らぶっこみ!~武田詠理の憂鬱~
私には気になっている奴がいる。
しかも、今なら自宅から半径20m以内に存在している。
小さい頃から一緒だけど、一緒になってはいないアイツ。
一体、いつから気になりだしたのだろう。
野良犬から身を挺して守ってくれた時?
大事なぬいぐるみを一緒に探してくれた時?
それとも、初めて漫画を見せて貰った時?
多分、全部だけど、それで全部じゃない。
人を好きになるのに理由はいらないなんて言う人もいるけれど、
好きに理由があれば、それだけ迷わず人を好きと言えると思う。
理由がいっぱいあれば、悩むことなく大好きと言えると思う。
それに、私だけが気になっているとしたら、それは許せない。
アイツは、もっと私のことを気にして、大事にするべきなのだ。
だから、私は勇気を出すための理由を求めて、そして、アイツに理由を与えるために、
今日も隣の上杉家の離れ―――通称、川中島のドアをノックしに行く。
「お、詠理。また今日も来たのか」
ドアの向こう側から現れたのは遠慮を感じさせない笑顔と物言い。
ならば、私も遠慮はいるまい。
お気に入りの服に着替えてきたし。武田詠理、推して参る!
「創、おっす」
気合とは裏腹な挨拶をかわし、いつも通りアイツの部屋を占領しにいく。
お気に入りのクッションに座り、本棚から漫画をひっぱり、ページをめくり始める。
その様子をアイツは少し呆れたような困ったような顔をしながら見守り、作画に戻る。
ペンの走る音と紙をめくる音だけが聞こえる空間が心地よい。
漫画越しに時折アイツを盗み見ていると、ふと目が合い、思わず漫画で遮る。
「お前さぁ。なんで今日は制服じゃないの?」
一瞬、部屋の中の全ての音が消える。
アイツの鳥頭は今日も平常運転。鳥頭も新鮮な体験を何度でも出来ると思えば悪くない。
そして、ここで怒るは下策も下策。私は理解と余裕ある幼馴染なのだ。
「……前に、漫画の資料にしたいから制服以外も見てみたいって言ってたじゃない」
おもむろに立ち上がり、お気に入りの赤備えワンピースをアピールをしてみる。
さぁ、私の私服姿に感想の一つでも言え、言うんだ!そして、照れるが良い!
「あー、そうだった。今、学園物描いているから、むしろ他校の制服も見てみたいんだわ」
上杉ペン心なんて、なめたペンネームの創に気の利いた感想なんて期待していなかった。
ええ、まったく期待はしていなかったんだけど!
それでは、このクッションを気に入っている理由の1つを身をもって証明してもらおう。
それはアイツの眼鏡を破壊しない程度に、脳に衝撃力を与えられること!
「なら、他校の子でもナンパしにいけば良いじゃない。どうせ出来ないだろうけど!」
自分で言っておきながらなんだが、出来ないというのは嘘だ。
実際、アイツが他校の女子と話しているのを見かけたことがある。
どんな接点なのかは分からないが、その点を線や面に進化を遂げさせてはならない。
その焦りが私を駆り立て、今日着る服に頭を悩ませたというのに、この男の発言!
だけど、改めて考えると、さっきの発言は軽率だったかもしれない。
流石にアイツも怒ったかもしれない。そして、件の女子の方が良いって思われたかも。
投げつけたクッションと一体化しているアイツの表情が気になって仕方ない。
しかし、張り付いていたクッションが落ちると、アイツの意外な表情が現れた。
「な、なによ?」
よく何を考えているか分からない顔なんてアイツは言われているが、私には分かる。
そして、分かるからこそ、私は戸惑う。これは真面目モードな顔だ!
実は他校の女の子と付き合いだしたとか、だから、私の存在が邪魔とか、
そんなことを言い出しかねない視線を反射的に漫画で遮ってしまう。
「お前じゃなきゃ駄目なんだよ」
「!!??」
予想外だった。予想外すぎて、思わず漫画を床に落としてしまった。
普段なら、漫画は大事に扱えって怒るアイツだが、咎めることもなく私を見つめる瞳。
何々!?いきなりの急展開!?いや、兆候があったら急展開とは言わないだろうけど!
「ど、どういう意味?」
裏返った声を出した自分の声帯が恨めしい。もっと落ち着いた態度を装いたいのに。
来るべき時が来たのかと、私は居住まいを正して、言葉に詰まった創を見つめ返す。
理解ある幼馴染の私はどんな告白でも受け入れるぞ!さぁ、来い!
