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68.皇太子の命

『伝言はただ一言「帰還せよ」のみ』

「……」


 皇太子自ら、追放刑に処された私を呼び戻す指令を下すなど、にわかには信じられない。

 法を守らせるべき立場の皇族が、禁を破っては法の意味が問われる。

 しかし、皇太子がただ理由もなく日ノ本へ戻れなど言うはずがない。

 

「何が起こっている?」

『右大臣はともかくとして、楠卿がそうやすやすと重傷を負うと思いやすか?』

「……寝込みを襲われれば、いかな楠卿といえども」

『それがですね。白昼堂々と何者かが楠卿の屋敷に忍び込み真正面から切り伏せたようで、駆け付けた護衛によってからくも一命を取り留めたと報告を受けてます』

「……そんな馬鹿な……」


 てっきり夜中に辻斬りされたのだと思っていた。

 楠卿は軍のトップなのだ。護衛も手練れだし、楠卿本人もレベル九十を超える武芸者なのだが……。

 それが、護衛に気が付かれずに忍び込み、楠卿を斬ったなどにわかに信じることができない。

 

「ハルト?」

「すまない。あまりにことに茫然としてしまっていた」


 リリアナに肩を揺すられるまで彼女の声に気が付かなかった。

 

「護衛を含め楠卿もまとめて斬り伏せることができる奴ならいるだろうな」


 顎に手をやり、十郎が呟く。


「確かに……いる。十郎と同じくらいの武人ならば可能だ。斬り伏せるのではなく陰陽術でもできなくはない」

「そうだなあ。俺より強え達人……一度斬りあってみてえな」


 そうじゃないだろう十郎……全くどこまで戦闘が大好きなのだ。

 問題は「忍び込んだ」ことなのだよ。忍び込んだ上に真っ向から切り伏せることを両立させる者が思い浮かばない。

 それに、そこまでの達人を九条左大臣が抱えていたとも思えないのだ。

 彼は武人や陰陽師に対し冷淡だった。「金にならない」からという理由で。

 しかも、達人たちは金満政治家を嫌う。孤高を好み、一人武の道を究めんと切磋琢磨する者が多数だ。

 私がいたころの日ノ本で九条左大臣の護衛やお雇い武芸者たちは、決して弱くはないが楠卿の護衛に比べれば数段落ちるものだった。

 

「まさか……」

「どうしたのじゃ? ハルト」


 リリアナの問いかけに口元を震わせながら言葉を紡ぐ。


「突拍子のない話だが、九条左大臣は妖魔と繋がっているのでは……」

『さすが榊の旦那。皇太子様と同じ結論に至ったでやすね』

「もし……それが誠なら……日ノ本は……」

『だからこその「帰還せよ」でやんすよ』

「分かった。皇太子様にお会いしよう」

『手引きはしやす。日ノ本でお待ちしております』


 その言葉を最後に倶利伽羅との遠話は途切れる。

 

 リリアナが小枝を懐に仕舞い込む仕草を見ながら、大きく息を吐いた。

 あまりの展開に頭が追いついてこないぞ……。


「何だかよくわからねえが、やばい感じか?」

「そうだな。かなりよろしくない展開だ」

「そっか」

「そうだとも」


 十郎はそっぽを向いて口笛を鳴らす。この態度は完全に考えることを放棄したことのサイン。

 まあ……いつものことだからこれ以上彼に突っ込むことはすまい。

 

 彼に対してはこれでいいが、目の前にいる自称大賢者はじーっとこちらを見つめているではないか。

 同じく聖女も。

 

「お主の国の事情が分からぬ。妾にも分かるように説明して欲しいのじゃが」

「もちろんだ」


 考えを放棄しないとはなんと素晴らしい事か。

 そこでリュートと遊び始めている男にも見習ってほしいものだ。

 

「聞いた事実と私の推測を簡潔に述べる」

「うむ」


 コーヒーを口に含み、喉を潤してから言葉を続ける。


「日ノ本は政治・軍事共に麻痺している状態だ。政治は九条左大臣の専横を許し、彼に抑えられ機能していない。一方、軍事は頂点に立つ楠卿が重傷で倒れ一時的に混乱している」

