78.意外な幕切れ
「ヴァイス・ヴァーサ。森の精霊の弓!」
リリアナのくっつけた握り拳の隙間から緑の光が漏れ出す。彼女が右の拳をゆっくりと上へ動かすと、光も同じように伸びる。
彼女の手の中で緑の光は弓へと変わった。
彼女は腰を落とし、左足を一歩前に右手で弦を引きしぼる。すると、緑光の矢が弦の中に現れた。
「八十九式物装 雷切」
おなじみとなった通常使えるなかで最高位の物装「雷切」を発動させる。
私の力ある言葉へ応じ、手に挟んだ札から紫色の雷光が迸り、リリアナの手の中にある「弓」へ全て吸収されて行く。
矢に雷切をかけることに比べたら威力が数段落ちてしまうが、このやり方なら左大臣の四属性無効化の条件にも引っかからない。
更には、リリアナの術の選択は最良だったと言えよう。
何故なら……。
リリアナが引いた手を離す。
同時に目視できぬ速度で左大臣に向け矢が一直線に飛んでいった。
「こんなもの、ぐ、ぐおおオ!」
見事、矢は左大臣の左胸を貫き、空の彼方へと消えていく。
雷切により弓へ強化を施すことで矢の速度が数倍にまで跳ね上がる。
左大臣の「天と地を入れ替える」術は対象を指定しなければならないのだ。
そう、彼の目で捉えられぬ矢に対し、術を行使することは叶わない。
「もう一射放つ」
リリアナは再び両手の拳を合わせ、右の拳を引く。
すると、彼女の動きにあわせて再び矢が出現した。
連射性能、速度、雷切を重ねることができる……いくつもの利点を兼ね備えた術こそ「森の精霊の弓」なのだ。
「ま、待テ」
左大臣は両手を上にあげ、降参の仕草を見せる。
突然の思ってもみなかった展開に思わず「どうする?」とリリアナと顔を見合わせた。
私たちのことなど気にもせず、左大臣は言葉を続ける。
「わ、私は騙されタだけなのダ。力が手に入ルと甘言を受け、貿易を行イ、財を膨らませタ。このまま日ノ本ヲ。と踊らされタだけなのダ!」
「左大臣、貴君を操った者とは誰なのだ?」
「それは――」
私の問いかけに応じる左大臣が喋る最中――
――ゴロリ。
左大臣の頭が地に転がった。
「な……」
「ここで来やがったか!」
弓を構えたままのリリアナが絶句し、十郎が獰猛な笑みを浮かべる。
左大臣の首を落としたのは……突如左大臣の真後ろに姿を現した二名のうちの一人……宗玄だ!
彼は無表情で左大臣を斬った大太刀を鞘へ納める。
あの大太刀は、私たちの目の前で打倒した魔将不知火から奪い取った妖刀「不知火」に間違いない。
そして、宗玄の隣に立つのはミツヒデだった。
彼の転移術で左大臣を起点にしてここへ出現したのだろう。
「ミツヒデ、てめえ!」
十郎が怒声をあげた。
対するミツヒデは涼しい顔で優雅に扇子をパチリと広げる。
「相変わらず熱くなりやすいんですね。十郎くんは」
やれやれと自らを扇子で扇ぎながら、肩を竦めるミツヒデ。
「宗玄と貴君は仲間だったのか?」
左大臣のことより、まずは一番の懸念点から問う。
「いえいえ、彼は『協力者』ですよ」
「協力者とは……一体?」
「まあ、いいでしょう。答えましょう」
扇子で顔を扇ぎ、ミツヒデは冷徹な視線で真っ直ぐに私を直視する。
一拍開けた後、彼は言葉を続けた。
「宗玄殿は、私たちの野望『天下布武』の協力者です」
「天下布武……」
「そうです。聞いたことありませんか? あなたは見た所、学がありそうに見受けられますが?」
知っているとも。
天下布武とは今は亡きノブナガが唱えた言葉だ。
「民草が自らの足で歩き、笑顔の絶えない社会にする」ことが天下布武だとノブナガは言う。
言葉の意味自体は私も共感できる。だが……。
「知っている。しかし、貴君らのやったことは騒乱だったではないか」
そう、理想を述べた天下布武の実態は、日ノ本で乱を起こし凄惨な血みどろの道であった。
何が「民草の笑顔」だ。
自らが陛下に成り代わり、権力を握りたかっただけなんじゃないのか?
