AZ研究会
四人を前にして、早川の説明が始まった。
これが、なんと一時間近くかかったのである。
「この会の集まりをお願いする時にも言っているように、この会は、『泡銭(AZ)』の研究及び実践を行うものとしたい」
「泡銭(AZ)って、何だ」と、長瀬が訊いた。
「泡銭(AZ)とは、辞書には、『まともな労働によらないで得たお金のこと』と書いてある。
そもそも、金とは、本来、労働を交換、保存又は運搬するための一つの形態なんだ。
自給自足や物々交換の時代では、人は、働いて自分でジャガイモを作って食べる。
この場合ジャガイモは、単に食べ物としてのジャガイモというだけでなく、春から秋にかけての彼の労働の具現でもあるんだ。
人はカレーライスを食べようと思ったら、自分の作ったジャガイモを他人が作ったニンジン、肉、米なんかと交換して、カレーライスを作るんだ」
「何でカレーなんだ?」と、長瀬が訊いたが無視された。
「この場合、彼の労働の具現であるジャガイモがなければ、他人の労働の具現であるニンジン、タマネギ、肉や米を得ることができないから、カレーライスを作ることはできない。
つまり、物々交換というのは、労働の交換でもあるんだ。
ところで、彼がジャガイモとニンジンの交換を申し出たときにニンジンを作った男が布地が欲しいと言った場合、ジャガイモ男は、まず、ジャガイモと布地を交換して、しかる後、その布地とニンジンを交換して、初めてカレーを作れるんだ。
ここで、布地を作る男がジャガイモでなく宝石を欲しがったら、ジャガイモ男は、まず、ジャガイモと宝石を交換し、その後宝石と布地を、最後に布地とニンジンを交換してと、事態は更に複雑になってくる。
これは、肉、タマネギ、米などの全ての材料について言えるわけで、世の中の交換形態がこのように複雑になってくると、カレー一つ作るのにえらく複雑な交換を繰り返さなければならなくなってくる。そこで、労働の成果を金に交換することによって、ジャガイモ→宝石→布地→ニンジンと言った手間を掛けなくても、一気にジャガイモ→金→ニンジンという交換が可能になる。交換方法が、金によって簡略化されるわけだ。
また、ジャガイモ男は、ジャガイモを金に換え、その金を再度ジャガイモに替えることで、男の作ったジャガイモのない時期にジャガイモを食べることもできる。つまり労働を時間的に保存できるようになるわけだ。また、友人にジャガイモを送る代わりに金を送り、その金でジャガイモを買うことにより、遠く離れた地域に住む人にジャガイモを送ることもできる。
つまり、この場合は、距離的に労働を送ることができるようになるわけだ。
どちらの場合も、男の作ったジャガイモは、男の労働の具現であり、労働そのものであり、労働と金は密接不可分な関係にあると言えるんだ。
よく物を貯め込むお年寄りなんかに言わせると、『物は、元々は金――つまり労働の対価――だったから捨てられない』って言うだろ。あれだ。
ところで、人類は、産業革命以来、生産性の飛躍的な増大を見た。いわゆる余剰が出で、その余剰を搾取するとか、されるとか言う話は別の話だが、余剰が飛躍的に増大すると、金がそれ自体増殖して、労働とは関わりなく、再生産するようになって来たんだ。
いわゆる、不労所得、利子とか投資とか株とかだ。つまり、まともな労働によらないで得るお金が出てきたんだ。昔は、まともな労働によらない金を泡銭(AZ)と呼んで馬鹿にしたり、軽く見る風潮があったんだが、最近おかしくなってきたようだ。
額に汗して働く労働者を馬鹿にして、きれいなオフィスで、お金を動かして巨万の富を得る人のことを褒めそやす。
宅配便のお兄さんや新聞配達の小父さんを軽く見て、他人の金を借りて、投資して大儲けする人間を羨ましがるんだ。
確かに、投資や株に関わることも立派な労働かも知れない。だが、そもそも労働というのは、人間の生活に必要な衣食住のために体や知恵を使って行動することだと思う。
つまり、労働の中では、第一次産業、第二次産業が根元的なものだと思うんだ。
しかるに、昨今は、食糧自給率の低さに見られるように、第一次産業の軽視、重厚長大の第二次産業のじり貧、そして、特に、人間の生存に必要かという視点から言うと、特段、命に何の関わりもない第三次産業、特にサービス産業が持て囃される風潮にある。
何も、サービス産業が悪いと批判するわけではないんだ。だが、その割合が異常に偏っていると思うんだ。
こういった風潮は、我が国の未来を危うくし、健全な青少年の育成によろしくないと考える。
我々は、高校生として、我が国における泡銭(AZ)崇拝、泡銭(AZ)嗜好を改めるために、まず、泡銭(AZ)を知る必要がある。
敵を知り、己を知れば、百戦危うからずだ。
そのため、我々は、AZの研究をしようと思う。
AZ研究会は、AからZまで、つまりアルファベットの最初から最後まで、森羅万象ありとあらゆるものを使って、AZの取得方法、AZの性質及びAZの正しい使用方法、AZによって引き起こされる弊害などについて研究するとともに、実践して、最近の我が国の憂えるべき風潮に一石を投じるものである」
ここで早川は、一息入れてペットボトルのお茶を飲んだ。
四人は、唖然とした。
理屈は分かる。
分かるんだが、お前は一体何をしたいのだ?