「描きなれたお前が良いんだよ!他の奴だと緊張するだろうし、描きやすいスタイルだし、機嫌良い時に頼めばポーズもとってくれるし、デッサンモデルとして最高なんだよ!」
本当に、どういう意味ー!?予想していた告白と全然違うんだけど!
しかも、握り拳をつくり熱く語ったアイツは、何だかやり切った顔をしてる。
どうやら冗談って雰囲気でもないし、アイツなりに真剣に伝えてくれた内容だ。
ならば、私も多少は真剣に返すのが筋だろう。
「ごめん、ちょっと待って。少し頭の中整理させて」
「お、おう」
まぁ、他の奴だと緊張するってことは私には心許してるってことだろうし。
体型変化に目敏いコイツの為に、スタイル維持もちゃんとしてる。
時々ポーズもとってあげたこともあったし、モデルとして満足してるってことよね。
ふむ。平凡な私だけど、良いモデルとして見てくれているってことかぁ。
まぁ、私だって、時折告白されるくらいには人気あるんだから、ありがたく思え。
そんな想いに浸っていたら、真剣な視線を感じ、ふと我に返る。
返事を待っているアイツへの返事に悩み、ふと視界の端に映る投げつけたクッション。
「わ、わかったわよ。とりあえず、クッション投げて、ごめんね」
結局、これくらいの返ししか出来ない自分が悲しい。
可愛く、ありがとうくらい言っても良かったかもしれない。
でも、その言葉に安心したのかアイツは照れながら頭をかいているので結果オーライ。
「こっちも興奮して語りだして、すまん。ちょっと飲み物でも持ってくるわ」
「うん、任せた!ありがと」
アイツの背中にかけた声がまた上擦る。まったく、声帯にはちゃんと仕事をして欲しい。
普段なら一緒に飲み物を準備しに行くところだけど、今一緒についていくのはマズい。
声の調子がいつもと違うし、心臓の鼓動もやけに速い。絶対、何かやらかす。
ここでドジっ子属性なんか取得して、からかわれる理由を増やすのはよろしくない。
増やすべきは私がアイツを好きである理由と、アイツが私を好きになる理由だ。
落ち着け、私。ここは仕切り直しだ。
深呼吸をし、そっと胸を撫で下ろす。そっと……、抵抗の少ない発展途上の胸を。
そして、さっきの言葉を思い出す。
「描きやすいスタイルって、どういうことやねん!!」
結局、創をタコ殴りにした後、アイスティーを飲み、普段通りの時間を取り戻す。
安心したような、残念なような気持ちで飲むお茶は味も複雑に感じる。
「もしかして、甘すぎたか?」
「別に普通ですけどー」
子どもっぽいかもしれないけど、甘い飲み物は嫌いじゃない。
大人ぶってブラックコーヒーを一緒に飲んだことのあるアイツはそれを知っている。
そんな私にアイスティーを甘くする気遣いができても、甘い言葉は未入荷のようだ。
仕方ない。気長に待つことにしますか。
「なぁ。漫画描いているのを、ただ待っているって退屈じゃね?」
アイツと過ごす時間はむかつくことはあっても、退屈なんかじゃない。むしろ楽しい。
漫画を描いている時のアイツはネタに詰まると百面相みたいに表情を変化させるし、
それを知っているのが私だけと思うと優越感に浸れる時間でもある。
でも、そんな『私だけ』がいつか崩されると思うと切なくなるし、怖くもある。
「退屈じゃないわよ。漫画読んでるし。何、私が邪魔ってこと?」
「邪魔なんかじゃないよ。なら良いんだ」
つい棘のある言い方をしてしまい、自己嫌悪。でも、アイツは特に気にせず、また没頭。
自宅に居ると退屈することが多いし、暇つぶしに漫画を見ていると良い顔をされない。
だから、漫画を見たい時は川中島にくるし、創に会いたい時は漫画を口実に出来る。
この自然な流れを作った当時12歳の私は天才じゃないかと思う。
「それに、あんた原稿出来たら、すぐに見せに来たがるじゃない。だから、ここが良いの」
武田家と上杉家は、私がこっちに引っ越してきて以来、仲良くやっている。
仲良くはあるが、アイツが漫画を持ち込んできて、親の顰蹙をかうのは避けたかった。
「そうかそうか。そんなに俺の作品が好きで、出来上がりが待ち遠しいか」
しかしながら、時々、こんな風に自信家なところは鬱陶しい。
今のうちから躾けておかないと後から苦労するって上杉ママが言ってたな。
そんなことを言うってことは、少なくとも上杉ママ公認ってことで良いのかな?
