもりはありません」
「それはもちろん、なんの問題もないが…」
それならつまり、この結婚に頷いてくれるということだろうか?
期待を込めた目で見つめてロザリーの言葉を待てば、小さく呼吸を整えた彼女がまっすぐにシリウスを見つめた。
「…正直にお話するのなら、ダントン家を援助いただける方であれば、結婚相手は誰でもいいと思っていたのです。ですから侯爵様のお話は、私としても大変にありがたいものでした。それに…」
ロザリーはそこで言葉を切ると、シリウスの腕でくつろぐロゼに目を向けて小さく微笑んだ。
「申し上げた通り、私も猫は好きですから。その子との生活も、むしろ楽しみです」
安心して、とでも言いたげに、明るい茶色の瞳が優しく細められる。
彼女の柔らかい赤毛がふんわりと揺れて、それがとても綺麗だと思った。
まるでー……
「……貴方の髪は、ロゼに似ているね」
「え?」
思わず溢れたシリウスの言葉に、ロザリーはぱちくりと目を瞬かせる。
シリウスは小さく笑って、腕の中にいるロゼを優しく抱きしめた。
「サンセットローズのような美しい色の毛並みだろう?…貴方の髪と同じだ」
サンセットローズは、エールハイド王国で愛される茜色の珍しい薔薇の品種だ。
まだ子猫だったロゼを初めて見たとき、その美しい薔薇を思い出して”ロゼ”と名付けた。
日に当たると太陽のようにも輝くその柔らかな赤毛が、シリウスは大好きだった。
「そういえば名前も似ているね。…ロザリー」
「……っ!!」
ふと視線を向けると、ロザリーの顔が真っ赤に染まっていた。
肩を竦めて体をこわばらせたまま、ぎゅっと唇を噛み締めている。
数々の女性を恋の奈落に突き落としてきたシリウスは、この反応に覚えがあった。
自分が普通にしているつもりでも、ふとした仕草に色気が滲んで大抵の人には刺激が強いらしく、不用意に女性を惑わすなとルーカスにも散々注意されてきたのだ。
「あ……いや、その…断りもなく名前を呼ぶなんて失礼だったね。すまない」
「い、いえ…」
未だ頬から朱が引かないロザリーは、気を紛らわせるかのように窓の外へと視線を向けた。
普段なら少しの居心地の悪さを感じさせる女性のこの反応も、ロザリーが婚約者であるからか、なぜか不快には感じない。むしろ少し嬉しい、ような…?
高鳴る鼓動を整えようとしているのか、こっそり深呼吸をする彼女に気がつかないふりをしながら、シリウスは小さく微笑んでロゼを撫でるのだった。