表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

息抜き

海の底の話

作者: 揚旗 二箱
掲載日:2019/06/09

テーマ:沈む、植物

「よぉし、ここいらで停めてくれ」

 黒煙を吐きながら唸っていたエンジン音が止まり、小舟は波の上に為すがままとなった。

「にいちゃん、本当にここで潜るのかい?」

 俺をここまで連れてきた男が不安そうな顔で言う。

「危険な海域だ。海面は穏やかだが、『海底』まで潜るんじゃ人食い海魔が……」

「ああ。だから約束通り、俺が半日経っても戻ってこなかったらそれまでだと思ってくれ」

 俺は男の言葉を遮った。

「俺は金を払ったし、誓約書も書いた。俺が死んでも、この海域に連れて行ったんだと言えば評判も落ちないだろ」

「それはそうだが……」

 男はまだ食い下がった。

 どこまでもお人好しな男だ。トレジャーハンターたちを違法な海域の近くまで連れていく『運び屋』をやっているとはとても思えない。

「それによ」

 マスクをつけ、海面に背を向ける。

「もう後戻りなんか、してられねぇんだ」

 ざぶん、という音だけが俺を『海底』へと見送った。

 ゆっくりと潜っていく。

 陽の光が海水にきらめき、広い空間には魚の一匹も見当たらない。

 きらめきだけ、俺だけが深さを増していく。

 深く、深く、深く。

『海底』はまだ見えないが、建造物はいくつか見えてきた。

 かつて高層ビル群と呼ばれた石の塔。

 人類のかつての居城は、今や魚たち、そして『海魔』たちの根城だ。


 海魔。

 海面が上昇し、人類が地上の制圧を海へと明け渡した200年前に現れ始めたという新生物は、その強靭な生命力で他の生物を圧倒した。数を減らした人類はこれに対抗する力など持ってなかったが、しかし数が減ったおかげで海魔と争わずとも口に糊して緩やかに滅ぶことができている。


 陽の光はない。しかし、明かりは灯っている。

 俺は人類の居なくなった道路を律儀に照らし続ける街灯に哀れみのような感情を覚えたが、センチメンタリズムにかまけている暇などない。

 俺はさらに深く、『海底』の深部を目指して道沿いを行く。

 しばらくして、街灯も途切れ途切れになってきた。

 水圧が高まってきている証拠だ。装置とスーツ無しでは到底耐えられない。

 だが、もう少しだ。

 もう少しで、目的地にたどり着く。


 人類にはその昔、余暇と余裕があった。

 大量の人口を抱えた都市では、その誰もが暇をつぶす手段に飢えていた。

 必要とされたのは娯楽専用の施設。

 映画館、水族館、動物園……。中でも、都市だったこの場所がかつて誇りにしていたものがある。

 白く、大きなドーム状の建物が目印。


「あった……!」

 植物園だ。

 暗く、冷たい『海底』に浮かび上がったのは白いシルエット。

 思わず強張る手足をなんとか動かす。

 かつて世界でも有数の希少種を収蔵していることを売りにしていた場所。

 あの場所になら、まだあるかもしれない。

 今や人類が喪ってしまったもの。

 パンドラの海の、海底に残った最後のひとつ。

 手を伸ばせば、届く距離に……!


 俺は忘れていた。

 つかの間、かつて人類が見た幻に夢中になっていた。

 耳をつんざく咆哮が聞こえ、我に帰った時にはもう遅い。

 ここは彼ら(海魔たち)の領域だった。

 底へ。底へと。

 沈んでいく……。


「ようこそいらっしゃいました。あなたは9999日ぶりのお客様です」

 死後の世界。

 そんなものありはしない。

 そう信じてきたからこそ、自分の目を疑った。

 倒れている俺を、何かが覗き込んでいる。

「ようこそいらっしゃいました。あなたは9999日ぶりのお客様です」

 丸い頭にコミュニケーション用の表情ディスプレイ。一定のトーンで喋るそれは、自律行動を行うロボットだ。

 それくらいはわかる。

 だがここは『海底』。ありえないのだ。

 ヘルメットに穴の空いた俺が、生き残っているのは。

「おい……」

「はい、なんでしょうか」

「俺はどうやってここに……?」

「お客様は正面ゲートからご入場されます」

 ロボットが指し示した方向を振り向くと、海水に浸かった階段が見えた。海水とフロアの境目あたりに俺のヘルメットが落ちている。奇跡的にたどり着き、這い上がったのだと、そう考えるしかない。

