猫にマタタビ理論の薬
「セイ、できたぜ。」長瀬が部室にやって来た。目を真っ赤に充血させて、細い体をゆらりと揺らす。
余りの迫力に誰も何も言えない。
「お前ぇが、学校当局みたいなことを言い出して、テスト一週間前から、研究を禁止しやがったおかげで、えらく遅くなってしまったぜ。
完成する前に、魚勘が潰れてしまうんじゃねえかと心配したぜ」
ニヤリと笑うと、
「こっちのスプレーの薬を駅とか、スーパーとか、とにかく人の集まるところに撒くんだ。
そうすると、この臭いをかいだ人間が、こっちの薬の臭いをかぎたいと思うんだ。
だから、こっちの薬を魚勘にスプレーしておくんだ。
手分けしてやってくれ」
「どのぐらいスプレーしたら良いの?」
久保が訊いた。
「適当にやってくれ。まだ、実験もしてない。
本当なら動物実験した方が良いんだが、時間もないし。
やってみて上手くいかないようなら、その時考える」
一同、顔を見合わせる。
何ていい加減な……。
そう思っても、誰も口にしない。
長瀬はそれだけ、努力したのだ。それは、一同分かっていたから。
「とりあえず、急いで試してみよう」
鳴海が言って、全員スプレー片手に飛び出した。
北斗駅、北斗港、スーパー『どんぶらこ』、リボン通り商店街。思いつく限り人の集まるところに撒いて回る。
「何か犬のマーキングみたいで、嫌ぁね。
周りの人たちが胡散臭げに見てるわ」と、久保。
「これって、営業妨害にならないか?」
鳴海が訊いた。
「大丈夫だ。魚勘へ行きたくなるだけだから。
魚を買いたくなるなら別だけど、そこまでの性能はないはずだ」
早川は、くったくない。
いろいろな場所にスプレーして、最後に魚勘前のスプレーを終わると4時半だった。
一同、半信半疑で待つ。
ただ、ひたすら待った。
しばらくすると、北斗高生だけじゃなく一般の主婦、営業マン、小学生が魚勘前に集まり始める。
何となく、物欲しげにウロウロ歩き回り、訝しげに魚勘を眺める。
成功だ!長瀬は大したヤツだった。
12月20日(火)魚勘前
長瀬の『猫にマタタビ理論の薬』が完成した。
早速、魚勘の観察を森田に任せて、A液を北斗駅などに撒いて回り、B液を魚勘前に撒く。
作業は4時半頃終了した。
5時少し前から人通りが多くなり、5時半頃には魚勘前は人出がすごかった。
薬は成功だ。
それなのに、魚勘のお祖母ちゃんは、客の呼び込みもしない。
固定客以外は、客だと思っていないんだろうか。
12月21日(水)魚勘前
今日も、人出はスゴイ。
リボン通り商店街から魚勘を通り過ぎる者。
東の方向から魚勘前を経由してリボン通り商店街へ行く者。
いろんなパターンがあるが、魚勘で魚を買う主婦はいない。
主婦は、魚勘前を通りすぎて、スーパー『どんぶらこ』へ行くのだ。
久保と鳴海が、社会経済の研究と称して、主婦にアンケートを取った。
何故、町の魚屋でなくて、スーパーで魚を買うのか。
答えは、①会員制のようで敷居が高い。②スーパーの方が包装がしっかりしていて、持って帰るのに汚れない。③店が薄汚れた感じで清潔感に乏しい④安物を買うと店の人に馬鹿にされそう。だった。
(裏のクラブ日誌より)
「お祖母ちゃん、どうかしているよ。毎日、こんなにたくさんの人が前を通るのに、見てるだけだなんて。
しかも、年末だよ。だいたい、炬燵でテレビを観る暇があったら、掃除でもすればいいのに。毎日、テレビを観てるだけで一日が終わるんだ。
いつものお客は、多分、僕たちが観察に行く前に買い物を済ませているんだろう。だから、会ったこともない。
いつもの客が終わると、魚勘の一日は、事実上終わるんだ。だから、テレビを観て時間を潰すんだ。それじゃ、店を諦めるしかないよ。
第一、補助金で買った魚にクレームが来ている。
いくら魚勘が北斗の新鮮な魚を置いてても、魚勘で古くなったり、料理した魚に鱗や骨が交じってたら、誰も買わなくなるよ。
お祖母ちゃんは、やる気があるんだろうか?」
森田が文句を言った。
「森田くん。考えすぎないことよ。みんなで決めたことでしょ。上手く行かなくてもみんなの責任なんだから」
優しく見つめる久保に、森田は思わず手を延ばした。
久保が、森田の手を優しく握りしめてくれた。
こんな場合じゃなかったら嬉しいのに……、と、思った。
気を取りなおして早川を伺うと、早川は森田より蒼白な顔をしていた。
長瀬は、時々突拍子もない薬を発明します。