説明を聞く前にもよく分からなかったが、聞いても分からない。
長瀬が勇を奮って訊いた。
「相変わらず、簡単なことを小難しく言うヤツだぜ。
セイ。理屈は分かった。そんでもって、お前が泡銭(AZ)の研究をしてみたいのも分かった。
でもな、基本的にお前は、AZ(あぶく銭)をどうしたいんだ?
反対してるのか?賛成してるのか?
今の話じゃ、お前ぇ、AZに反対するためにクラブ立ち上げたって言ってるけど、そのわりに取得方法がどうとかとか、えらくきな臭いじゃねえか?
お前ぇ、正確には、どういうスタンスに立っていて、一体何がしてえんだ?」
「鋭いな、ヨシ。
気持ちから言うと、ワタシはAZが嫌いだ。
大体、AZは、真面目な労働者の皆さんの勤労意欲を阻害すると思わないか?
一旦、AZの味をしめると、株を守るようになってしまうんだ。
北原白秋の『待ちぼうけ』だ。
あれは、故事の『株を守る』から来ているんだが、『ある日、せっせと野良稼ぎ』していると、ウサギが出てきて、株に頭ぶつけて死んでしまうんだ。それまで真面目に働いていた労働者は、以来、ウサギが勝手に出て来て転がるのを待つようになる。終いに、働かないものだから、美しい麦畑を草ぼうぼうに荒らしてしまうんだ。
だから、真面目な労働者は、AZに関わるべきじゃないんだ」
ここで、早川は、悪戯っぽく笑って、その特徴ある眼をきらめかせた。
「でもな、世の中の風潮が、ここまでいい加減になって来ているのを見たら、いっそのこと、やるだけやってみたらどうなるか、試してみたいと思わないか?
どうせ、みんな大人になったら、真面目こつこつにやるんだろう?
やってもらわないと困るんだが……。
だったら、今のうちだ。
幸い我々は、労働者じゃない。弊害が出ても、たかが知れている。
だから、無茶苦茶やって、その結果がどうなるか研究してみたいと思うんだ。
どうだろう?
この前、歴研部長の柴田先輩に話したら、歴研の部会としての活動をしてくれるなら、歴研の部室を自由に使ってもいいって言ってくれたし、顧問の菅原先生に確認したら、第一に、部員数が五人以上であること、第二に、違法な行為や公序良俗に反する行為はしないこと、第三に、歴研の部会としてクラブ日誌を毎回先生に提出することを条件に認めてくれるそうだ。
歴研は、今のところ柴田先輩一人だし、柴田先輩は三年生だから、まず、部室には来ない。事実上、休眠状態だ。
だから、ここは、ワタシ達の好きに使えるってことになる。
期間は一年。来年になれば、ワタシ達も三年だ。受験勉強しなくちゃならない。
実質、今年限りだ。
みんな、その間、ワタシに付き合ってくれないか?」
長瀬は頭を掻きむしった。
鳴海が顎を落とした。
森田が呆然とた。
久保の目が輝いた。
「お前ぇなあ」と、長瀬が言うのと、久保が、「面白そう!」と、叫ぶのが同時だった。
完全に巻き込まれてしまった。
ここに、五人の前途多難な旅が始まった。
早川には、簡単な話を難しく説明するという特技があります。