なまこ×ぷらす 前編
本作は、NTR(寝取られ)要素がある作品になります。不快に感じる表現も多いでしょう。ですから、読まれる方は、お覚悟ください。
(僕は……なまこだ。)
独りっ子の少年は、そう念じて流れに身を任せるような性格だった。
相貌に浮かぶ疲れたような諦観が、他の多感な中学生と比べて異質だった。
父と母が罵り合う醜悪な家庭で育った小学生時代が、無口な少年を作り上げていた。
(海底に潜んで、揺らめく海面や過ぎ去る激しい海流、それに獰猛なヤツラの食い合いを見ているだけ。僕は、それだけの存在だ。)
家庭が崩壊し、父親に親権が渡ったことにも淡白で興味がなかった。
世の中が無味乾燥に思えてつまらなく、何をするにも無気力だった。
だから父が再婚したいという旨を伝えたことも聞き過ごし、家に20代の若い継母が住み始める日になって、ようやく事態を認識し始める。
なまこの日常は、そのようにしてまた壊された。
*** ***
少年が「なまこ」と呼ばれたのは、他愛もない遊びからだった。英語の授業で教わった、海外では苗字と名前の順を逆に表記することを面白がって、クラスの男子がこぞって前後の入れ替えを楽しんだ。
古城 一生。少年の名前の前後を入れ替えれば「一生古城」となる。
同じ時期、平田 芽衣というクラスメイトの名前から「ヒラメ」が連想できることを気づいて、面白がってクラスメイトを海産物の名前にできないかと試す男子がいた。その結果「一"生古"城」つまり、生古のあだ名が生み出された。少年も、なまこと呼ばれることを受け流した。その時にはすでに、他者との関わりに無気力な少年が出来上がっていて、少年も自分の呼び名に頓着していなかった。
そんななまこといえども、頓着する事態が起きた。
お昼の時間。弁当箱を開けたら、カラフルだった。
「何それ!」
快活な少女が覗き込んで騒ぐ。なまこは、この少女が苦手だった。鬱陶しいと思っていた。佐々木 龍。なまこの幼馴染で家が近く、クラスの誰とも仲がいいムードメーカー。実のところ、この少女の存在がなまこをクラスの輪に繋ぎとめていて、なまこがちょっと暗い程度の認識で済んでいる要因だということを、中学生のなまこは知らない。10年経って、少し大人になって気づくのだろう。
ただ今現在のなまこにとって、龍という存在は名前のごとく騒々しく迷惑な女子未満でしかなかった。
「……なんでも、良いだろきのこ。おか、、、いや。」
「え――あ、うん。」
佐々木の子。海産物とはまた別の方向の言葉遊び。このクラスには食材が多かった。
それはともかく、きのこは快活で何でも首を突っ込んでしまう嫌いがあった。それで何度も気まずい経験をして、地雷には敏感だった。
なまこという少年に限らず、両親の離婚とか再婚とか、そういった話題はクラス内でのスキャンダルにされて、騒がれたくない類の話題だった。
幸い、なまこの両親が離婚したのは小学生時代で、中学のクラスメイトにその事実は知り渡っていない。だから、誰も弁当の中身が一変したことを気づかれないうちに、有耶無耶にできるまで見つからないでいてほしかった。
その気持ちくらい、きのこにも理解できた。だから、気まずそうに口をつぐんで、次の話題を探して騒ぐ。
それは、きのこの優しさだった。なまこは梯子を外されたような苛立ちを覚えるばかりで気づかない、彼女の美徳だった。
「……。」
ぱくり。と美味しい卵焼きを頬張ると思い出す。
父、古城 巌の再婚相手で旧姓を朝倉、名前を十子と名乗った20代の女性。包容力のある女性だった。
炊事洗濯掃除のすべてが得意だという、穏やかな女性。
出会って直ぐに、なまこを抱きしめて、なまこが気恥ずかしくなって突き飛ばしても微笑んでいた女性。
なまこが初めて体感した、圧倒的なまでに肉感的な、女だった。
(僕には……っ! さかなちゃんがいるんだっ!)
桜井 かなみ。学年で一番の美少女。平田芽衣がヒラメ呼ばわりされたとき、最初に「それなら私はさかなかな?」と、助け舟を出して虐めを止めた。その姿の清廉さに、なまこも捕らわれた。悲しいかな、なまこはさかなに話しかけられるほど勇気がなかった。海底から、水中を優雅に舞うさかなを見ているだけだった。
なまこ少年の、そんな淡い想いを飛び越えて心の裏側まで踏み込んでくる柔らかな女、それが継母の十子だった。
普段であれば父、巌が帰ってくるまで一人で過ごした暗い家なのに、帰って最初にすることが、電気をつけることじゃなくなった。
「ただいま。」という言葉を義務的に、機械的に口にしていたのに、「お帰りなさい。」という言葉がなまこの身体にしみ込んだ。
この十子という継母は、何かとなまこを構って、そして抱きしめた。なまこにとって女性から抱きしめられるなど何年ぶりだろうか。離婚していった母親は、父の悪口を言い聞かせるときになまこの両肩に手を置いて、真っ直ぐ目を合わせるだけだった。
なまこには、誰かから愛されて抱きしめられた経験が乏しかった。
だから、恒例行事のように嫌るフリで突き離した。
突き飛ばすと、仕方なく胸の感触が両手に残った。
そんな毎日を、なまこ少年も少しずつ受け入れていった。
十子はいつでも優しく、そして少し抜けて見せていた。
なまこも中学生で、宿題をしなければならない。そんな時にも十子はなまこの心を乱してきた。
「ねえ、それって宿題だよね! わたしにも見せてほしいな。」
「……なんで。」
「え、わたしが中学生だったころと、何が違うのかな? とか気になるの。」
ぽいっと放るように渡された問題集と、にらめっこを始める。
「へーへー! 今って、こんな風に――って、今のナシ! まだまだ若いからねっ///」
言葉とは裏腹に、声音は優しく煩くない。それこそ、きのことは大違いだと、なまこは思う。
そして一人にぎやかな十子は、流れるようになまこの宿題に参加する。
まるで、宿題の意味を理解していないかのような振る舞いになまこは、楽ができると思いつつ、中学生の宿題に真剣な十子は天然なのではないかと見当をつけた。
「……って、名前を書くところが僕の名前じゃなかったらっ。」
「あっ――ごめんね。」
「いいよ、消して書き直すから。」
ずっと、いい匂いが十子からしていた。
そのことに、心臓が早鐘を打っていた。
「……ぷらす?」
「えー、ふふ。わたしのあだ名?」
「えっ、あ、ちがっ、」
十子。下から消しかけたせいで残ったのは十の文字だけだった。
惚けて気づかず、口にしていただけだった。それが、聞かれていた。
「うん。いいよ。そう呼んでね。わたしも、急に『中学生の息子が出来ました!』なんて素直に胸を張れないもの。だから……もっと、仲良くなろ? お母さん、なんて呼べなくても良いよ。ね?」
「……うん。」
「じゃあお父さんはろっくかな? 巌だもん。」
「……うん。」
なんとなく、最後の言葉に苛立った。
自分がどうして苛立ったのか、わからなくて世の中の所為にする。
だというのにぷらすを大人と突き放して、あっち側に行ってほしくなかった。
それが、何故なのかわからなかった。
~to be continued~
次回は2時間後の8時に更新です。