「そうですね。あの頃はそれこそ天下布武への道だと私も思っていました。今では後悔していますが……」
「今は異なると言うのか?」
「もちろんです。真の天下布武を志すには『覚悟』が必要でした。しかし、御屋形様は克服なされた。私も御屋形様へ従います」
「何を考えているのかまるで読めぬが、結局貴君らは左大臣らを裏から操り、日ノ本へ騒乱を起こそうとしているだけではないか!」
私にしては珍しく怒声をあげ、ミツヒデを睨みつける。
「左大臣……ああ、この男ですか。彼はいいように動いてくれました」
「……所詮彼らは駒だったと」
「物は言いようですね。間違ってはいません。私が彼らに与えたのは、資金を稼ぐ手法と魔の力のみです。何ら彼らに対して命じておりません」
意外だった。
ミツヒデの様子を見る限り、嘘をついているようには見えない。
……なんたること……私としたことが、怒りで思考力が鈍っていたようだ。
冷静になって考えてみれば、すぐに分かる。もし、ミツヒデが裏から左大臣らを操っているのなら、もっとうまく立ち回らせたに違いない。
姿を消す札と魔の者であることを隠す札の二つがあるのだ。皇太子を害することも容易にできるし、何より左大臣らを直接私たちにぶつけるような愚かな真似はしないはず。
彼らは腐っても日ノ本中枢を抑える重要な人材である。それをみすみす打倒できる可能性のある私たちと相対させるなど……この男ならやらない。
だが、それでも……。
「貴君が操っていないことは理解した。だが、左大臣らに力を与えればどうなるのか想像できぬ貴君ではなかろう?」
「そうですね。大方の予想通りです。だからこそ、先ほどあなたが『駒』と言ったことを否定しなかったでしょう?」
読めない。まるでミツヒデの考えが読めないでいる。
ミツヒデの能面のような顔からは何ら判断できるものがないことが拍車をかけていた。
言葉からも表情からも読めぬとなるとお手上げだ。
「その様子だとまだまだ聞きたいことがありそうですね。しかし、あなたのお仲間はそうではなさそうですよ?」
ミツヒデの指摘にハッとなり、周囲に目を向けるといまかいまかと戦いの合図を待っている十郎とリリアナが目に入る。
「違う。私の仲間は貴君と宗玄が攻勢に出たら、すぐ対応できるよう身構えていてくれるだけだ」
「それはご安心を。私はこの場であなた方を害さないことを誓いましょう」
そのような言葉、鵜呑みにするほどこちらも呆けてはいない。
緊張を一切緩めず、ミツヒデを睨みつける。
「どうしてもというのでしたら、この場で死合をしてもいいのですが……」
ミツヒデは涼し気な顔で扇子を振るった後、パチリとそれを閉じる。
彼は扇子をこちらに向け、冷気を孕んだ魔を全身から発し一言。
「あなたたちに勝ち目はありませんよ」
霊力の大半を消費した私たちでは勝てぬとミツヒデは言う。
確かに……ミツヒデと宗玄の二人を相手どり、全力が出せぬ中勝利を掴むことは困難を極める。
「だが、不可能ではあるまい」
「ふふふ。その意気は見事です。個々人がそれほどの実力を持ちながら、けん制しあい蹴落とし合わず、逆に信頼しあうあなた方も同じく、『見事』です」
「何が言いたい?」
「戦いには『相応しい場』というものがあるのですよ」
「それは、本能寺で決戦を行いたいということか?」
「いえ、本能寺には御屋形様がいらっしゃいますので……そこではなく『関ケ原』でやりましょうか。これより三日後、あなた方をお待ちしていますよ」
私たちの返答も聞かず、ミツヒデは扇を振るうと宗玄と共に姿を消したのだった。