「政治はともかく、軍事についてはそのうち回復しそうじゃの」

「確かにそうだ。楠卿お一人で担っているわけではない。しかし、彼の下には同じくらいの権力を持った役職者が三名いるのだよ」

「そうなると、不穏なことを考える輩も出てきそうじゃの」

「その通りだ」


 九条左大臣に囁かれ、彼に協力することで楠卿を排し自身が頂点に立とうと思う者も出てくるだろう。

 

「じゃが、いくら重傷といえど立てぬまでも指示を出すことくらいできるじゃろう?」

「確かに。しかし、もし三人のうち九条左大臣になびく者が出た場合は、いや、出ない場合でも……楠卿は今度こそ亡き者にされるやもしれん」

「……そういうことか。納得した。悪い場合は軍が九条に付き、良い場合は軍が麻痺した状態が続くってことかの」

「その通りだ」

 

 頷き合う私とリリアナへシャルロットが口を挟む。


「どういうことなのですか?」

「倶利伽羅は『白昼堂々と防備を整えた楠卿が斬られた』と言っていた」

「理解いたしましたわ。その方が再び襲撃すれば、いつでも楠卿を害すことができるのですね」

「その通りだ。つまり、軍は使えない。一つの例外を除いて」


 一本指を立て、二人を見やる。

 

「おお、うまいうまい!」

「今度はジュウロウがやってみてよ」

「俺なら四つまで同時にいけるぜ」


 十郎とリュートの呑気な声が聞こえてきた。

 どうやら、お手玉で遊んでいるようだ。……リュートは退屈だろうから丁度いいか。

 

「例外とは別に軍があるのかの?」


 リリアナの問いかけが聞こえたので二人から目を離し、彼女の方へ顔を向ける。

 

「ある。皇族……特に帝と皇太子様を守る近衛という軍が。だが、帝を護る近衛はおそらく使えない。皇太子様の方は動かせる可能性はある」

「ふむ。王族を直接護衛する部隊じゃな。幽閉されておる皇太子なる者を救い出せば使えるかもしれぬということじゃな」

「不確定ではあるがな。皇太子様がどのような状況にあられるのか不明。拉致されたのなら、近衛が動かぬはずがない」

「ふうむ。倶利伽羅からの情報次第じゃな」

「彼も探っている最中なのかもしれない。ここまではいいか?」

「うむ。なかなか大変な状況なのは理解した」


 政治と軍事が麻痺。このままいけば九条左大臣が帝に成り代わるかもしれぬ。

 

「続けるぞ」

「うむ」

「楠卿を害した下手人は九条左大臣の手の者だった。この者は相当な手練れだ」

「お主の推測は、その者は妖魔じゃということじゃな」

「魔将、真祖、夜魔のどれかではないかと踏んでいる。つまり……」

「ミツヒデと繋がっておるのか」

「私の推測だがな。そう考えると全てがすっきりと繋がるのだ」


 九条左大臣が大陸のことなど知っていたはずがない。あの守銭奴が国から出したであろう交易船だろうと、儲けた金を全て懐に納めないなど考えられない。

 右大臣と表面上だけでも仲良く振舞う事でさえありえないのだ。

 彼は知略や謀略に長けるが、少しでも損をすることを蛇蝎のように嫌う。だから、他人へ向けいい顔をしないし、橋の改修などもってのほか。

 彼に自分の意思に反した行動を取らせるほどの利益を与えることができる人物となれば、ミツヒデ以外にありえない。

 ミツヒデの協力があれば、こと武力に関しては何者も寄せ付けないだろうから……今回の絵図を描いたのがミツヒデだとすれば、彼の知略は左大臣など比べ物にならないくらい優れている。

 左大臣からすれば飛びつかないはずがないだろうな……。

 

「シャルロット、四人乗れさえすればどんな船でも構わない。準備はできそうか?」

「外洋向けでなくともよろしいのですか?」

「構わない。私がここまでやって来た船は渡し船のような船だった。陰陽術で強化すればどのような船でも問題ない」

「それでしたら、この村にある漁船をもらい受けましょう。明日朝一番に村長さんにご相談にあがります」

「助かる」


 一刻も早く日ノ本へ行かねばならぬ。

 はやる気持ちを抑え、この場はこれにて解散となった。

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