野々口先生の懐柔
早川がおもむろに、北斗の商店街の現状に付いて論じ始める。
車社会の浸透で北斗では、車で買い物に行くのが普通になって、ごく近くでも車で出かけるようになって来た。
こうなると、駐車スペースのない市街地の商店街には、逆に客が来にくくなる。
北斗の主な商店街は、リボン通りと二本杉商店街だが、どちらも買い物客が徒歩で買い回ることを前提としている。そのため、郊外型の大手スーパーが進出してから閑古鳥が鳴いている。
どうも、北斗の町自体が地盤沈下しているようだ。
北斗の主婦に共働きが多いこともあって、町では平日の人通りがほとんどない。
その中で、森田のお祖母ちゃんの店である魚勘は完全に行き詰まっている。
と、その窮状を野々口先生に訴える。
「先生、たまには、魚勘で魚を買って上げてよ。
我々AZは、通行量が増えたら何とかなるかもしれないって、いろいろやったんですよ。
通ってもらったら、越路屋の鯛焼きをおごろうとか、文化祭で頂いたカンパを使って頼んだんです。
でも、高校生が通っても駄目なんです。
主婦が通らないといけないんですね。
だからこれからは、先生方に頼んでみようと思っていたところなんです。」
野々口先生は、生徒達の暖かい友情に触れて感動した。
友人の窮状に助け合うなんて、何てすばらしい話でしょう!
そうね、方向が違うけど、たまにはあそこで買ってみましょう、と、コーヒーとケーキで盛り上がる。
見ていた加藤は、早川や久保の豹変に唖然とした。
彼の許容範囲を優に超えている。
鳴海と長瀬がニヤリと笑った。
お前もか、と思っているのだろう。
久保が、「加藤くん、大丈夫?」と、優しく微笑んだ。
野々口先生がAZの部室でお茶を楽しんだため、安田先生は部室に現れなかった。
山本に、理科実験室の爆発の始末書を書くように命じて、職員室へとって返したのだ。
中山が職員室に向かう頃だ。
4時半少し前、部室に柴田健太郎氏が現れた。
依頼した越路屋の鯛焼きを持って嬉しそうに入って来た。
彼が久保に声をかける前に、野々口先生が声を上げた。
「柴田くん?柴田くんじゃない?」
「あれ?野々口さん?
そうか、彰子が言ってたな。先生になったって。
お久しぶり」
「何か用事?」
「うん、AZから特許申請を頼まれてね。今日は、打ち合わせ」
「すごいのね」
昔の話や今の話のあれやこれやで完全に二人の世界だ。
早川達は、「二人にしてあげよう」と、柴田氏と野々口先生に部室を譲り、魚勘前に行くことにした。
長瀬は、理科実験室に戻る。
早川が目で問う。
長瀬が、大丈夫だと目で合図した。
魚勘前では、森田が忙しそうに通行する生徒に百円玉を渡したり、クラブ名をチェックしたり、一般主婦の通行数を数えたりしていた。
早川が声を掛ける。
「ご苦労さん。安田先生は大丈夫だと思う。多分、何も言わないと思うぞ」
「どうやったの?」
「気を削いだ。当面、時間をかけて、AZのやってることは大したことじゃないって気にさせる。
野々口先生も協力してくれるだろう。
向こうは何の証拠も持ってないようだ。
だから、指導のための呼び出しをかけることもできない、はずだ。
当分の間、安田先生に会わないようにしろ。
少なくとも、二人だけで会うことがないようにするんだ。
そのうち、おさまる」
ギラギラ光る眼が恐ろしいほどだ。
何故か一緒に付いて来ている加藤に向かって、久保が笑って言った。
「分かるでしょ?
セイは、土俵に上がらないの。
上がったら、生徒の負けになるのが分かってる場合は、なおさらね」
「確かに。比べると俺は、馬鹿だ」
「心配しないで。
誰も、セイみたいに上手にできなの。
あなたのようなのが、普通なのよ」
優しく慰めた。
「あなたのケーキは役に立ったわ。
セイに代わってお礼を言うわ」
野球部部長の清田、バスケ部部長の真崎、バトミントン部部長の梅田達が早川を取り巻いて、話を始める。
森田が加藤に目を留めて言った。
「加藤くん。セイに告ったのに、怪我しなかったの?やっぱり強いんだね」
「お前、何で加藤がセイに告ったと思うんだ?」
森田の発想に付いていけない鳴海が目を剥いた。
「イッキは、気が付かなかった?
この前、セイとヨシの眼が合ったとき、セイが眼をそらしたんだ。
いつもなら、ヨシが『強すぎるから緩めてくれ』って言うまでそらさないのに。
ヨシも、普通じゃないんだ。
発明に夢中になるのはいつものことだけど、何かに憑かれたみたいなんだ。
でもって、久保さんが、セイに優しいのはいつものことだけど、この前セイが熱出してから、すごく優しいんだ。
絶対、君が告ったと思った。
大したもんだ。セイに告るなんて。
普通は、死にたくないから、絶対そんなことしない」
身も蓋もない言い方だが、褒めているのだろう。
「セイが熱出したのか?何時だ?」
加藤の心配は、そっちだ。
「この前の日曜日だったと思うよ。わざわざ久保さんがセイん家へお見舞いに行ったんだ」
「教えてくれたら、俺も見舞いに行ったのに、残念だ」
鳴海が残念がる。
「でも、ヨシも行ってないみたいだよ。
行ったのが、久保さんだけだってのが、そもそもおかしいんだ。
ヨシは、セイのこととなると、すごく反応するのに」
「お前、よく見てるなあ」
鳴海が感心した。
「当然だろ?
作家志望なんだ。周りの人間関係を把握するのは得意だ」
森田が胸を張って、加藤に言った。
「君は、剣を振るうセイしか知らないから。
僕は、北斗高に入ってからのセイしか知らないけど、普通にしてたらすごく優しいけど、邪魔なんかするとすごく怖いんだ。
生徒会だけじゃなくて、教師も掌の上で踊らせたりする。
だから、北斗高の女の子の半分は、セイに憧れている。
イッキよりモテるんだ」
こうして野々口先生は、早川達と仲良くなったのです。




