整理券
道場の稽古が終わった。
ヨシにAZの仕事を頼んだから、今日は遊びに来ない。
だから、ソフトテニスのボールはできない、と、早川が言った。
何を頼んだんだ?と訊くが、笑って取り合わない。
晩秋の風は少し寒いが、ほてった体に心地よい。
小杉高校の一行が帰って一週間経った。早川がこれから北斗高校へ長瀬を迎えに行くというので、じゃあ、途中まで一緒にいこう、と、並んで歩き出す。
「部長がしょっちゅう遊び歩くので部員は大変だな。あんまり、北斗に入れ込み過ぎるなって、お小言もらっただろ?」
早川がことさら明るく笑うと、加藤がぼやいた。
「その通りだ。
参ったよ。
しかも、女子部員は、君に熱を上げているみたいだ。
それに、俺と君が久保くんを挟んで三角関係だと思ってるらしい。
あのタイミングで久保さんが出てきたのは、アンラッキーだった」
加藤は、天を仰いだ。
「アンラッキーなんかじゃない。
あれは、半分本気、半分嫌がらせだ」
加藤が目で問う。
「リョウコは、ワタシをお前に取られると思ってるみたいだ。
可愛いだろう。
それに、お前とやり合うと、ワタシが消耗すると思ってるんだ。
確かに、お前と稽古すると疲れるんだけどな。
だから、あれは半分は計算ずくだ。
彼女はそう言うことを意図してできるんだ」
ニヤリと笑って、続けた。
「そうか、小杉のみんなは、お前がリョウコに気があると思ったのか。
でも、リョウコに気のある男なんか珍しくもないぞ。
北斗高の男の三人に二人は、彼女に気があるんだ。
イッキや光太郎がAZに付き合ってくれるのも、リョウコのおかげだし、ヨシなんか、ワタシの整理券まで持ってるのに、第一志望がリョウコなんだぞ」
早川が笑いこぼすと、加藤の目が点になる。
「整理券って何だ?」
「ワタシが大人になって、男を物色する際にだな、こんな言い方したら、何か嫌らしく聞こえるけど、幼かったから、まあ、良しとしよう。
整理券の順番で考慮に入れてくれだと。
それで、作って渡したんだ」
「何時のことだ?」
「小学校の五、六年だったと思う。
その整理券はな、途中でもっといい女が現れたら、乗り換えるって条件付きなんだ。
だから、あってもなくても同じなんだけど、ヨシの考えることって面白いだろう?
最高だ」
「あいつは、それで、待ってるのか?」
「待ってるってほどじゃないぞ。
適当に付き合ってるってのが、正しい。
あいつといると、面白いだろ。
だから、一緒に遊んで、無理聞いてもらって。
整理券だって、一生使わないだろうなぁ。あいつも、そう思ってる」
「鳴海や森田は良い。頼む!あいつと付き合うのは止めてくれ。
AZも止めて欲しい」
急に真顔になる。
「変なヤツだな。ワタシとヨシは、幼稚園以来の付き合いだぞ。
昨日今日の付き合いのお前が首を突っ込む筋合いじゃない」
「先週も君はあいつを迎えに行っただろ。
あの日、俺達小杉高剣道部は道場に泊まった。だから、俺は君が帰って来るのを見てた。
あいつと一緒だった。
あいつ、玄関の脇で君の頭をくしゃっくしゃっとかき回したんだ。
君は嬉しそうだった。他のヤツにはそんなこと許さないのに。
今日も迎えに行くんだろ?
