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1. 完璧侯爵様の憂鬱


エールハイド王国で最もモテる男は誰だと問われれば、10人の内8人は「それはグランフォード侯爵だ」と答えるだろう。


肩まで伸びた輝く銀の柔らかい髪に、長い睫毛に縁取られた太陽のように輝く金色の瞳。

王国騎士とさえ互角に戦うと言われる鍛え抜かれ無駄のない体躯に、すらりと伸びる長い足。


男でさえ思わず見惚れる完璧な美貌を誇りながら、次代の王となるルシード王子の右腕とも称される明晰な頭脳の持ち主。

加えて早死した前グランフォード侯爵に代わり、齢22歳の若さでグランフォード侯爵領を立派に治める実績に基づいた権力も持っている。


まさに非の打ち所がない完璧な貴族令息にも関わらず、彼には妻はおろか婚約者もいなかった。

国中の令嬢が熱をあげるのは仕方がないことと言えるだろう。



そんな国一番モテるはずのシリウス・グランフォード侯爵は、侯爵邸の自室で頭を抱えながらため息を吐きだした。


「これは…本格的にまずいな…」


手の中にあるのは、王家から届けられた舞踏会への招待状である。

そこには「来月16歳になる王女カサンドラのエスコートをするように」という王からのお言葉が書かれていた。


友人ルシードの妹である王女カサンドラは、小さい頃からシリウスにとてもよく懐いていた。


7歳年下の王女と初めて出会ったのは彼女がまだ4歳の時だ。カサンドラは兄の友人である美しいシリウスを見て、幼いながらにその瞳を輝かせた。

小さな姫の憧れとも言える可愛い好意が、やがて淡い初恋に変わり、そして今、立派な恋情となって自分に向けられていることを、シリウスは自覚していた。


16歳になるデビュタントのエスコートは、本来父である陛下や兄であるルシードの役目だろう。

それをわざわざ自分に命じたということは、つまり王がシリウスをカサンドラの婚約者として認めているということだ。


侯爵を継いでから日も浅く「統治に専念したい」という理由で、今までのらりくらりと王女との婚約話を躱していたものの、ついに王はシリウスが断れない方法で外堀を埋めにきたようだ。


デビュタントのエスコートなどしてしまえば、王女の婚約者であると社交界全体に発表したようなものである。


すぐにでも私ごときには畏れ多いとエスコートを辞退する返事を書きたいところだが、「カサンドラは父でも兄でもなく、グランフォード侯爵を望んでいる」と明記されている以上、むしろそれだけが理由ならと、これ幸いに押し通されてしまいそうな気がした。


