第四十三話 百希と記憶
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『連合王国は帝国との海峡付近で軍事演習を行っており、帝国はこれに対抗して軍事演習を始めた。これは建国以来初の……』
記事が全く頭に入ってこない。これも全て、俺の軽率な行動によるものだ。あのあと目論見通りに召喚の疲れで眠れたは良いが百希は不満だったようだ。別に百希と喧嘩しているわけではないがそれでも互いに話すときはぎこちないのは事実だ。
「……。」
「ユータ……私の実家に来ないかしら?」
「あ、いいよいいよ。」
「聞いているようで実は聞いてないわね。」
アイスはそう言って俺の頬をつねる。まるでさっきまで彼女は話していたかのような口ぶりだ。彼女に言われて港湾都市に戻ってきたがそろそろどこに住むか決めたいところだ。
「……ごめん。」
「トゥーハート海峡に軍隊が集まっているらしいけどあなたは何か聞いていないのかしら。」
「何も、こんなに平和でただの訓練だから気にしなくていいよ。」
その言葉がトリガーだったのだろうか、はたまた運命のいたずらなのか、都市中に鐘の音が鳴り響く。そのあまりにも大きい音に二人で顔を見合わせていると誰かが部屋に入ってくる。
「ミーラ、大丈夫?」
「た、大変です。」
ミーラは息も絶え絶えな様子で苦しそうだった。彼女は手にただ一枚の紙を持っている。
「東の大帝国が不可侵条約を破棄して宣戦布告してきました。」
何故俺はただの紙切れを信頼していたんだろう。こうなることも可能性としては十分あり得たのに。
「西の端のトゥーハート海峡に帝国軍が集まっている今を狙われるのはまずいわね……。」
そうまるで示し合わしたようなタイミングだ。もしかしたら帝国は負けるかもしれない。今まで革命軍、いや帝国軍はずっと仕掛ける側にいた。それが今回は後手に回っている。
「あの……ユータ様、まさか戦争には行かないですよね?」
ミーラは辛い記憶があるのか有無を言わせない様子だ。とても真剣な様子でいつもの忠告とは格が違う。
「まさか後方から武器を売るだけだよ。」
「……そうね。その方が良いわね……ちょっと用事が出来たわ。」
「用事って?」
「ユータは知らなくていいわよ。」
アイスは席を立ってどこかに向かおうとする。彼女の行く先について行こうと店から出るとそこには今は会いたくない彼女がいた。いつもより目が鋭くとても直視出来ない。
「……百希。」
「……君たちと話したいことがあるんだ。今時間はあるかな?」
とても真剣な様子で断れそうになかった。今日はいつになくみんな真面目だ。アイスは角を立てずに断ってどこかに行ってしまった。恐らく彼女は立場上しなければならないことがあるのだろう。
「百希さん、ならお店に戻りますか?」
「その必要は無いよ。僕の手を握ってくれるかな。」
俺が彼女の右手をミーラが彼女の左手を握った。その後彼女は小さな声で……に移動せよと呟いた。行き先は分からないがともかく彼女を信じる他ない。
瞼を開けるとそこには誰もいない街が広がっていた。街はいつも見るようなものではない。それは近未来的なもので本来は広告が映っていたであろう透明なスクリーンや主人の命令を待つアンドロイド、一台も走っていない道路が俺に物悲しさを教えてくれた。
「ここがユータ様の故郷ですか……。」
立ち並んでいるビルの間の道の真ん中、でも車は来ないから危険ではない。辺りを見回しても他に誰もいない。
「良くわかったね……そう僕らの母なる星、地球。」
本当に誰もいない。だから電気はついていなくて信号も動いていない。ただ俺たちの喋り声がこだましている。
「Connecting. Master returned.」
そんな声が街に響いたあと様々な物が一気に動き始めた。ミーラがそれに驚いて俺の手を強く握る。百希はそれを笑いつつ手を広げてこう言った。
「ようこそ、文明の果てへ。僕とユータはこれの末裔さ。」
「他に誰かいないんですか?」
「いないよ。僕とユータが最後の二人。」
ミーラはまた驚いたのか不思議と辺りを見回している。
「……そろそろ行こうか。」
彼女はだいぶ悲しそうに言った。俺が覚えていない事はそこまで辛いのだろうかはたまたここは彼女にとっての思い出の地だからだろうか。
「どこに?」
「あはは……どこにしようか。」
彼女が少しふざけた調子で言うから真面目な雰囲気がものの数秒で終わってしまった。
「君はどこか行きたい所はないかな?」
「百希、図書館でお願い。」
彼女はこの答えを予想していたのかもっと良いところがあると言って歩き始める。彼女はなぜか自分のスキルの事を忘れていた。まるで自分でついた嘘をうっかり忘れているようなそんな感じがした。
ミーラが強く手を握る。その様子はどうも俺が最初に彼女と会った時を思い起こさせた。そしてしばらく歩くと身長の三倍はある機械がずっと並んでいる場所にたどり着いた。床はガラス張りで天井もガラス張りでずっとその機械が立体的に並べられている。
「ここは何をする所ですか?」
「分からないけどデータセンターみたいな物に見える。」
「ここは知識の集積所だから間違ってないね。君はやっぱり覚えてないよね……。」