そうして、あいつに頭をくしゃっとされるんだ」
加藤は、熱い目をして、太い息とともに吐き出した。
「君に勝てるようになるまで言わないつもりだった。
セイ。長瀬は駄目だ。
俺と付き合ってくれ」
「もう付き合ってるじゃないか。
一緒に稽古もすりゃ、話もする。
ソフトテニスボールも一緒にしたぞ。
これ以上、何をするんだ?」
「長瀬や久保さんを交えず、二人だけで会いたい。」
「今、会ってる」
「そういうんじゃなくて」
早川の手を取り、視線を絡める。
「あのな。タカ。前にも言ったけど、その目つきは止めてくれ。
息苦しいんだ。
ワタシは剣を振るうときのお前は好きだが、そんな目つきをするお前は嫌いだ。
それにな。
ワタシの本業に首を突っ込むことも止めてほしい。
ワタシには、あっちが本業なんだ。
AZは、ワタシがやりたいから、みんなに付き合ってもらってるんだ。
ヨシには、薬の発明を頼んでいる。
あいつ、夢中になったら家にも帰らないから、迎えに行かなくちゃならないんだ。
いいか?お前を嫌いになりたくない。
これ以上、邪魔をするな」
触れると火傷をするような視線だ。
加藤は、喉がカラカラに乾いて口が利けない。
やっとの思いで、口を開いた。
「高杉先生が、『毎週北斗に行くのは如何なものか』と、おっしゃった。
よく考えると、俺は、毎週来てたようだ。
君に会いたいんだ。北斗で長瀬や鳴海達が君と楽しくやってると思うと堪らない。
前みたいに県警本部へ来てくれないか?」
「高杉先生の反応は、ありそうな話だ。でも、それはお前が決めることだ」
早川の眼がキラリと光った。
「県警本部は、もう行かない。
リョウコによれば、まだまだらしいけど、体が丸くなってしまった。
誰かが気付くだろう。
それは、面白くないんだ」
「県大会、女子の部に出たら良いじゃないか」
「女の優勝なんか要らない。
ワタシは、男より強い。現にお前に勝ってる。
何で遠慮しなけりゃならないんだ?
そのくせ、みんな、手加減だけはするんだ」
「坂本は、知っている」
「坂本は言わない。あいつは、言えない。
間違っても女に負けたとは言わない。
そういう男だ。お前も言わない。それで良い」
「君は、美しいのに」
早川が、視線をそらす。
加藤は、早川の肩を抱き寄せながら言う。
「君の了解をもらうまで、我慢しようと思ってた。
でも、何時まで我慢できるか、自信がない」
「お前がそんなんじゃ、一緒にいられない」
早川が、加藤の腕を払いのけて、背中を向ける。
加藤は、後ろから早川を抱きすくめて耳元で囁いた。
「君が女だって分かってひどく驚いた。
でも、あの時からずっと好きだ。
君は強い。
そして美しい。
君みたいな女性は知らない」
「離せ。生憎と、ワタシは、お前に付き合ってやるほど育っていない。
どうやらワタシは、人より成長が遅いらしい。
そういう対象を求めるなら、他を当たるんだな」
早川は感情のない声で言いながら、その腕を振りほどこうとした。
加藤が力を込める。
「離さない。
君が強いのは瞬発力と柔軟性だ。技なんだ。
力は僕の方が強い。
逃げないで。
君が育っていないのなら、僕が育てる」
早川は、眉を顰めて、凍るような声で言った。
「大きなお世話だ!
お前がどういう感情を持とうと、それはお前の勝手だ。邪魔はしない。
だが、ワタシを巻き込むのは止めて欲しい」
思わず怯むと、するりと腕から抜けて加藤の眼を凝視する。
冷たい炎があるなら、こういうものを言うのだろう。
眼の中に青い炎が燃えている。
その激しさにたじろぐ。
不意に、早川の顔がゆがんだ。
涙が流れ、苦しげだった。
「お前が来て、相手をしてくれて、嬉しかった。
でも、こんなふうに、なるなら、もう、来ないで、欲しい。
お前は、こんなことのために、付き合って、くれたのか?」
見たこともないくらい美しかった。
ひどいことをしたんだろうか、と、自問した。
気の毒に、加藤くんは、早川に恋をしてしまったみたいです。