忙しさを理由に舞踏会自体を欠席することも考えたが、王直々に招待状をもらった手前、やんごとない理由でなければ欠席は許されないだろう。


「一体どうすれば……」


はぁ、と悩ましげに俯くと、銀色の髪がさらりとその美しい顔にかかる。

なんとも色気のあるその光景に、部屋を片付けていたメイドは思わず頬を赤くした。


侯爵と言えど、グランフォード家以上に家格の高い貴族は多くいる。そんな中で王女を賜るのだから、本来お家にとってはこの上ない誉れと言えるだろう。

しかしシリウスは、どうしてもこの婚約を避けたかった。


「はぁ…僕を助けてくれ、ロゼ…」


シリウスはおもむろに膝に乗っていた赤毛の大きな猫を抱きしめると、もふもふとしたそのお腹に顔を埋めた。

陽だまりのような匂いと、温かくふわふわな毛に包まれて、シリウスの完璧に整った顔がゆるゆると崩れていく。


「あぁ、気持ちいい…、ロゼ、君はなんて可愛いんだ…」


恍惚とした表情で、うっとりと赤毛の猫に頬ずりをする。

最初は大人しくしていたロゼも、しばらくするといい加減にしろと言わんばかりにその身を捩り始めた。


「ふふっ。やりすぎたかな、ごめんごめん」


邪険にされるのすら嬉しいと言わんばかりの破顔で、シリウスはゆっくりとロゼを解放した。


優雅な動きでシリウスの膝から床に飛び降りたロゼは、そのまま窓枠近くの日向に寝そべった。

ごろりと寝転んで背中を擦り付けるロゼを愛おしそうに見つめたシリウスは、机の上に置いた招待状に再度目をやって表情を曇らせる。



「……カサンドラと結婚なんてしたら、ロゼと暮らせなくなってしまう」


どんな女性も虜にしてしまうシリウスが22歳になって誰とも婚約していないのは、単に”結婚したら猫が飼えなくなってしまう”という理由だった。




シリウスが初めて猫を見たのは、まだ5歳の時だった。

広い侯爵邸の庭にふらりと野良猫が迷い込んできたのだ。その愛くるしさにシリウスは一目で夢中になり、邸の誰にも秘密でこっそり餌を与え始めた。


しかしそう日が経たないうちに、シリウスが野良猫に餌を与えているところをメイドが見つけてしまった。息子が猫を触っていたと報告を受けた両親は激怒し、その日の内に猫を殺してしまった。


エールハイド王国では、猫を含む大半の動物は理性を持たない獣とされ、貴族のように身分の高い人間が関わってはならないものとされているのだ。

移動手段に欠かせない馬でさえ、その世話は下民がすることとされている。人の役に立たない猫のような動物など、触れ合うことは愚か、視界に入れるだけで悲鳴を上げるご令嬢が多いのが現実だった。


それでもシリウスは、猫が好きだという気持ちを消すことができなかった。


両親が生きている内は、こっそりと町に出て野良猫を遠くから眺めることくらいしかできなかったものの、両親が亡くなり侯爵邸を継いでからは、屋敷で堂々と猫を飼い始めた。

そもそも動物を汚れたものとして扱うのは貴族だけで、平民の間では猫や犬をペットとして可愛がっている者も多い。侯爵を継いですぐ猫の飼育に理解がある執事やメイドを探して雇い入れ、シリウスは小さなころからの念願だった”猫と触れ合える毎日”を手にしたのだった。



そんな夢のようなこの日々も、結婚してしまえば続けることは難しい。


猫と屋敷で暮らすことを許容してくれる令嬢などいるわけがないし、自分が当主だからと強引に押し通したところで、自分が不在の内に、妻となった女性がロゼに危害を与えないとも限らない。


それにロゼと戯れているときの自分は、自分でもわかるくらいに顔が緩み、だらしない顔をしているのだ。

涼やかな微笑みの完璧なグランフォード侯爵に熱い視線を向ける令嬢たちが、こんな自分を受け入れてくれるとはとても思えない。幻滅された後、侯爵家の恥として茶会で嘲笑されるだけだろう。


そんな理由で婚姻を避け、もっともらしい言い訳を立てては数々の縁談を躱し続けてきたシリウスだったが、流石に王家からの命令を断ることは難しい。


…カサンドラが特別嫌いなわけではない。


その美貌で王を一目惚れさせたという王妃によく似た彼女は、金色のウェーブがかかった髪にエメラルドの瞳を持つとても美しい王女だ。


愛する妻に似た娘を溺愛する王に甘やかされて育ったからか、少しわがままなところがあるものの、素直でさっぱりした性格だ。小さい頃からの幼馴染だから、気心が知れた仲とも言える。


とは言え、王女として完璧な淑女教育を受け育てられたカサンドラは、典型的に動物が嫌いなのだ。

以前ルシードと共に城下に視察に出た際には、道端の野良猫を見かけて「ひっ」と小さく悲鳴をあげていた。


いくら愛するシリウスの願いでも、猫と暮らすことなど彼女はとても受け入れられないだろう。


もし「カサンドラをとるかロゼをとるか」と問われれば、シリウスの心は迷いなくロゼを選ぶのに、世間はそれを許してはくれない。


カサンドラと結婚すれば、シリウスがロゼとの生活を手放さなくてはならなくなることは明白だった。


王からの頼みを断れるくらいの強い理由を立てるとしたら……例えば大病にかかっていて先が短いからとか、すでに他の婚約者がいるとか、そのくらいの理由を立てなければいけないが…そんな言い訳はすぐに嘘であることがバレてしまうだろう。


重たい溜息を吐き出し、気持ちよさそうに日向ぼっこするロゼを横目に眺めながら、いっそ猫になってしまいたいとシリウスは思い悩むのだった。



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[一言] よし、クーデター起こしてこの国潰そう
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