彼女は空中に浮かぶスクリーンを俺の前へ持ってくる。三人で機械を背に座った。二人とも距離が近くて鼓動が早くなる。もしかしたら百希はわざと画面を小さいままにしているのかもしれない。
「ここはほぼ全ての情報は見れるんだけどね、一つだけ僕だと見れない情報があるんだ。」
「ほら君が記憶を失う直前の記録だけ鍵がかかってる。多分開けられるのは君だけなんだ。」
スクリーンには指紋認証があった。俺が人差し指をかざすだけで記憶を失った理由が分かるだろう。少し迷いながらも俺の右手は目の前のスクリーンに伸びて……。ミーラの手が俺を遮った。
「ミーラ?」
「百希さん、分かるのは記憶喪失の理由だけで記憶は戻らないですか?」
「……多分ね。少なくとも僕はそう思ってる。」
ミーラはそっと手を離した。恐らく彼女なりの精一杯の百希への妥協なのだろう。そして一つ目の記憶への扉が開いた。
「それで何故、頑なに記憶を捨てようとするのか私に分かるように説明してくれないか。」
今喋っている彼もしくは彼女には一度会っている気がした。
「残念なことにもう広義でも人類は本当に両手で数えるほど少なくなってしまった。もちろん理由を話したくないのは分かるが聞かせてほしい。」
「ここには何でもある。あなたや百希が持つ機械に望めば全てが叶ってしまう。でもそれが無価値に思えてならない。」
「確かに今君が願えば全て一瞬で叶うけど、それは本当に多くの人が夢見た最高の道具だ。間違いなく君たちはこの長い歴史で一番恵まれている。なのにそれは無価値なのかな?」
「過程が大事なんだ。夢を見るために夢のない世界に行きたい。全てを忘れて、過程を楽しみたい。」
「百希ちゃんは悲しむだろうけどいいのかな?」
「……良いよ。彼女なら多分理解してくれる。」
彼は俺なのにまるで別物だった。とても真っ直ぐで、それでいてこれから記憶を失う事を恐れていなかった。迷わずに選択していた。
ミーラは分からないのか呆然と座っている。異世界人の彼女には分からない感覚なのだろう。
「そっか……そっか……とっても君らしいな。」
百希の温かい涙が俺に落ちる。
「僕は怖かった。もし君に嫌われていてそれで記憶を消したのかと思うと胸が痛くて……良かった。」
「……百希、ごめん。」
「っ……何で君が謝ってるの……。」
彼女は儚げに笑った。その吹けば消えそうな姿に突き動かされて、気づいたら俺は彼女を強く抱きしめていた。
「ありがとう。君に逢えてよかったよ……そういえば君に伝えないといけないことがあったね。」
「僕らは何でも願いを叶えるシンギュラリティを持っていたんだ。」
「実は僕のシンギュラリティの一部は君が持っていたんだ。ごめんね。まさかそんな理由だとは思わなかったんだ。」
俺だけスキルが二つだったり滅茶苦茶だったのはそういうことか。確かにアトランはとても機械的で一度も冗談を言ったりせず、望めば叶えてくれた。エラーコードを言ったりしたけどだいぶ融通がきいたスキルだった。俺の武器召喚も彼から作られたから自由度が高かったのか。
「僕が君のことが心配で貸してた。でも良かったよ。だって君は武器召喚だけしか本当は持ってなかったからね。多分僕が何かしなかったらあの島から出られずに死んでたよ。」
彼女はそっと俺から距離を取って向き直る。彼女が奴隷に落ちたその理由の一端は俺にあるかもしれない。
「僕も君みたいに全てを忘れようかな。そうしたら楽になれる。」
「どうして二人ともそんな簡単に捨てられるんですか?大切な思い出なんですよ。」
ここまで黙っていたミーラは本当に不思議そうに尋ねた。彼女はあまり人を傷つけないようにして強く意見を言うタイプではないが目の前で記憶を消すのは看過出来ないようだ。
「ミーラさん、何でも願いを言ってみて。」
「……金貨でも何でも良いです。とにかく思い出を消すなんて……。」
彼女の足元に相当量の金貨が転がる。その金貨一枚一枚が帝国で流通しているものでシンギュラリティの凄さに息を呑む。虚空から金を作り出すなんてどれぐらいの労力が必要なのか想像もつかない。
「ね、つまんないでしょ。何でもあるのに僕の大切な人の心は得られない。」
彼女は俺の様子を見てそう言った。確かに俺はさっき全く別の事を考えていたが彼女は一つ大きく勘違いしている。
「私には全然分からないです。百希さんもユータ様も。」
「……ミーラさんは幸せだね。これは僕らだけの感覚だから分からないほうがいいよ。あーあ、特に不自由はしてないけど何か足りない人生だったな。」
「シンギュラリティ、僕を。」
「百希!」
心の奥底の何かに叫ぶことを強いられた。普段とは全く違う声量にミーラも百希も驚いている。そして俺自身が一番驚いている。
「大好きだ。」
「……ずるいなここでそんな事を言われたら僕がどうするか分かってるだろうに。」
「百希は俺のことをいつも君って読んでるけど本当はユータという名前を呼ぶ事を無意識で避けていた。違う?」
「……もしかしたらそうかもね。僕は深層意識のどこかで君とユータを別人と捉えたく無かった。そんな可能性もあると思う。」
「君……ユータ、僕は本当はユータではなくて君のことが好きかもしれないよそれでも良いかな?」
「良いよ。百希が忘れるよりは遥かに良い。」
「やっぱり君に逢えてよかったよ。僕も君のことが大好きだ。」
俺は過去には勝てる気がしない。でも百希が幸せならそれはそれでいいかもしれない。
まだ続きます。