 なによりそこには、ここがどこだかを示すロゴマークがあった。

「植物園……!」

「はい。お客様は当園9999日ぶりのお客様です。これよりご案内を開始します」

 植物園、まさか海水に浸かり切っていなかったとは。

 おそらく奇跡的に空気だまりとなっていたのだろう。すなわちここで循環しているのは200年以上前の空気だ。

 施設の中はどこも崩れることはなく、ただひたすらに、時が経過したことによる劣化だけがあった。

 案内ロボも所々欠けており、くすんでいる。

「案内さん。俺はここの目玉が見たいんだ。すぐそこに案内してくれないか」

 俺が言うと、案内ロボはしばらく黙った。

 こちらを見つめる表情ディスプレイ。

 何も考えていないこいつが、何かを考えているように見せかけるだけの装置。

 人間の真似事だ、よくできている。

「わかりました。ではこれより『世界樹のドーム』への案内を開始いたします」

 動き出したロボットに着いていく。

 本当は追い越してしまいたかった。おそらく、地図を貰って自分で行ったほうが早い。


 だが同時に、怖かった。

 自分の目で確かめてしまったら、この世界で最後の希望が、もし朽ち果てていたら。

 たぶん俺は、耐えられない。

 ゆっくり、ゆっくりと時間が流れる。

 通りがかった展示コーナーの植物は、すっかりミイラとなっている。

 それが当然だ。

 海水に200年も閉じ込められた植物園で、どんな生命が生き延びられる?

 人が200年前から何も変わっちゃいないことを証明するロボットが居るだけだ。

 だから、だけど。

 どうか、どうか。

 神様……!


「こちら、世界でも当園にしか存在しない伝説の木、『世界樹』でございます!」

 目を、ゆっくりと開いた。

 大きい、とても大きいドームだ。

 ひどく高いガラス張りの天井。日光を取り入れるための天窓は、いまやここが『海底』であることを思い出させる材料に過ぎなかった。


 そして。目の前には柵で囲まれた巨大な、朽ち果てたミイラが、あった。

 きっとかつて、太く、大きな『世界樹』だったものだ。


 突きつけられてみれば、絶望などありふれたものだった。

 やっぱり、そうだよなぁ。

 そうとしか思えない、それ以外の感情が湧かない。

 それ以外がないから、絶望、と言うのだろう。

「……そうです、『世界樹』は枯れてしまいました」

 ロボットのトーンが変わった。

「当園が誇る『世界樹』、わたしは園長にそのお世話を任されました。途中までは園長も一緒でした。その園長はいま、園長室で休んでおられます。そしてわたし一人では、やはり、到底無理でした」

 ロボットのくせに、その声は絶望を含んでいた。

 人間の真似事が、どこまでもうまい。

「だから、わたしはあなたを蘇生できたとき、これが最後の機会なのだと悟りました」

「なんだって……!?」

「お客様、これをお持ちください」

 ロボットはみやげ屋の紙袋を差し出した。

「これは……?」

「希望ですよ」

 ロボットは言い切った。

 はっきりと。それが、希望だと。

「世界樹が最後に残した種がひとつと、世界樹が根付いていた土が入っております。そして、これも」

 渡されたのは分厚い冊子。表題はないが、その中身はめくるとすぐにわかった。

「お客様が世界樹を育てられるだけの設備をお持ちかどうかはわたしには分かりかねます。ですが、これはお客様が持たねばなりません」

「……俺の事情を知っているのか?」

「いいえ」

 ロボットは表情ディスプレイを変えずに、俺の背中を押し始めた。

「お客様の事情は知りません。ですがお客様は外からいらっしゃいました。9999日ぶりに。ですから、これを託すのです。これはわたしの希望です。お客様には申し訳ございませんが、わたしの希望を引き受けていただきます」

 俺を歩かせる腕力と同様に、強引な言葉だった。

「だが俺にはもう帰る手段なんかないぞ。ヘルメットが壊れちまってる」

「お客様には帰ってもらわねばなりません」

 話を聞かないロボットは、俺を非常口と書かれた扉の向こう、小さな部屋のようなところに押し込んだ。俺にはそれがなんなのか、すぐにわかった。

「園長は園が海に沈み、自分が帰らなくてはならなくなってもここに来るつもりでおられました。その潜水艇には、一度浮上するだけの動力がございます」

「……わかっているのか」

 燃料もなく、金属も貴重な今となってはオーパーツな潜水艦。だがこの潜水艦は明らかに今の深度には対応していない。潜水艦は一度浮上するくらいならできたとしても、奇跡的な水圧とのバランスで空気だまりができているこの建物は、これを外に出すためにむりやりハッチを開けたりしたらそのバランスを崩してしまうだろう。何が起きるかは明白だ。

「ええ」

「海魔に襲われても終わりだぞ」

「それでもお客様には帰ってもらわねばなりません」

 ロボットの表情ディスプレイは、もはや点灯していなかった。

 このロボットもまた、朽ち果てようとしている。


「最後にひとついいか」

「なんでしょうか」

「お前は、希望を抱いているときが絶望よりも苦しいことを知っているのか」

 扉を閉めつつ、ロボットは答える。

「苦しみに耐えるのは、ロボットの得意分野ですから」

 人間の真似事をする機械はそう答え、扉は閉まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