そのうち、お母様なんて呼んでみちゃったりして!?私ってば!?
「ん?なんか、顔が赤くないか?熱中症か?」
急に覗き込んできたアイツに反射的に掴んだボツ原稿を投げつけ、距離をとる。
妄想中は精神耐性が下がっているから、急に来ないで欲しい。
「ちょっと暑いだけよ!それにあんたの漫画なんて別に待ち遠しくなんてないわよ!」
これは半分本当で、半分嘘。
アイツが描いている漫画が待ち遠しい訳じゃない。
漫画を描いているアイツが待ち遠しいだけ。
「俺の漫画、そんなに駄目かなぁ…」
これはしまった!どうやら地雷踏んだようだ!
散らばったボツ原稿を向く創の顔がブルースクリーンになり、完全にフリーズしている。
こうなると復旧に時間がかかる脆弱なOSで面倒くさい!
「別に漫画が駄目とかそんなんじゃなくて!」
そう、アイツの描く漫画は駄目じゃない。むしろ、気になった理由の1つだし。
こんなんじゃ持ち込みで断られた帰りに自殺しかねない豆腐メンタルは駄目だけど!
普段、飄々としているように見えて、その実、こんなメンタルだから放っておけない。
やっぱり、そこに気づいている私が傍にいないと駄目だ。分かったか、他校の女子め!
いや、分かっちゃ駄目。これは私の、私達だけの大事な秘密にしておくべきだ。
「ただ単に、あんたが活き活きと漫画を描いているところを見ているのが好きなの!」
……ん?ちょっと待って。慰めようとして、なんか余計なことを口走った気がする。
もしかして、私、好きとか言ってなかった?
漫画を描いているところが好きで、わざわざ自室にまで押しかける乙女1人。
よく考えたら、状況証拠的には完全に告白やん!
「…えっ、それって?」
そして、こんな時に限って、一発で復旧に成功しているアイツ。
聞き流してほしかったが、聞いてしまったからには仕方ない。
しかし、ここで確認行為を行うなんて、ヘタレ主人公属性を発揮するのは許さない。
だから、私もツンデレ属性を発揮して、好きと言ったのを訂正する訳にはいかない。
「わかりなさいよ…!」
自爆的に告白の流れをつくってしまった苦悩もわかりなさいよ!
見目麗しいJK様である私が、放課後に他の子との遊びを断ってまで通う真意も!
っていうか、いい加減気付きなさいよ!絶対、周りからじれったいって思われてるって!
「そうか!作画風景も一般受けするってことか!漫画家の漫画やアニメも一定人気あるもんな!」
「は?」
なに、こいつ。天然ヘタレなの?そんな気はしていた。
宇宙の真理にでも気付いたかのような語る顔が頭痛が痛くなるレベルに痛い。
「新しい道が拓けたっていうか、なんか見えてきたわ、俺!」
「は?」
いやいや、何も見えてないから。アイツの眼鏡、ちゃんと仕事して。
もしかして、クッション投げつけすぎて、性能が低下したの?それなら謝る。
「モチベあがってきたわー!ありがとな、詠理!」
「あー。それは、ドウイタシマシテ……」
これはしまった。またもや地雷を踏んでしまったようだ。
創作への情熱による熱暴走。完全に創作モードに入ったアイツは手が付けられない。
「アノー、ハジメサン?」
もう完全に意識が漫画に向いて、私のことなんかお構いなしだ。
きっと、おっぱいをチラ見せしても気付かず漫画を描き続ける筈。ほらね?
この調子なら、今夜は寝食を忘れて漫画を描くのだろう。
「ドウモ、オジャマシマシタ」
そして、私は溜息だけ残して、川中島から撤退した。
「こんばんは」
自宅に戻る途中、他校の生徒から挨拶されたような気もするが、
圧倒的疲労感が私から挨拶を返す気力を奪っていた。
自分の部屋に戻り、日記をつけながら眼下の灯りを見つめる。
今日も勝負がつかなかった私とアイツの川中島。
かの武将達は5度引き分けたというけれど、私達は何度目引き分けるのだろうか。
しかし、何度引き分けても、私は挑み続ける。
かの武将が送った塩ではなく、砂糖のような甘い時間を夢を見て、何度でも。